狸穴ジャーナル・別冊『旅するタヌキ』

サンパール荒川 /荒川区《ホール音響Navi》

,

23区内きっての活気あるヤングファミリータウンにある施設

Official Website https://www.sunpearl-arakawa.com/

サンパール荒川のあらまし

大・小ホール、会議室・集会室?などを備える荒川区の誇る文化福K郷施設。

サンパール荒川のロケーション

ところ  荒川区荒川1-1-1

荒川区役所のある淡川公園と三河島公園に至る通りを挟み東側に侘ずんでいる。辺りは東京東部のベッドタウンらしく閑静な住宅街となっている。

荒川区周辺にある観光スポットのトリップアドバイザー くちこみ情報 はこちら。

サンパール荒川へのアクセス

鉄道・バスなどの公共交通

都電荒川線

東京メトロ千代田線・京成線 町屋駅より都電荒川線乗換 三ノ輪橋方面 → 荒川区役所前下車 徒歩2分

バス

JR日暮里駅東口より「里22」亀戸行き → 荒川区役所前下車 徒歩2分
JR西日暮里駅より「草63」浅草寿町行き → 荒川区役所前下車 徒歩2分

東京メトロ

日比谷線三ノ輪駅下車 南千住方面改札を出て明治通りを王子方面へ徒歩12分(荒川警察署向い)

マイカー利用の場合

一般来場者の駐車場はありません。バス、都電などの公共交通機関をご利用ください。

サンパール荒川がお得意のジャンル

大ホール

  • オーケストラコンサート、バレエ公演、ソリストのリサイタル、アンサンブルの演奏会、小編成の室内楽コンサートなども行われ、ミュージカル、Jポップ関係のコンサートや、往年のアイドル・エンタテイナーのワンマンショウ、ジャズコンサート、演劇・伝統芸能、歌謡歌手の歌謡ショー、懐メロ歌手の歌謡ショー、落語・演芸寄席、トークショー、大道芸、パフォーマンス・ショーなどの色物などジャンルに拘らないバラエティーに富んだイベントが行われている。
  • またプロ演奏団体、以外にも数多くのアマチュア団体も利用している。

小ホール

  • 主にセミナー、講演会、市民団体の集会、お稽古事の発表会などに用いられ、ジャズコンサート、トークショー、、着ぐるみヒーローショー、大道芸、パフォーマンス・ショーなどの色物などジャンルに拘らないバラエティーに富んだイベントが行われている。
  • またパーティー・レセプションなどの会場としてもつかわれている。

サンパールで催されるコンサート・イベントチケット情報

チケットぴあ該当ページへのリンクはこちら

施設面から見たホールの特色

※ご注意;以下※印は当サイト内の関連記事リンクです。
但し、その他のリンクは施設運営者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

(公式施設ガイドはこちら。)

大ホール

(公式施設ガイドはこちら。)

全体は変形6角形を基本としたツンツルテンの垂直壁、対抗平面だらけのものすごいデザインの1フロアーの脇花道を備えたプロセニアム形式多目的ホール。

表面処理コンクリート壁に、シリコンアクリル樹脂塗装仕上げした壁面が全周を囲んでいるものすごい表装の、巨大エコールーム!(※1)但し本来のエコールームには並行面はない!

ホール音響評価点:43点

§1,「定在波対」策評価点:12/40点満点

  • ※各フロアーの配置・形状、壁面形状、天井形状、天井高さ、等の要素をそれぞれ減点法で算出。
  • ※客席側壁がプレーンな垂直壁で「完全平行・平面」の場合は、満点x0.5=20点をベースに算出。

§2、残響その1 「初期反射」対策評価点:8点/20点満点

  • ※壁面の素材・形状、客席配置、その要素で減点算出。
  • ※(コンクリート、人造大理石、タイル・陶器製などの)硬質材の客先周辺壁材仕様は、満点x0.5=10点をベースにして減点算出。

§3,残響その2「後期残響」への配慮評価点:10点/20点満点

  • ※壁面形状、音響拡散体(相当要素)、テラス軒先形状、天井構成、その他の要素で減点算出。

§4,客席配置への評価点:13点/20点満点

  • ※壁際席、大向こう席、平土間部分の見通し(眺望)不良、それぞれ-1点/1箇所で減算。
  • ※客席周辺壁材が硬質壁の場合は、満点x0.8=16点をベースに減点算出。

※関連記事「後悔しないコンサート会場の見分け方」まとめ  はこちら。

総評

まあすごいとしか申し上げようがない、次回の前面改修(木質グルービングパネル転換&スラント壁のアンギュレーション配置)に期待するしかない?

小ホール

公式施設ガイドはこちら。)

大ホール同様に塗装仕上げの一般建築用の石膏ボードを使用した表装。

但しこちらは両側壁共に内傾スラント処理はしてある。

天井は一部有孔音響ボードを用いた反響板。

ホー理両側壁に拡声器?が、そして天井に照明バトンがむき出した流行りの処理。

スタッキングチェアーを勝手に?並べて使用する。

ルーム音響評価点:60点

※会議室、宴会場、展示会場などがメイン用途のためルーム音響評価を適用しました。

§1,「定在波対評価点:25点/50点満点

  • ※ルーム低層部に1対以上の並行したプレーンな垂直壁がある場合は、満点x0.5=25点をベースに減点算出。

§2、「初期反射」対策評価点:35点/50点満点

  • ※ルーム低層部3面以上がプレーンな垂直壁の場合は、満点x0.5=25点をベースに減点算出。

総評

平土間に平天井の宴会場スタイルなので仕方ないが、意外とまともな音がする?

サンパール荒川の施設データ

  1. 所属施設/所有者 荒川区民会館 /荒川区。
  2. 指定管理者/運営団体 (公財)荒川区芸術文化振興財団/荒川区。

大ホール

  1. ホール様式 プロセニアム型式多目的ホール。
  1. 客席仕様   1スロープ1フロアー 
    • 収容人員975席、(車椅子用スペースX人、親子室X人、含む、)(※公式客席配置図はこちら)
      • 1階固定席X975席、1階(オーケストラピット部可動床可動席X122席含む)1階平土間中央部千鳥配列
      • タイルカーペット
  1. 舞台設備
    • 基本舞台仕様 プロセニアム形式;有効幅約13mx有効奥行き約9m(最大奥行き約13.3m)有効面積約128.7㎡(約77畳)、プロセニアムアーチ:間口約18.2m、高さ約7.6m、実効面積;約128.7㎡(約77畳)ステージ高さ;FL+約?cm、ブドウ棚(すのこ)高さStL+約?m、バトン類高さStL+約?m、照明(ブリッジ);?本、美術バトン;7本
    • 反響板設置時;プロセニアムアーチ:間口約18.2m、高さ約7.6m、最大奥行き約10.6m、実効面積;約142.4㎡(約86畳)ステージ高さ;FL+約?cm、
    • 舞台機構1 ;奈落、大(道具)、中、小迫り(&オーケストラひな壇迫)
    • 拡張舞台(エプロンステージ);可動床・可動客席(客席ユニット・)オーケストラピット&エプロンステージ迫り;最大幅約20.3m最大奥行約3.6m有効面積約63.5㎡;約38畳、演奏面レベル設定;StL ー約?m~+0m、
    • 特殊備品;、仮設本花道、仮設鳥屋囲他
    • 舞台備品・図面;舞台平面図はこちら舞台断面図はこちら舞台備品リストはこちら
  1. 専用附属施設、施設利用料金案内 など

小ホール

  1. ホール様式 プロセニアム型式舞台付き多目的イベントスペース、
    1. 床面積  最大幅約★mx最大奥行き約★m、延べ床面積約★㎡(約★畳)最高部天井高さ約★m
  1. 舞台設備
    • 基本舞台仕様 有効奥行約4m プロセニアムアーチ:間口約8m、高さ約3.7m、実効面積;約32㎡(約19畳)ステージ高さ;FL+約?cm、ブドウ棚(すのこ)高さStL+約100m、バトン類高さStL+約?m、照明(ブリッジ);?本、美術バトン;?本
    • 拡張舞台(エプロンステージ);可動床・可動客席;最大幅約11m最大奥行約2m有効面積約22㎡;約13畳、演奏面レベル設定;StL ー約.1m~+0m、
    • 特殊備品;能舞台セット、寄席セット、仮設本・脇花道(スッポン迫付き)、仮設鳥屋囲他
  1. 専用附属施設、施設利用料金案内 など

付属施設・その他 

デジタヌの知っておきたい豆知識

サンパール荒川のある荒川区とこれ迄の歩み

荒川区

東京都の東部、旧武蔵国豊嶋郡明治以降に新設された北豊島郡に当たるエリアにある。

江戸時代は農村だったが、明治時代から荒川の水を使うために多くの工場が建設され、工業化が進んだ。

また現在の南千住駅の西に江戸の三大刑場の一つ、小塚原刑場があった。
推計人口、216,232人/2018年4月1日

工場跡地を活用した大規模な再開発や公園整備が行われている。都内最大級の規模で再開発された南千住地区は大規模なマンションの建設ラッシュが続いているため、若いファミリー層を中心に人気の高いエリアの一つで1990年代まで減少していた区全体の人口も増加に転じた。

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.

武蔵国

埼玉県、東京都の殆どと神奈川県川崎市・横浜市などの一部地域を含む。川越市のある入間郡、など現埼玉県域に14郡、神奈川県域に3郡、東京都域に4郡、東京都・神奈川県にまたがって1郡が広がっていた。

荒川区の属していた豊嶋郡(北豊島郡)

豊嶋郡とも表記した。武蔵国の中でも非常に古くから栄えていた郡の一つであり、多摩郡に次ぐ大郡であった。

平安時代末期からは豊島氏の支配下にあった。他にも葛西氏、江戸氏、渋谷氏などがいたが、室町時代までにはこの地を去っている。

戦国時代には扇谷上杉家家臣の太田道真・道灌親子により豊島氏は滅亡。扇谷上杉家の弱体後は後北条氏が進出した。

1590年(天正18年) - 徳川氏が郡内の江戸を根拠地とした。後に徳川氏は江戸幕府を開き日本の政治的中心地となった。

江戸時代以降、江戸市中は豊島郡から分けられた。(つまり江戸時代以前は帝都東京も豊島郡の一寒村に過ぎなかった。)

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

名刺以降に分離新設された北豊島郡の江戸末期の支配は

幕府領 18町・28村

旗本領 18村

寺社領 19町29村

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め武蔵国も幾多の行政変遷にさらされた。

慶応4年
1868年8月7日(旧暦6月19日) - 忍藩士の山田政則が武蔵知県事に就任(大竹左馬五郎支配所の後身)。
1868年8月17日(旧暦6月29日 - 旧幕府代官の松村長為が武蔵知県事に就任。
1868年8月27日(旧暦7月10日) - 旧幕府代官の桑山効が武蔵知県事に就任(佐々井半十郎支配所の後身)。後の当郡域は以上の3人が管轄。

明治元年
1868年12月18日(旧暦11月5日) - 町地および隣接する区域(おおむね後の王子区、板橋区、練馬区を除く区域)が東京府(第1次)に編入。
1869年2月4日(旧暦12月23日) - 桑山効知県事が河瀬秀治に交代。
以上の再編により、後の当郡域および隣接する区域が下表の管轄となる(村名は幕末時点のもの)。

明治初年 - 橋場町地方が地方橋場町に、山谷村在方分が地方山谷町にそれぞれ改称。
明治2年(43町65村)
1月 - 山田政則知県事が宮原忠英に交代。
1869年2月23日(旧暦1月13日) - 古賀、河瀬、宮原各知県事の管轄区域にそれぞれ品川県、小菅県、大宮県(県庁は東京府馬喰町)を設置。
1869年5月13日(旧暦4月2日) - 船方村、堀之内村が小菅県から東京府(第1次)に移管。
1869年11月2日(旧暦9月29日) - 県庁が浦和に置かれ、大宮県が浦和県に改称。

明治4年(43町66村)
1871年12月25日(旧暦11月14日) - 東京府(第2次)が発足。品川県、小菅県、浦和県の当郡に属する区域を管轄。
1872年1月8日(旧暦111月28日) - 東京府大区小区制を施行。

明治5年(39町66村)
浅草山田町が浅草田町に、雑司ヶ谷鬼子母神町・雑司ヶ谷本染寺町が雑司ヶ谷町にそれぞれ編入。
雑司ヶ谷村より雑司ヶ谷旭出町が起立。
1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示

1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法の東京府での施行により、豊島郡のうち13町65村の区域をもって北豊島郡が発足。郡役所が下板橋宿に設置。東京15区の設置

1889年(明治22年)5月1日市制施行により東京市が発足。以下の区域が編入。
南千住町 ← 千住南組[大部分]、地方橋場町[大部分]、三ノ輪村[大部分]、千束村[一部]、三河島村[一部]、下谷区の一部[下谷通新町および下谷三ノ輪町の各一部](現荒川区)
日暮里村 ← 金杉村[大部分]、谷中本村、日暮里村[大部分](現荒川区)

三河島村 ← 三河島村[大部分]、町屋村、千住南組[一部]、三ノ輪村[一部](現荒川区)
尾久村 ← 下尾久村、上尾久村、船方村[大部分](現荒川区)

1896年(明治29年)12月25日:水戸鉄道(現JR常磐線)土浦線 田端 - 土浦間、隅田川線 田端 - 隅田川間開業。南千住駅開業。(常磐線は田端駅発着であった!)

1905年(明治38年)4月1日:三河島 - 日暮里間が開通し、現在のルートが完成。日暮里駅、三河島駅開業。(つまりこの時点まで上野発着列車は田端駅でのスイッチバック運転を行っていた!)

1909年(明治42年)
8月1日:間々田 - 小山間複線化。
9月21日:小繋給水所を駅に変更し小繋駅開業。
10月12日:国有鉄道線路名称制定。秋葉原 - 上野 - 青森間を東北本線、岩切 - 塩竈間を塩竈線とする。
10月18日:笹川駅(現・安積永盛駅)、金谷川駅開業、仙台 - 岩切間に苦竹信号所開設。
11月25日:金田一駅(現・金田一温泉駅)開業。
12月16日:上野 - 田端間が直流電化。上野 - 日暮里間電車線1線増設し5線化、日暮里 - 田端間電車線1線増設し複々線化。

1913年(大正2年)7月11日 - 日暮里村が町制施行して日暮里町となる。(6町14村)

1914年5月1日: 東上鉄道(現東武東上線)、池袋駅 - 田面沢駅(現・川越市駅 - 霞ヶ関駅間)間開通。

1920年(大正9年)2月11日 - 三河島村が町制施行して三河島町となる。(9町11村)

1923年(大正12年)4月1日尾久村が町制施行して尾久町となる。(11町9村)
郡会が廃止。郡役所は存続。

1925年11月1日に開業した東北本線の電車線である東京駅 - 田端駅間(山手線が環状運行で使用)に乗り入れ、また田端駅 - 赤羽駅間は東北本線列車線(複線)に添う形で建設された電車線(複線)を増設することによって京浜電車線運転区間が延伸された。

1926年(大正15年)7月1日 - 北豊島郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。

1928年(昭和3年)2月1日:東北本線田端駅 - 赤羽駅間の電車線(複線)が完成。京浜線電車の運行区間を赤羽駅まで延伸。

1931年(昭和6年)12月19日:京成電気軌道(現・京成電鉄)の日暮里駅が開業。

1932年10月1日、東京市域拡張に伴い、北豊島郡南千住町・三河島町・尾久町・日暮里町が東京市へ編入、4町の区域をもって東京市荒川区が発足。区の発足から戦前は、東京市内で最も人口の多い区であった(当時の人口はおよそ28〜32万人)

1947年5月3日、地方自治法が施行され、荒川区は特別区となった。

1956年(昭和31年)11月19日:田端駅 - 田町駅間の山手線・京浜東北線との東北京浜線分離運転開始。

1961年(昭和36年)3月28日 - 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)日比谷線南千住駅駅が開業。

1971年(昭和46年)4月20日:ダイヤ改正。
綾瀬 - 我孫子間複々線化に伴い、現在の運転系統がほぼ確立する。
緩行線(各駅停車)が帝都高速度交通営団千代田線(営団地下鉄/現在の東京地下鉄)と相互直通運転開始(開始当時は霞ケ関駅まで、程なく代々木公園駅まで)。

2005年(平成17年)8月24日 - 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの南千住駅が開業。

2008年3月30日 日暮里・舎人ライナー(にっぽり・とねりライナー)日暮里駅と足立区の見沼代親水公園駅感で開業。

2015年(平成27年)3月14日東北本線東京駅 - 上野駅間に増設された上野東京ライン開通。

快速電車・中距離列車・特急列車の一部が、常磐線からの片乗り入れにより品川駅発着に延長された。

2017年10月14日 - 常磐線直通列車を増発し、データイムのみだった中距離列車と特急「ときわ」の乗り入れをほぼ終日に拡大。

※参照覧

※1-1、定在波の悪影響に関する一般人向けnatuch音響さんの解説記事はこちら

※1-2、定在波に関するWikipediaの(技術者向け)解説はこちら。

※ 関連記事『ホールに潜む ミステリー ゾーン (スポット)とは?』はこちら。

 

公開:2018年7月23日
更新:2022年9月30日

投稿者:デジタヌ


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