狸穴ジャーナル・別冊『旅するタヌキ』

日比谷公会堂《ホール音響Navi》

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明治以来の古典的な公民館とは違って、1911年3月1日に横河民輔氏の設計で竣工した旧・帝国劇場(※ホール ナビはこちら。)、1924年完成の旧宝塚大劇場、1927年10月誕生の大熊講堂、1929年10月完成の当館、1930年9月30日完成の名古屋市公会堂(※ホール ナビはこちら。)1933年9月開館の2780席を誇った旧・大阪劇場(大劇)1953年(昭和28年)12月誕生の旧なんば花月劇場。1956年11月 開館の 旧梅田コマ劇場、1992年11月開館現梅田芸術劇場・シアタードラマシティー(※ ガイド記事はこちら)、1993年開館宝塚大劇場(※ホール ナビはこちら。) 2001年1月開館現東京宝塚劇場( ※ホール ナビはこちら。)と現代までレビュー・ショー劇場、映画館の定型として受け継がれている。

序奏 日比谷公会堂

Official Website http://hibiya-kokaido.com/

※ご注意;以下※印は当サイト内の関連記事リンクです。
但し、その他のリンクは施設運営者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

アーリーアメリカンスタイル・レビュー&ショー劇場の定番デザイン

平土間に近い緩やかなスロープを持つメインフロアーと巨大な2階バルコニー席を持つ2層構造のプロセニアム形式多目的ホール。

1,052席のメインフロアー?と2階バルコニー席1,022席がほぼ同規模という珍しいデザインのホール。

レビュー&ショー劇場や昔の巨大映画館のように、2階バルコニー軒先がメインフロアー上部に

大きく覆いかぶさったデザインのホール。

先代フェスティバルホールの原型、石造りバージョン

現代の水準から言うと、かつての先代フェスティバルホール同様に、バックステージを含めた舞台も狭く、オーケストラピット設備もないので、オペラや、バレエ公演はまず不可能な施設と言える。(先代フェスティバルホールには奈落、道具迫り、オーケストラピットは設えられていた。)

日比谷公会堂のロケーション

ところ  千代田区日比谷公園1-3

日比谷公園の南端、東京メトロ千代田線の通っている 通りに面して、日比谷公園大音楽堂、日比谷図書文化館、とともに佇んでいる。

千代田区と周辺にある観光スポットについてのトリップアドバイザーの 口コミ ナビはこちら。

日比谷公会堂へのアクセス

鉄道・バスなどの公共交通

もよりの駅

都営三田線 内幸町駅A7出口より 徒歩約1分100m

東京メトロ千代田線・日比谷線・丸の内線霞が関駅C4出口より徒歩約4分300m。

都営三田線・東京メトロ千代田線日比谷駅 A14出口より徒歩約5分350m

JR・東京メトロ銀座線新橋駅 より徒歩約7分550m。

マイカー利用の場合

(※周辺駐車設備(民間有料駐車場)が少ないので公共交通機関利用がおすすめ)

日比谷公会堂がお得意のジャンル

主にセミナー、講演会、市民団体の集会、お稽古事の発表会などに用いられ、往年のアイドル・エンタテイナーのワンマンショウ、ジャズコンサート、トークショー、着ぐるみヒーローショー、大道芸、パフォーマンス・ショーなどの色物などジャンルに拘らない(なりふり構はない?)バラエティーに富んだイベントが行われていた。

日比谷公会堂の施設データ

  1. 所属施設/所有者 日比谷公会堂/日比谷区。
  2. 指定管理者/運営団体 日比谷公会堂・大音楽堂管理事務所/日比谷区。
  3. 竣工・開館   1929年10月19日完成
  4. 設計  佐藤功一

  • ホール様式 プロセニアム型式多目的ホール

  1. 客席仕様; 2スロープ2フロアー 
     
  2. 収容人員;2,074席、(車椅子用スペース含む、)
    • 1階固定席X1,052席、
    • 2階席X1,022席、木質パーケット床、

第1部 日比谷公会堂の音響

1975年にバイエルン放送交響楽団が来日した際、指揮者のラファエル・クーベリック氏が「日比谷公会堂の音響に問題がある」としてプログラムを変更する事件が起こったらしいが...

ヨーロッパのオーバーラップの少ない多層バルコニー・テラスで造作されたオペラハウスや大ホールに慣れ親しんだ指揮者の目には、オーバーラップの大きいアメリカン・ショー劇場は異様に映ったのであろう!

指揮者の井上道義氏がこれに猛反発してこのホールでショスタコーヴィチの交響曲全集をレコーディングしたことは語り草になっているらしい。

(※ステージ上ではR・クーベリックさんのおっしゃった意味はたぶんご理解頂けないでしょうね!)

2層ホールは2階バルコニー最前列が「最も良い音が聞ける」という都市伝説が生まれたホール?

このホールは10階建てビルに相当する高さがあり、事実2階バルコニー席は2階から4階フロアーに達する壮大なスケールをもっている。

このホールや、初代フェスティバルホールの音響から2層ホールは2階バルコニー最前列が「最も良い音が聞ける」というホール神話が生まれたのであろう。

建設当時はモダンで先端を行くデザインであったろうが、今となってはレトロな映画館を思わせる、コンクリート内壁とバルコニーの形状は、レトロ感は在っても田舎町のありふれた市民会館ほどの印象しか得られない代物でもある。

音響的には側壁はアンギュレーションを持たせ、対抗する側壁との並行面をキャンセルしてはいるが、それも2階バルコニーだけの話で...。

正に巨大映画館風の1階フロアー

1階メインフロアー後半側壁はツンツルテンの垂直壁!で天井の低さと相まって、ホール横断定在波(※1)の嵐!で一帯がミステリゾーン(※2)となっている。

600席余りのオーディエンスにとっては、天井の低さ!と相まって?、とても音楽を鑑賞するような環境ではないだろう。

天井は、当時出回りだした、石膏ボードをアーチ状に並べた反響板。

ホール最前部に当たる1階500席の周辺壁面はコンクリート製プロセニアムから続く装飾アーチ(コーナー反響板)と同意匠のプレーンな垂直壁になっており大熊講堂とは異なり、装飾窓ではなく、円形レリーフがあしらわれている。

この部分はモザイクタイルで表装されている。

※1-1、定在波の悪影響に関する一般人向けnatuch音響さんの解説記事はこちら

※1-2、定在波に関するWikipediaの(技術者向け)解説はこちら。

※2、関連記事『ホールに潜む ミステリー ゾーン (スポット)とは?』はこちら。

総評

ウーンこれはヤッパ、生き残るには中野サンプラザの後釜だね!

ホール音響評価点:得点65点/100点満点中

§1 定在波」対策評価;得点46点/配点50点

  • ※各フロアーの配置・形状、壁面形状、をオーディエンス周辺壁面(概ね人の背の高さ:約1.8mの範囲内)の設えで評価する。
  • ※客席側壁が ホール床面積の1/3以上に及ぶ範囲を「完全平行な平面壁」で囲まれているときには 配点25点に減ずる。
  • ※基礎点に障害エリア客席数比率を乗じて算出する

§2 残響その1 「初期反射」軽減対策評価;得点6点/配点25点

  • ※木質パネル等の素材基礎点25点から硬質壁材基礎点12点の間5段階で素材基礎点を与える。
  • 障害箇所1点/1箇所で基礎素材点から減じて基礎点とする。
  • ※基礎点に障害エリア客席数比率を乗じて算出する

§3 「音響障害と客席配置」に対する配慮評価;得点11点/配点20点

  • ※壁際通路&大向こう通路の有無、天井高さ&バルコニー・テラス部の軒先高さ、平土間部分の見通し(眺望)不良、それぞれ-1点/1箇所で配点から減じて基礎点とする。
  • ※基礎点に障害エリア客席数比率を乗じて算出する

§4 残響その2「後期残響」への配慮評価;得点2点/配点上限5

  • ※壁面形状、音響拡散体(相当要素)、テラス軒先形状、天井構成、その他の要素で評価。
  • ※上限5点の範囲内で上記1点/1アイテムで加算評価。

※関連記事 「ホール音響評価法についての提案」はこちら。

算出に用いた値;

定在波評価

基礎点B1=配点50点ー障害発生エリア数2=48点

定在波障害顕著席数;46席(44席/1階JからT列、2席/2階大向うT列両端)

初期反射対策評価

基礎点B2=素材基礎点12点ー障害発生エリア数2=10点

初期反射障害1 壁面障害席 ;40席/2階大向こう

初期反射障害2 天井高さ不足席;654席(622席/1階JからU列全席、32席/2階大向う)

重複カウント ;ー20席

音響障害席総計;674席

客席配置評価

基礎点B3=基礎点20点ー障害発生エリア数3=17点

眺望不良席数;36席/1F平土間中央部AからC列23から34番

音響不良席その1 定在波障害顕著席 ;46席

音響不良席その2 初期反射障害1壁面障害席 ;40席

音響不良席その3 初期反射障害2 天井高さ不足席;654席

重複カウント ;ー66席

音響障害席総計;710席

算定式 

評価点V=基礎点X(総席数ー障害座席数)/総席数

第2部 一刀両断?

そもそもが巨大公民館風の建物であり、現在の2000人規模の大型ホールの常識から見て奥行・幅共に極端に不足している狭いステージは、エプロンステージ設備も無いために、大編成オーケストラの公演では、両サイドステージ反響板を使用せずに、無様な舞台裏を露出して演奏会が開催されていた。

あの大熊講堂のデザインを指揮された佐藤功一先生の作品とは思えない、出来の悪さである。

2000人超の収容人員はプロモーターにとっては興行的に魅力的な数字なのだろうが、クラシック系アーティスト&オーディエンスにとっては、今や何の魅力も有難みもないスペックのひとつではある。

このホールを蘇生するのであれば、コンセプトを明確に

「引くも地獄、進も地獄」とはこのことか...。

今後のことを考えたら、いっそのこと外観(面影)だけを残して、中央区さんの日本橋劇場(※ホール ナビはこちら。)ような、小粋な芝居小屋に建て替えたほうが、年間稼働率が稼げて、区民の方にも叱られないで済むのでは?

元来建設当初より劇場・芝居小屋の激戦区?、で当時の東京市千代田区の建造コンセプトは大型公民館程度、つまり大型講堂;特大集会施設程度にしか想定されていなかったのであろう。

為に映画館程の申し訳程度のステージと、大集会にふさわしい規模2000席が掲げられ、ほかはどうでも良かったのであろう'?

クラシックコンサートによく用いられていたというのも、舞台が狭く、設備も貧弱で、とても伝統芸能や、演劇、ましてや、バレエ、オペラ公演にも使えず、小さな編成の管弦楽演奏会程度しか使い道がなかった為ではないのか?

それゆえ戦後になって1959年の第2次イタリア歌劇団公演では旧・東京宝塚劇場が使われ、戦後始まったNHK紅白歌合戦も1956、57、59、61-72年と旧・東京宝塚劇場が使われたのであろう。

戦前と違い近くにはサントリーホールも

そんな巨大映画館まがいの施設でも、他の民間施設が「一か月単位の興行」しか受け付けないのに対し、「日割りレンタル」で使える手ごろな洋式ホールとして重宝がられていたのであろう。

しかしニューウェーブの東京文化会館が出来、さらに目と鼻の先 港区赤坂にサントリーホールが開館すると、狭くて、古くて使いづらい当館はしだいにクラシックコンサートの会場としては敬遠されだしたのであろう。

バックステージの狭さはどうしようもない

バックステージの狭さは建て替えでもしない限りはどうしようも無いので、現ステージサイズと設備で出来ることと言えば、ポップス系のコンサートと、歌謡歌手の歌謡ショーぐらいであるが、共に帯に短したすきに長しの中途半端な収容人員であり、あまり年間稼働率が稼げるとは思えない。

講堂なら使える?

講堂や会議場なら使えそうだが、そう頻繁に株主総会や、市民団体、政治結社の大決起大会があるわけではないし、近くの有楽町駅前には東京フォーラムがあり、今更数ケ国語の同時通訳設備を導入したとしても、大会議場?だけでは、大宮のソニックシティー(※ホール音響ナビはこちら)ホール同様に、「客が付かない?」

エプロンステージ増設は不可能!

狭いステージで出来ることやはりオーケストラコンサートぐらいであろうが、最低限座席数を減らしてでも「エプロンステージ」の増設が必要であろう!

それと重量級の自走式バルクヘッドを用いて、今どきのホール同様にプロセニアムと一体化を狙う?

ところが、2階バルコニー席が急峻な割には、舞台前縁ギリギリ迄しか望めない「映画館スタイルデザイン」でエプロンステージ増設などもってのほか!

現状維持(意地?)で出来ることは?第2の中野サンプラザ

そこで、現状維持でも対応できるのはやり、ポップス系の単発コンサートしかないだろう!

これなら、ステージが狭くても大して問題にはならない!

それに、現在ヤングアイドルの登竜門として絶大な人気を誇っている、中野サンプラザ(※ホール音響ナビはこちら)が2022年に閉館解体し2025年に約1万人規模のアリーナに生まれ変わるのは諸兄ご承知の通り。

つまり2000人規模の適当なホールが一つ消えるわけである!

これはもう後釜を狙わない手はないだろう!...ねえ千代田区さん。

回想部 エンディング 

日比谷公会堂のこれまでの歩み

1929年10月19日 完成

2006年(平成18年)4月1日より、日比谷野外音楽堂とともに、指定管理者である民間企業グループに代行。

2016年(平成28年)改修工事のために休館。

佐藤功一先生の作品

設計グ-プを率い日本の建築音響学の始祖・佐藤武夫先生と共に大熊講堂(※ホール ナビはこちら。)を設計されたチーフデザイナー佐藤功一先生の作品。

開館以来戦前戦後を通じて、東京で唯一のコンサートホールとしてプロ・オーケストラの演奏会やソリストのリサイタルなども多く開かれたが、戦後になって1961年完成の東京文化会館(※ホール ナビはこちら。)を皮切りに、1986年開館サントリーホール(※ホール ナビはこちら。)、1989年開館のオーチャードホール(※ホール ナビはこちら。)、1990年開館の東京芸術劇場(※ホール ナビはこちら。)、1997年開館のタケミツ メモリアル(※ホール ナビはこちら。)といったニュージェネレーションの大型ホールが増え、コンサートホールとしての地位は低下し、講演会、イベントなどの利用が増え、クラシック音楽の演奏会はほとんど開催されなくなっていた。

2006年(平成18年)4月1日より、日比谷野外音楽堂とともに、大星ビル管理㈱、㈱共立、(公財)東京都公園協会による企業グループが指定管理者として運営を代行している。

尚現在は2016年(平成28年)以来耐震補強を主とする大規模改修工事のために休館中である。

 

公開:2018年8月 2日
更新:2022年9月30日

投稿者:デジタヌ


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