旅するタヌキ

【ホール 音響 ナビ】世田谷区民会館 

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世田谷区民会館

Official Website https://www.setagaya.co.jp/kuminkaikan/setagaya/

世田谷区民会館のあらまし

のどかな寒村であった世田谷区の誇る文化施設。

昔しから有名人数多く住んできた静かな住宅街「世田谷区」の中心部であり、中心地の世田谷4丁目に世田谷区庁舎と共に佇む、文化の町「世田谷」を代表する施設。

1959年竣工の「レトロでモダン」なホールは市民団体の活動の中心地でもある。

第一庁舎、第二庁舎及び隣接する世田谷区民会館(1959年竣工)は前川國男による設計である。

世田谷区民会館のロケーション

所在地  世田谷区世田谷4丁目21番27号

東急世田谷線世田谷駅と松陰神社前駅の北側。

第一・第二・第三・庁舎と並んで佇んでいる。北側には国士舘大学のキャンパスが拡がっており、若林公園が豊かな樹木を茂らせて、このあたりは区民の憩いの場と成っている。

世田谷区民会館へのアクセス

東急世田谷線 松陰神社前駅下車 徒歩5分
乗換駅 京王線 下高井戸駅
小田急線 豪徳寺駅
東急田園都市線 三軒茶屋駅

世田谷区民会館が得意のジャンル

プロ演奏団体、以外にも数多くのアマチュア団体が利用している。

映画界なども催されている。

世田谷区民会館の公演チケット情報

チケットぴあ該当ページへのリンクはこちら。

※ご注意;以下※印は当サイト内の関連記事リンクです。
但し、その他のリンクは施設運営者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

施設面から見たホールの特色

公式施設ガイドはこちら

モダニズムの大家故前川國男先生の初期の作品

平土間から続く緩やかなメインフロアーと、大向うから両サイドに前方に伸びたサイドテラス席を持つプロセニアム型の多目的ホール。

日本のコンサートホールに新しいページを開いた1954年の作品「神奈川県音楽堂」から5年、神奈川県音楽堂とは打って変わってモダニズムバリバリの内装でデザインされている。

内装はもちろん打ち放しコンクリ―壁主体のアンギュレーションを持たせた壁でホール客席を囲み、「定在波」(※1)への配慮はあるが、初期反射波(※2)の抑制には配慮していない「巨大エコールーム」(※3)風のデザインである。

この時代は「戦後モダニズム建築」の興隆期でもあり、「音楽ホール設計概念」が確立していない時期なので、モダニズムバリバリの内装となったのであろう。

但しメインフロアー側壁はプレーンな木質プレートとなっている。

ホール音響評価点:72点

§1,「定在波対」策評価点:20点/40点満点

  • ※各フロアーの配置・形状、壁面形状、天井形状、天井高さ、等の要素をそれぞれ減点法で算出。
  • ※客席側壁がプレーンな垂直壁で「完全平行・平面」の場合は、満点x0.5=20点をベースに算出。

§2、残響その1 「初期反射」対策評価点:18点/20点満点

  • ※壁面の素材・形状、客席配置、その要素で減点算出。
  • ※(コンクリート、人造大理石、タイル・陶器製などの)硬質材の客先周辺壁材仕様は、満点x0.5=10点をベースにして減点算出。

§3,残響その2「後期残響」への配慮評価点:20点/20点満点

  • ※壁面形状、音響拡散体(相当要素)、テラス軒先形状、天井構成、その他の要素で減点算出。

§4,客席配置への評価点:14点/20点満点

  • ※壁際席、大向こう席、平土間部分の見通し(眺望)不良、それぞれ-1点/1箇所で減算。
  • ※客席周辺壁材が硬質壁の場合は、満点x0.8=16点をベースに減点算出。

※関連記事「後悔しないコンサート会場の見分け方」まとめ  はこちら。

総評

先生は、はっきり言って「音楽には興味のない音楽音痴」の方でおなじころの日本音響建築学の草分け早稲田大学の大隈講堂を設計された佐藤武夫先生のようなセンスはお持ちではなかったようで、「デザイン的な面白さ」を追求なさった方である。はっきりいって「神奈川県音楽堂」や「東京文化会館」のように、東大音響研究室や、NHK放送研究所の横やり?がない限りは、「余韻」やぬくもりを感じさせる「木材」には「合理性を見出せない方」であった。

歴史的価値もなくはないので今後の大改修で、メインフロアー側壁を木質グルーブ材のアンギュレーション配置に、ホール後方まで含め2階客席周辺部(中層部)を、そしてサイドプロセニアムも同じく木質グルーブ材で表装すれば、無様な音響ネットで表装された、大向う背後の吸音壁は撤去できるであろう。

詳細データ

  1. 施設名称/所有者 世田谷区民会館/世田谷区。

  2. 指定管理者/運営団体 (株)世田谷サービス公社/世田谷区。
  3. 開館   1959年竣工。
  4. ホール様式 『シューボックスタイプ』プロセニアム型式多目的ホール。
  5. 客席    1フロアー、収容人員 1,202名、2階テラス(桟敷席)、仮設本花道、
  6. 舞台設備  プロセニアムアーチ:ブドウ棚(すのこ)、脇花道、可動反響版、
  7. その他の設備 
  8. 付属施設  楽屋x3、ホワイエ、エントランスロビー、会議室、
  9. 施設利用(利用料金等)案内 詳しくはこちら。
  10. 設計  故前川國男先生。
  11. ゼネコン 大成建設
  12. 付属施設・その他 

    • 各種図面

  1. ホール付属(専用)施設 
    1. 個別ホール専用・備品利用料金表 はこちら

付属施設・その他 

  • 付属(共用)施設 
  • 公式共用設備ガイド(※全施設配置図・フロアマップ)はこちら
  • ※リハーサル室、音楽実習室、音楽スタジオ、練習室x等、集会室。

施設利用料金

デジタヌの独り言

1981年新耐震基準施行前の建物

先生の代表作の1つとされる翌年1960年竣工の旧京都会館が閉館解体され、この時期の作品としては、1961年の東京文化会館大・小ホール、1962年の神奈川県立青少年センターホール位しか残っていないが、「ホールは活き物」であり、モニュメント・美術品では無いので、思い切って閉館・解体するか、東京文化会館のように「内装を含めて」全面的にリニューアルする必要があるだろう。

後年先生も「木壁」の重要性について実感された様で、この時期の作品には、「痛恨」はあっても「惜別」の思いは無かったであろう。

「懐古趣味」の「音痴」の大先生方が「保存運動」を起こす前に区の「大英断」が必要な時期にさしかかっているような気がするのだが...。

メインフロアー周辺に設えられた2階テラス席など現代のシューボックスホールに先んじた部分も有り、

東京文化会館の様に、ホール壁面を「木壁」に改装するだけでも、素晴らしい音楽ホールと成るであろう。

(※関連記事、京都会館「新築・更新に関する記事」はこちら

デジタヌの知っておきたい豆知識

※1、定在波の悪影響に関するnatuch音響さんの解説記事はこちら。

※2直接音、初期反射音、残響音についての(株)エー・アール・アイさんの解説はこちら。

※3エコールームに関する「音工房Z」さんの解説記事はこちら

世田谷区民会館のある世田谷区とこれ迄の歩み

世田谷区

23区の西の端、旧武蔵国豊嶋郡に当たるエリアにある。


推計人口、925,226人/2018年4月1日

元来この地域は武蔵国にあり、江戸時代、明治・大正時代も同地域の地方郡に属していた。地理的に東京区部の扱いになったのは、昭和時代の世界恐慌後に荏原郡や北多摩郡から旧東京市に編入されてからである。

多摩川の段丘の斜面の連なりを「国分寺崖線」と言い、区ではその一帯を「みどりの生命線」と呼ぶ。

区は世田谷、北沢、玉川、砧(きぬた)、烏山(からすやま)の5つの地域に分けられている。各地域に行政機構の一部として総合支所が置かれる。

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.

武蔵国

埼玉県、東京都の殆どと神奈川県川崎市・横浜市などの一部地域を含む。川越市のある入間郡、など現埼玉県域に14郡、神奈川県域に3郡、東京都域に4郡、東京都・神奈川県にまたがって1郡が広がっていた。

世田谷区の属していた荏原郡・北多摩郡


797年 - 続日本紀には武蔵国の郡名として荏原郡の名が見える。
927年 - 延喜式神名帳に荏原郡の社として薭田神社、磐井神社が上げられている。
938年 - 和名類聚抄によれば、荏原の訓は「江波良」(えはら)とされている。
10世紀後半 - 延喜式 に、荏原郷の渡来人が大和朝廷に荏胡麻の油を献上したとある。
江戸時代には荏原郡の村々は、六郷(34村)・馬込(13村)・世田谷(30村)・品川(13村)・麻布(5村)の5領に分かれ、合計で95か村があった。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

名刺以降に分離新設された荏原郡の江戸末期の支配は

幕府領 8町・58村

旗本領 12村

彦根藩飛び地 8村

寺社領 15村

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め武蔵国も幾多の行政変遷にさらされた。

慶応4年
1868年8月17日(旧暦6月29日) - 旧幕府代官の松村長為が武蔵知県事に就任し、当郡域を管轄。
8月 - 松村長為知県事が古賀定雄(一平)に交代。
1868年12月18日(明治元年旧暦11月5日) - 町地および隣接する区域(下高輪町・上高輪町・今里村・白金村・白金台町)が東京府(第1次)に編入。

1869年2月23日(旧暦明治2年1月13日() - 武蔵知県事のうち、古賀の管轄区域に品川県を設置。

1871年8月29日(旧暦7月14日) - 廃藩置県布告により藩領が彦根県となる。
11月14日(1871年12月25日) - 東京府(第2次)が発足。品川県の荏原郡に属する区域を管轄。
11月22日(1872年1月2日) - 彦根県が長浜県に統合。
11月28日(1872年1月8日) - 大区小区制を施行。

明治5年1月24日(1872年3月3日) - 長浜県のうち、荏原郡に属する区域を東京府に移管。

1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示


明治11年(1878年)11月2日 - 郡区町村編制法の東京府での施行により、行政区画としての荏原郡が発足。郡役所を北品川宿に設置
1889年(明治22年)5月1日市制施行により東京市が発足。以下の区域が編入。


駒沢村 ← 下馬引沢村、上馬引沢村、野沢村、深沢村[大部分]、世田ヶ谷村新町、弦巻村[大部分]、世田ヶ谷村[一部]、下野毛村[一部](現世田谷区)
世田ヶ谷村 ← 池尻村、三宿村、太子堂村、若林村、下北沢村、代田村、世田ヶ谷村[大部分]、経堂在家村、弦巻村[一部]、赤堤村[一部]、松原村[一部]、瀬田村[一部](現世田谷区)
玉川村 ← 尾山村、奥沢村、等々力村、用賀村、瀬田村[大部分]、野良田村、上野毛村、下野毛村[大部分]、衾村[一部]、下沼部村[一部]、深沢村[一部](現世田谷区)
松沢村 ← 赤堤村[大部分]、松原村[大部分]、上北沢村、世田ヶ谷村[一部](現世田谷区)


郡会が廃止。郡役所は存続。

1913年(大正2年)4月15日 - 軌道法に基づく京王電気軌道が、笹塚駅 - 調布駅間を開業(12.2km、軌間1,372mm)

1923年(大正12年)4月1日世田ヶ谷村が町制施行して世田ヶ谷町となる。(9町10村)
郡会が廃止。郡役所は存続。
1925年(大正14年)1月18日に玉川電気鉄道(玉電:現東急世田谷線)三軒茶屋駅 - 世田谷駅間開業

1927年(昭和2年)4月1日 小田原急行鉄道株式会社、一部単線で小田原線全線を開業。


1927年(昭和2年)7月6日 目黒蒲田電鉄(目蒲電鉄)が大井町 - 大岡山間を開業。当時から大井町線という路線名であった

同年7月15日に玉川電気鉄道の溝ノ口線(軌道法に基づく軌道)として二子玉川 - 溝の口間が開業した。

1929年(昭和4年)11月1日 二子玉川線として自由ケ丘(現・自由が丘) - 二子玉川間を開業
同年12月25日 大岡山 - 自由ケ丘間開業により全線開業。二子玉川線を大井町線に統合し、大井町 - 二子玉川間の直通運転を開始

1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。同日荏原郡消滅。

世田谷区 成立← 世田ヶ谷町、駒沢町、玉川村、松沢村

1933年(昭和8年)8月1日 井の頭線渋谷 - 井の頭公園間開通。

1964年10月6日 : 第三京浜道路 玉川インターチェンジ - 京浜川崎インターチェンジ間が暫定4車線で開通。
1968年(昭和43年)4月25日 : 東名高速道路東京IC - 厚木IC間開通。

1969年(昭和44年)5月26日 : 大井松田IC - 御殿場IC間 延伸開通により、東名高速道路全線開通。

1971年(昭和46年)12月21日 : 首都高速3号渋谷線渋谷出入口 - 用賀出入口間開通により、首都高速道路と接続。

1977年(昭和52年)4月7日に新玉川線(渋谷 - 二子玉川(当時は二子玉川園)間は開通。

2003年(平成15年)3月19日 半蔵門線の押上駅への延伸に伴い田園都市線を介して東武伊勢崎線・日光線との相互直通運転を開始。

世田谷区民会館これまでの歩み

1959年 故前川國男氏による設計で第一庁舎、第二庁舎及び隣接する世田谷区民会館が完成。

世田谷区民会館以外の東京都の劇場ガイド

東京都にある公共ホールのまとめ』ページはこちら。

世田谷区民会館の周辺観光スポット&イベント情報ガイド

『国立科学博物館』などの『首都圏エリアの観光スポットまとめ』記事リンクはこちら。

『浅草サンバカーニバル』や鉄道イベントなどの『首都圏エリアの観光イベント情報』はこちら。

『ベルギービールウィークエンド東京』などの『関東エリアのお酒イベント情報』はこちら。

『荻窪音楽祭』や音楽コンクールなどの『首都圏エリアの音楽イベント情報』はこちら

全国芸術祭情報はこちら。 

トリップアドバイザーの周辺口コミガイドはこちら。

東京都の特産品&名物ガイド

『虎屋のようかん』など東京都の名産品ガイドはこちら、『澤乃井』など東京都の銘酒ガイドはこちら、『東京都』など東京都の地ビールガイドはこちら

公開:2017年12月15日
更新:2018年8月11日

投稿者:デジタヌ

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