旅するタヌキ 

上田市交流文化芸術センター「サントミューゼ」 のガイド記事。

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サントミューゼ

Official Website https://www.santomyuze.com/

サントミューゼのあらまし

大正以来真田城跡にあった旧市民会館(公民館)を撤去本丸を再建する事となり、日本たばこ産業上田工場跡地に、上田市立美術館とともに移転し複合施設「サントミューゼ」として2014年10月2日オープンした。

サントミューゼのロケーション

  • ところ 上田市天神三丁目15番15号

北陸新幹線、しなの鉄道線と千曲川に挟まれた一角、日本たばこ産業上田工場があった跡地にある。

同エリアには2011年に「アリオ上田」が開業している。

鉄道線を挟んで北側に真田幸村親子で有名な上田城跡公園がある。

駅北側の河岸段丘のなだらかな斜面に市中心市街地が拡がっている上田市では、駅裏に相当する当地は町外れの住宅街と言った所。

サントミューゼへのアクセス

最寄り駅 北陸新幹線、しなの鉄道、上田電鉄「上田駅」から徒歩7分。

サントミューゼがお得意のジャンル

大ホール

  • オーケストラコンサート,オペラ・バレエ公演以外にもミュージカル、Jポップ関係のコンサートや、往年のアイドル・エンタテイナーのワンマンショウ、ジャズコンサート、歌謡ショー、懐メロ歌手の歌謡ショー、有名タレントの座長ショー、現代演劇、伝統芸能、落語・演芸寄席、大道芸、パフォーマンス・ショー等ジャンルに拘らない幅広い演目でこのエリアの多くの人達に受けいれられている。
  • またプロ演奏団体、以外にも数多くのアマチュア団体が利用している。

小ホール

  • 主にセミナー、講演会、市民団体の集会、お稽古事の発表会などに用いられソリストのリサイタル、アンサンブルの演奏会等、小編成の室内楽コンサートなども行われ、現代演劇、伝統芸能、落語・演芸寄席、大道芸、パフォーマンス・ショーまでジャンルに拘らない幅広い演目でこのエリアの多くの人達に受けいれられている。

サントミューゼの公演チケット情報

大ホールで催されるコンサート情報。

チケットぴあ該当ページへのリンクはこちら

上田市の文化施設とサントミューゼこれまでの歩み

1923年(大正12年)上田城跡二の丸跡地に上田市公会堂が建設される。

1943年終戦後進駐軍が接収「アサマダンスホール」と成る。

1963年 二の丸に旧市民会館が完成。

2014年10月2日 日本たばこ産業上田工場跡地にサントミューゼ開館に伴い旧市民会館閉館。以後教育委員会の施設として利用される。

2016年 上田市民会館老巧化の為解体。

施設面から見たホールの特色

※ご注意;以下※印は当サイト内の関連記事リンクです。
但し、その他のリンクは施設運営者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

(詳しくはこちら公式ページ)

千曲川の川辺という絶好の立地条件(※関連技術解説記事はこちら)に上田市美術館と一体化した「複合文化施設」として建っている。

大ホール

(公式ガイドはこちら)

三層2バルコニー&テラスの中規模のプロセニアム多目的ホール。

2・3階バルコニー両翼から前方に階段状のテラス席が伸びている。

内装に地元のカラマツなどの木材をふんだんに使用している。

客席周辺は細かいピッチの「棧」をあしらい「グルービング壁材」とした木質パネルに同質の逆3角錐形状の音響拡散体を配して、「アンギュレーション」を設けている。

可動プロセニアムと重量級ステージ反響板で客席一体型のオープンステージホールと成る流行のデザイン。

プロセニアム上縁にはステージ上部反響板から滑らかに連なるデザインの大型「コーナー反響板」が設えて有る。

天井は木質パネルによる「セグメント反響板」

ゆとりのある客席配置と木材をふんだんに使用した丁寧異な設えで「優れた響き」を醸し出している。

と言う事で狸穴総研・音響研究工房『厳選後世に伝えたい・真の銘ホール50選』に選ばせていただく。

ホール音響評価点:100点

※関連記事「後悔しないコンサート会場の見分け方」まとめ  はこちら。

内訳

定在波対策評価点40点/40点満点(※客席周辺がプレーンな平行壁はx0.5=20点が持ち点と成ります)

残響その1(初期反射)対策評価点:20点/20点満点(※客先周辺石材壁の場合はx0.5=10点が持ち点と成ります)

残響その2(後期残響)への配慮評価点:20点/20点満点

客席配置 20点/20点満点(※客席周辺石材壁の場合はx0.8=16点が持ち点と成ります。)

小ホール

(公式ガイドはこちら)

3階吹き抜け相当の高い天井(約9m)を持つ1スロープ+2階高床テラス形式の多目的ホール。

緩やかなスロープの1階フロアー両側に高床式の桟敷(テラス)席を備えたホール。

1階ステージ側壁がスイングし袖舞台を備えた演劇ホールとしても利用出来る。

大ホール同様に地元木材をふんだんに使用した壁面で覆われている。

1階フロアー及びステージ側壁は大ホール同様のフラットパネルに細かいピッチで「立て棧」を配したグルーブ構造パネルを内傾スラントさせて設置。

2階上層部は要所に立て棧を配したフラットパネル、

ホール背後壁は同じく立て格子で表装した「吸音壁」と成っている。

上層部3階床相当部分壁面には剥き出しのキャットウォークを巡らし照明設備ブリッジを配して、音響拡散体として利用する「最近の手法」を適用。

さらに最上層3階部分のホール天井はアンギュレーションを付けた反響板儲けており、定在波対策もしてある。

全体として、肉声の通りが良く演劇・演芸・に最適で、適度な「残響」も備え、クラシック音楽にも向くオールマイティーな小ホールに仕上がっている。

この手のオマケ小ホールとしては丁寧名設えと共に、舞台芸術ホールとなっている。

ホール音響評価点:93点

内訳

定在波対策評価点:38点/40点満点(※客席周辺がプレーンな平行壁はx0.5=20点が持ち点と成ります)

残響その1(初期反射)対策評価点:19点/20点満点(※客先周辺石材壁の場合はx0.5=10点が持ち点と成ります)

残響その2(後期残響)への配慮評価点:18点/20点満点

客席配置 18点/20点満点(※客席周辺石材壁の場合はx0.8=16点が持ち点と成ります。)

大スタジヲ

公式ガイドはこちら

間口約8間(約14.m)奥行き約9間(約16m)約床面積250㎡(約151畳)の2階吹き抜けの高い天井を持つ平土間多目的スペース。

専用の「ホワイエ」と二つの楽屋を備え、ホワイエ上部に「調整室」もあり、椅子を並べて平土間ホールとしても利用出来る。

ホワイエから入るとフロアー下手側壁面はリハーサル室としても使えるように鏡面で、反対上手側と入り口ホワイエ側はガラス窓になっており上手側の窓からは中庭が望める。

但し3面とも、音響遮断「スライド壁」装置が有り、占めれば上層部まで含め左右両側壁が「全周簀の子」壁、前後が音響ネットの表装が施された吸音板と成る。

ステージ背面(正面)壁低層部は音響ネットで表装された「吸音壁」

セグメント天井反響板の中央部に「明かり取り」を兼ねた吹き抜けの塔屋が設えて有る。

ルーム音響評価点:50点

内訳;リハーサル室としての基準を適用しました。

定在波対策評価点:25点/50点満点(ルーム低層部に1対以上のプレーンな並行壁がある場合は持ち点はx0.5=25点と成ります)

残響その1(初期反射)対策評価点:25点/50点満点(ルーム低層部3面以上がプレーンな垂直壁の場合は持ち点はx0.5=25点と成ります)

施設データ

  1. 所属施設/所有者 上田市交流文化芸術センター/上田市。
  2. 指定管理者/運営団体 上田市。
  3. 開館   2014年10月2日
  4. 設計  柳澤孝彦+TAK建築研究所・梓 設計共同企業体
  5. ゼネコン 
  6. 内装(音響マジック) 

大ホール

  1. ホール様式 、プロセニアム型式多目的ホール。
  2. 客席   3フロアー 収容人員 1530名(最大1650人)、2・3階テラス席(桟敷席)、可動床、1階平土間中央部千鳥配列、あゆみ板、
  3. 舞台設備 2面舞台、主舞台プロセニアムアーチ:間口:14.5~18m 奥行:18m 上手袖舞台幅;12m奥行き18m、下手袖幅6.8m、奥行き15m ブドウ棚(すのこ)、大・迫り、可動プロセニアム、可動反響版、オーケストラピット(可動床客席収納システム)、
  4. その他の設備 楽屋x7、控室、

小ホール

  1. ホール様式 多目的ホール。
  2. 客席   2フロアー 収容人員 372名 1F288席2F32席、(親子室有り)
  3. 舞台設備 オープンステージ形式 間口:12m 奥行:10m ブドウ棚(すのこ高さ;9.4m)、スイング反響版、オーケストラピット(可動床)、オーケストラひな壇(可動分割迫り)
  4. その他の設備 、楽屋x5、主催者事務室。

大スタジヲ

  1. ホール様式 間口約8間(約14.m)奥行き約9間(約16m)
  2. 客席   1フロアー 収容人員 140名、
  3. 舞台設備 オープンステージ、仮設演台2.7mx7.2m
  4. その他の設備 、楽屋x2、控室、

付属施設・その他

  • 付属施設 中スタジオ(音楽練習室)、スタジオx4、多目的ルーム、会議室x、和室、市民アトリエ・ギャラリー、アトリエ、
  • 施設利用(利用料金等)案内 詳しくはこちら

サントミューゼのある上田市のあらまし

長野県の中央からやや東北の所にあり、長野市から40km、東京から190kmのところにある。
推計人口、155,715人/2017年10月1日

上田-長野 42分/770円/しなの鉄道-JR信越本線/34.4km

上田-東京 1時間28分/6,670円/新幹線/189.2km

市域は上田盆地全体に広がり、中央部に千曲川がながれ市域を2分している。市中心部は左岸にある標高約450mの千曲川の河岸段丘上に位置する。

2000年の国政調査時の166,568人以来、現上田市市域にすむ人口は毎年減少の一途をたどり2010年の国政調査時には16万人の大台を割り、2017年10月現在155,715人となっている。

天正11年(1583年)4月、甲斐武田氏の家臣・真田昌幸が小泉氏の居城であった尼ヶ淵城を改修して上田城とし、翌年城の完成とともに小県郡伊勢山の戸石城からこの城に移ったとい言われており、大阪と並びその子『真田幸村』の熱心な信奉者が多いことで知られている。

又、信州最古の『別所温泉』は古くからの名湯として全国に知れ渡っている。

デジタヌの独り言(今から20年以上前の1996年当時の想い出)

今から20年以上前の1996年当時小生がセールスマンとして第一線で活躍?していた時に、下之郷にある「リサーチパーク」内にある某地元有力企業がお得意先の一つで有り度々「上田」を訪れていた。

現北陸新幹線も開通していなかった当時電気機関車に後押しされた特急「あさま」で碓氷峠を登り、上田市を訪れた事を昨日の様に思いだす。

その後1997年に長野新幹線が開通し何度か利用したこともあるが、この頃になるともっぱら当時着々と整備の進んでいた「上信越自動車道」のお世話になることが多かった。

小諸ICで下り、「丸子」を抜け県道169号でサイエンスパークに抜ける訳である。冬場は東部湯の丸ICで下り、国道18号で141号経由で駅前を通り当館の場所に当時まだあった「日本たばこ産業」上田工場の横をかすめ上田橋を渡っていた。

当然上田電鉄が地上駅の頃からのお付き合いである。

帰り道、時間に余裕が出来た時にたびたび訪れた「海野宿」などが懐かしく思いだされる。

上田市の観光ガイド

じゃらんの周辺観光ガイドはこちら。

主な出来事から見る上田市の歩み

真田人気のルーツを探る

天正11年(1583年)4月、甲斐武田氏の家臣・真田昌幸が、小泉氏の居城であった尼ヶ淵城を改修して上田城とし、翌年城の完成とともにこの城に移ったと言われている。

築城後、真田昌幸は、真田氏に縁故のある海野郷(現在の東御市の一部)と原郷の住民を招いて城下町を形成し上田の繁栄の基を築いた。
天正13年(1585年)8月 - 徳川家康がさしむけた真田討伐の大軍をむかえたが、真田昌幸は少ない兵と上田城や周辺の地理的条件を利用して撃退した。第一次上田合戦)
慶長5年(1600年) - 関ヶ原の戦いのとき、真田昌幸とその子真田信繁(幸村)は、関ヶ原に向かう徳川秀忠率いる大軍を完全に阻止し、そのため徳川秀忠が関ヶ原の合戦に間に合わなかった逸話は史上に名高い。(第二次上田合戦)
関ヶ原の戦い後、真田昌幸は次男信繁(幸村)とともに紀州高野山に幽閉され上田城は一時空城となったが、その後、徳川家康の女婿となって沼田藩を任されていた昌幸の長男真田信之が、沼田藩とともに上田藩の藩主にもなり、父の地盤を受け継いだ。

元和8年(1622年) - 真田信之は、松代(現:長野市松代町)に転封となり、その後小諸の仙石忠政が上田に転封となり仙石家は3代85年にわたってこの地を支配した。現在残っている上田城はこの間に築かれたと伝えられている。

宝永3年(1706年) - 但馬出石の松平忠周と所替になる。松平氏は在城7代164年間この地を治めたが当地での人気(評価)は薄い。

明治以降の歩み

1867年(明治2年)の版籍奉還によって上田藩となる。

1871年(明治4年)7月 - 廃藩置県に伴って上田県に変わる。同年11月 - 上田県が廃止されて長野県となる

1876年(明治9年)5月 - 旧上田町が2村編入合併。真田村他3村が合併して長村(後の真田町)成立。
1879年(明治12年)1月14日 - 小県郡郡役所旧上田町に設置される。
1886年(明治19年)8月15日 - 官設鉄道上田駅開業。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、小県郡常入村・常磐城村および旧・上田町の一部(山口・金井・蛇沢を除く)の地区をもって新上田町成立、丸子村(後の丸子町)、長村(後の真田町)も発足上武石村・下武石村他6地区で武石村成立

1893年(明治26年)4月1日 - 信越本線(上野駅〜直江津駅)が全通。
1912年(昭和12年) - 鐘紡の上田工場が上田市小牧右岸に設置される(戦後日本専売公社上田工場敷地となる)同年10月町制施行で丸子町発足。
1918年(大正7年)11月21日 - 丸子鉄道線が開業。
1919年(大正8年)5月1日 - 小県郡上田町が市制施行して上田市となる。

1921年(大正10年)6月17日 - 上田温泉電軌の本線・川西線が開業。
1943年(昭和18年)10月21日に丸子鉄道線、上田温泉電軌両社が合併し上田丸子電鉄と改称する。
1926年(大正15年)6月30日 - 小県郡廃止により小県郡役所廃止。
1931年(昭和6年)上田市営飛行場が開港。

1932年 帝国陸軍に献納され陸軍上田飛行場と改称。敗戦と同時に閉鎖。

1949年(昭和24年)10月1日 - 上田市小牧右岸地籍に日本専売公社の上田工場(1984年4月1日より日本たばこ産業上田工場となる)が設置される。
1958年(昭和33年)10月1日 - 長村・と他2村が合併して真田町発足
1963年(昭和38年)7月15日 - 信越本線上野駅〜長野駅間電化。

1966年(昭和41年)10月1日 - 上田駅を停車する信越本線初の特急列車『あさま』登場。
1972年(昭和47年)2月19日 - 上田丸子電鉄→上田交通の電車路線がこの日までに別所線を残し廃止となる。

1973年(昭和48年)4月1日 小県郡川西村を編入し(1921年9月の城下村を編入に始まり同年まで以降8度の周辺9町村1地区の編入、分離を繰り返し)旧上田市域が完成する。

1981年(昭和56年)4月1日 - 霧ヶ峰有料道路全通。
1996年(平成8年)11月14日 - 上信越自動車道小諸インターチェンジ〜上田菅平インターチェンジ〜更埴ジャンクション開通。
1997年(平成9年)10月1日 - 北陸新幹線開業。信越本線並行区間はしなの鉄道路線となる。

2002年(平成14年)4月20日 霧ヶ峰有料道路全線無料開放

2005年(平成17年)3月31日 - 日本たばこ産業上田工場操業停止。同年6月閉鎖。

2006年(平成18年)3月6日 - 小県郡丸子町・真田町・武石村と合併し、改めて新・上田市が発足し現在の市域となる。
2011年(平成23年)4月21日 上田工場跡地に複合商業施設「アリオ上田」が開店。
2014年(平成26年)10月2日 - 日本たばこ産業上田工場跡地に市立の交流文化施設「サントミューゼ」(上田市交流文化芸術センター・上田市立美術館)が開館




公開:2018年1月15日
更新:2018年4月24日

投稿者:デジタヌ

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