鈴鹿サーキット【サーキット ナビ】日本初の本格的クローズドサーキット
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Official Website http://www.suzukacircuit.jp/
鈴鹿サーキットのあらまし
三重県鈴鹿市にある国際レーシングコースを中心としたレジャー施設。
年間を通じて、ビッグタイトルカーレース、ロードレース、モトクロスまで数多くのレースが行われ、国内のレースファンの『聖地』として年間数十万人の人が訪れるサーキット。
F1日本グランプリや鈴鹿8時間耐久ロードレースなどの開催で知られる。レーシングコースの他に遊園地やホテル等があり、モビリティリゾート(自動車を題材とする行楽地)を形成している。
現在、FI日本グランプリ、鈴鹿8耐、スーパーGT、スーパーフォーミュラ、全日本ロードレース、等4輪・2輪の数多くのレースが開催されている日本の自動車レースのメッカである。
鈴鹿サーキットのロケーション
- ところ 三重県鈴鹿市
※Google earth Mode(航空写真モード)で閲覧するとコースの全容を確認することができます。
鈴鹿サーキットへのアクセス
- レース開催日は近鉄・白子駅、鈴鹿サーキット駅(JR線/伊勢鉄道線)よりシャトルバス運行あり(要確認!)
鈴鹿サーキットの施設データ
- 運営団体 (株)モビリティランド(公式サイトはこちら)
- 開設 1962年
- 設備概要 一周5.8Kmクローズドサーキット、モトクロスコース、カートコース。
- 設備(規格) 4輪;FIA国際公認、JAF国内公認、2輪;MFJ公認(FIM国際規格)
- 収容人員 約16万1.000人
- 付帯設備 メインスタンド
- 付属施設 宿泊施設、アミューズメントパーク、博物館、
鈴鹿サーキットのこれまでの歩み
1962年 日本初の全面舗装のグランドスタンドを備えたサーキットとして誕生。
本田技研工業(ホンダ)によって建設され現在はホンダグループのモビリティランドによって運営されている
日本初の常設サーキットとして1936年にオープンした多摩川スピードウェイの廃止後、国内の常設サーキットは未舗装の浅間高原自動車テストコースしか無かった。
ホンダ創業者の本田宗一郎は、丘陵地帯の松林50万坪の広大な土地を購入サーキットを造成した。
後にホンダランド取締役となる塩崎定夫がコースレイアウト設計グループの責任者となった。サーキット連合体A.I.C.P.のオーガナイザーであるJohn Hugenholtz を招聘して詳細設計を依頼すると共に施工全体にわたる助言を受けた。
フーゲンホルツから「タイヤの片方だけが減ってしまうのを防ぐために立体交差をつくって8の字にすればタイヤの両サイドが削れるようになる」と立体交差案を提言された。
特殊なサーキット舗装の構造を理解できるように、フーゲンホルツは各地サーキットの走行路の路面の舗装のサンプルコーンを調査団に提供した。
当時のA.I.C.P.加盟サーキットの舗装路の転圧、幾層もの舗装の積み重ねかたなどの最先端技術をこの供試体によって日本へと持ち帰ることができた。
当時の日本ではまだ高速道路が整備されておらず「日本では高速道路より先にサーキットが出来て、それの舗装を参考にして高速道路が作られた」
1961年2月、ホンダの全額出資のモータースポーツランドか発足同年6月に工事着工。
1962年9月にサーキットが完成し、同年11月3日 - 4日にかけてオープニングレースとして第1回全日本選手権ロードレースが開催された
付帯施設を含む総工費は15億円であった。
当時はオートバイで騒音を撒き散らすカミナリ族が社会問題化していたが。藤沢は「子供のころからエンジンを楽しむことこそが、未来の自動車環境の発展に寄与する」との理念で建設された。
国際レーシングコースを中心に、遊園地「モートピア」、鈴鹿サーキットホテル、レストランS-PLAZA、リゾート施設として天然温泉クア・ガーデン、オートキャンプ場、スポーツ施設としてボウリング場、テニスコートなどがあり、大型レジャーランドを形成している。
レース関係者の宿泊先としてサーキットと隣接してホテルがあるため好評である。
鈴鹿サーキットで開催される公認ビッグタイトルレース
4輪レース(※以下レースガイド記事リンク)
FI日本グランプリ、鈴鹿8耐、スーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久レース、全日本F3選手権2017、Blancpain GT Series Asia
2輪レース(※以下レースガイド記事リンク)
鈴鹿サーキットで開催されるイベント&チケット情報
- その他
公開:2017年8月11日
更新:2020年7月12日
投稿者:デジタヌ
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