旅するタヌキ

【ホール 音響 ナビ】郡山市民文化センター 奥州の元・郡山村・明治新政府による人造都市郡山市が音楽都市宣言の拠りどころにしている文化施設

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郡山市民文化センター

Official Website http://bunka-manabi.or.jp/kc-center/

郡山市民文化センターのあらまし

コンサートホール・会議室・展示室などを擁する複合施設。

福島県最大の収容人員 1998名を誇る大ホールである。

(大きいことは良いことだ、福島県民チョコレート?)

郡山市民文化センターのロケーション

ところ  福島県郡山市堤下町1番2号

福島県郡山市の「文化通り」沿いにある。

郡山市民文化センターへのアクセス

最寄りの駅 JR郡山駅(東北新幹線・東北本線・磐越西線・磐越東線・水郡線)から
徒歩20分

郡山市民文化センターがお得意のジャンル

大ホール

  • オーケストラコンサートバレエ公演以外にもミュージカル、Jポップ関係のコンサートや、往年のアイドル・エンタテイナーのワンマンショウ、ジャズコンサート、歌謡ショー、懐メロ歌手の歌謡ショー、有名タレントの座長ショー、現代演劇、吉本新喜劇!、伝統芸能、落語・演芸寄席、大道芸、パフォーマンス・ショ等ジャンルに拘らない幅広い演目でこのエリアの多くの人達に受けいれられている。

  • またプロ演奏団体、以外にも数多くのアマチュア団体が利用している。

中ホール

  • ソリストのリサイタル、ジャズコンサート、現代演劇、伝統芸能、落語・演芸寄席、大道芸、パフォーマンス・ショーまでジャンルに拘らない幅広い演目でこのエリアの多くの人達に受けいれられている。

郡山市民文化センターの公演チケット情報

チケットぴあ該当ページへのリンクはこちら

施設面から見たホールの特色

(詳しくはこちら公式ガイドへ)

※ご注意;以下※印は当サイト内の関連記事リンクです。
但し、その他のリンクは施設運営者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

何れのホールも「難物・厄介者」の石材を使用しているが、ホール周辺壁面に座席を配置していない点が救われる。

大ホール

(詳しくはこちら公式ガイドへ

仮設本花道こそ備えていないが脇花道にはスッポン迫りが設備され、直径15.5mの回り舞台も設備されており、歌舞伎などの伝統芸能公演にも対処している。

開館当時の1980年代には音響設計が確立しておらず残響(初期反射と後期残響)の概念も普及しておらず、当時流行った石材を用い、アンギュレーション&段差で対抗並行面対策をしている。

その後2007年の改修時に残響可変装置兼用の「音響拡散体」が壁面に装備され、初期反射の低減と後期残響特性が改善された。

ホール音響評価点:64点

※関連記事「後悔しないコンサート会場の見分け方」まとめ  はこちら。

内訳

定在波対策評価点:20点/40点満点(※客席周辺平行壁はx0.5が持ち点と成ります)

残響その1(初期反射)対策評価点:10点/20点満点(※石材壁の場合はx0.5が持ち点と成ります)

残響その2(後期残響)への配慮評価点:20点/20点満点

客席配置 14点/20点満点(※石材壁の場合はx0.8が持ち点と成ります、)

中ホール

(詳しくはこちら公式ガイドへ)

1階メインフロアー後半スロープ部側面部に「高床式テラス」を設けたデザインを採用している。

大ホール同様の設えのホール、こちらは壁面をノコギリ状に配置し、初期反響の軽減及び後期残響創出を狙ったデザイン

客席上層部両サイド壁面が可変開口部(シャッター)を持つ吸音壁となっている。

客席後部大向こう通路上が調整ルームになっており硝子窓以外の前面は音響ネットで表装した吸音壁と成っている。

ホール音響評価点:71点

内訳

定在波対策評価点:30点/40点満点(※客席周辺平行壁はx0.5が持ち点と成ります)

残響その1(初期反射)対策評価点:10点/20点満点(※客席周辺石材壁の場合はx0.5が持ち点と成ります)

残響その2(後期残響)への配慮評価点:15点/20点満点

客席配置 16点/20点満点(※客席周辺石材壁の場合はx0.8が持ち点と成ります、)

リハーサル室

(詳しくはこちら公式ガイドへ

13mx15.5m床面積201.5㎡(約121畳)の2階吹き抜けの高い天井を持つ立派なリハーサル室。

2階吹き抜け相当の天井の高い1984年当時としては、音響にも配慮した、先進的な「使えるリハーサル室」を設備している。

長辺片面全面手すり付き鏡張りでダンス・バレエ対応となっているが、音響カーテンも用意されている。同じく短辺の片面は要所を音響グリルで表装した吸音壁を配置したプレーンな石膏ボード壁であるが、対抗面は長辺同様にアンギュレーションを付け、天井もアンギュレーションを付けて「定在波対策に周到を期している」

開館側の了承が得られれば、お稽古事の発表会には最適の平土間オープンステージホールとして使えそうである。(多分この会館内で一番心地良い響きであろう)

ホール音響評価点:90点

内訳

定在波対策評価点:45点/50点満点

残響その1(初期反射)対策評価点:45点/50点満点

施設データ

  1. 所属施設/所有者 郡山市民文化センター/郡山市。
  2. 指定管理者/運営団体 財団法人郡山市文化・学び振興公社/郡山市。
  3. 開館/竣工  1984年11月10日/1984年⑼月 (2007年リニューアル実施)
  4. 総事業費 75億円

大ホール

  1. ホール様式 、プロセニアム型式多目的ホール。
  2. 客席   3フロアー 収容人員 1998名、可動床、仮設本花道、あゆみ板、
  3. 舞台設備 、プロセニアムアーチ:間口:20m、高さ:10m、奥行:20m
    大迫り、小迫り、廻り舞台直径15.5m、ひな壇迫り、脇花道、スッポン迫り、可動反響版、オーケストラピット(可動床)
  4. その他の設備 、楽屋x2、

中ホール

  1. ホール様式 プロセニアム型式多目的ホール。
  2. 客席   1フロアー 収容人員 800名、1階桟敷席、客席可変残響装置
  3. 舞台設備 プロセニアムアーチ:間口:16m、高さ:7.5m、奥行:16m、可動反響版、オーケストラピット(可動床)
  4. その他の設備 、楽屋x2、

付属施設・その他

    1. 付属施設 リハーサル室x、練習室x2、会議室x5、集会室、和室、展示室他
    2. 施設利用(利用料金等)案内 詳しくはこちら。

デジタヌの独り言

1984年開館だから全国に「石材壁ブーム」の嵐が吹きまくっていたときのホールではあるから仕方ないのかもしれないが、少なくとも東北の「郡山」なのだから、輸送費もそんなに掛からないはずで「マジックボックス(残響調整箱)」などに頼らず、近隣の福島県産の材木をふんだんに使用した「心地良い韻」のホールを目指すべきでは無かったか?

デジタヌの知っておきたい豆知識

郡山市民文化センターのある福島県と郡山市のこれ迄の歩み

福島県

推計人口、1,867,150人/2018年4月1日

新潟県の東隣で東北の県では関東に一番近い、古来より奥州の表玄関に当たる。

日本海には達していないが東西に長い形状をしており2つの山地(阿武隈高地と奥羽山脈)によって「浜通り」「中通り」「会津」の3つの地域に分かれている。

郡山市

旧陸奥国安積郡にあった、仙台市、いわき市に次いで東北第3の人口を有する。郡山都市圏の中核市でもある。

推計人口、332,824人/2018年4月1日

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている。

陸奥国

令制国が制定された当時は日本はまだ統一されておらず、陸奥国が(現福島県域)が大和朝廷の勢力の北限で陸奥国以北は(大和朝廷が)「蝦夷」と呼ぶ大和朝廷の勢力範囲外であった。

其の後陸奥国は、蝦夷との戦争をへてしだいに領域を北に拡大し、最終的に突出して面積の大きな国になった。

802年1月9日 都が京に移った平安京時代に田村麻呂が陸奥国に派遣され同年4月15日に、大墓公阿弖利爲(アテルイ)と盤具公母礼(モレ)が500余人を率いて降伏したと『日本紀略』に記されており。この日を持って東北に於ける大和朝廷の東北平定が終わったとされている。。

其の後、幾多の変遷の後に平泉を本拠地とする奥州藤原氏が陸奥・出羽の支配者になった。彼らは、朝廷から派遣された国司が統治するという律令制の大原則を侵食し、奥州藤原氏は自治的領域を築くようになった。

奥州藤原氏の勢力圏は陸奥国全域におよび、現在の福島県中通りは、信夫佐藤氏が現宮城県南西部、現山形県南部、中通り中部、会津迄支配した。中通り南部は石川氏が統治し浜通り南部は岩城氏が統治していた。しかし、信夫佐藤氏、石川氏、岩城氏のいずれも、平泉の奥州藤原氏に服属していた。

奥州藤原氏は後の陸中国域(岩手県)にあたる平泉を本拠に、平氏政権のもとでも半独立の状態を維持した。

郡山市の所属していた

906年 陸奥国安達郡から「安積郡」分立。

1189年 源頼朝の攻撃を受け奥州藤原氏滅亡。

戦国時代に北関東・東北においては一国以上の領国を持つ戦国大名は少なく中小の地域勢力が分立する傾向をもっていて、栄枯盛衰は止むことはなく、隣接する常陸国佐竹氏や越後国上杉氏の影響も受けるが、一時期伊達政宗が、福島県域の浜通りを除く大半を領有していた。

豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗が伊達氏の元の本領以外没収れる。

紆余曲折の後、越後国の上杉景勝が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。

江戸幕府の「入組支配」


入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

関ヶ原の戦いによって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。

代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立するがあ其の後蒲生氏は伊予松山藩に転封(国替え)。其の後の領主が変わり幕府領となり。

1643年に松平氏保科正之が23万石で入封し、この松平氏会津藩が戊辰戦争まで続く。

但し領地は城下と各郡域にある飛び地、で大幅に縮小されている。

1664年 上杉氏米沢藩から信夫郡と伊達郡が召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と浜通り夜ノ森以北(相馬氏領)を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小・中藩、天領が入り乱れて激しく変遷した

廃藩置県と明治新政府の行政改革

江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年7月14日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革で、その後の離合も含め陸奥国も幾多の目まぐるしい行政変遷にさらされた。

1868年11月6日(明治元年旧暦9月22日) - 会津戦争で会津藩が新政府軍に降伏、新政府に領地没収となる。
同年11月14日(旧暦10月1日) - 旧会津藩領に若松民政局を設置
1869年1月19日(旧暦12月7日)陸奥国が分割され、郡山は岩代国の所属となる。

1869年6月13日(旧暦5月4日) - 若松民政局を廃し若松県を設置。
1871年7月14日(明治4年旧暦8月29日) - 廃藩置県布告により諸藩領が二本松県(第1次)となる。
同年12月13日(旧暦11月2日) - 第1次府県統合により二本松県(第2次)の管轄となる。
同年12月25日(旧暦11月14日) - 二本松県が福島県に改称

1873年(明治6年)1月1日(旧暦明治5年12月4日)新政府太陽暦採用を布告。

1876年(明治9年)8月21日に、福島県(第2次)、若松県、磐前県が合併され、現在・福島県(第3次)が成立した

1879年1月27日 - 郡区町村編制法の福島県での施行により行政区画としての安積郡が発足。郡役所を郡山村に設置。

1887年7月16日:黒磯 - 郡山間開通、豊原駅、白河駅、矢吹駅、須賀川駅、郡山駅開業

同年。 明治政府の士族授産と殖産興業の方針のもと決まった国営安積開拓事業「安積開拓」始まる。 安積疏水の開削の決定を機に、当時約5,000人のまちの周辺に、第一陣久留米士族をはじめ9藩から約500戸、2,000余の人々が従事した。

疏水に伴う水力発電事業により。 郡山市街地まで国内初の長距離送電を行った水力発電所「沼上水力発電所」として利用され、電力を自給すると共に余剰電力を安く供給して多くの工場を誘致。 郡山には信州を始めとする各地の資本により紡績工場が多数進出し、鉄道網の拡充とともに近代化が加速された。

やがて製糸業、窯業、機械工業、化学工業などの製造業も盛んとなり人口も増え続け、

1889年(明治22年)4月1日 - 郡山村が単独で町制施行し安積郡郡山町が発足
1891年(明治24年)9月1日、盛岡 - 青森間延伸開通により東北本線上野 - 青森間全通。

1924年(大正13年)9月1日 - 小原田村と合併し郡山市が発足。
1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。

1964年 、新産業都市に指定される、

1986年、郡山地域テクノポリスに指定をされる。

1997年4月 東北初の中核市となる。

1974年(昭和49年)12月20日 : 東北自動車矢板IC - 白河IC間延伸開通により首都圏と高速道路でつながる。

1982年(昭和57年) - 東北新幹線 大宮 - 盛岡駅間開業

1985年(昭和60年) - 東北新幹線 大宮 - 上野駅間開業

1987年(昭和62年)9月9日 : 浦和IC(1980年3月26日開通)-川口JCT間開通により東北自動車道全線開通、川口JCTで首都高速川口線と接続、都心部直結。

1991年(平成3年) - 東北新幹線 上野 - 東京駅間開業

楽都郡山への歩み

明治時代の「安積開拓」に始まり、高度経済成長期にかけて商工業都市として急速に発達する一方で、全国からさまざまな人々が集まり急激な都市化により暴力団抗争が相次いで起こり、戦前は治安の悪い街「東北のシカゴ」等悪いイメージが広がってしまった。

戦後全国で「素人のど自慢大会」などが人気をあつめるようになり、郡山でも町内会の演芸会などで音楽活動が盛んになり、いつしか音楽が市民の心の拠り所となっていった。

演奏会開催を望む市民の機運が高まり、1954年(昭和29年)、郡山音楽協会と郡山青年文化協会主催の「NHK交響楽団公演」が国鉄郡山工場の大食堂を会場として開催された

その後も合唱運動、吹奏楽運動、学校音楽コンクール活動などが盛んに繰り広げられ、「東北のシカゴから東北のウィーンへ」を合言葉にイメージ改善を進め、

2008年(平成20年)に「音楽都市宣言」を行い、「楽都郡山」をキャッチフレーズに音楽活動が盛んな街として情報発信を行っている。

福島県文化センター以外の福島県の劇場ガイド

『福島県下にある公共ホールのまとめ』ページはこちら。

福島市の周辺観光スポット&イベント情報ガイド

『やながわ希望の森公園・鉄道』などの『東北エリアの観光スポットまとめ』記事リンクはこちら。

『会津田島祇園祭 』や「鉄道イベント」などの『東北エリアのイベント情報』はこちら

『ビアフェスふくしま』などの『東北エリアのお酒イベント情報』はこちら

『仙台クラシックフェスティバル』や「コンクール」などの『東北エリアの音楽イベント情報』はこちら。

全国芸術祭情報はこちら。 

トリップアドバイザーの周辺ガイドはこちら。

福島県の特産品&名物ガイド

『喜多方ラーメン』など福島県の名産品ガイドはこちら、『蔵粋(クラシック)』など福島県の銘酒ガイドはこちら、『猪苗代地ビール』など福島県の地ビールガイドはこちら。

公開:2017年11月19日
更新:2018年8月11日

投稿者:デジタヌ

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