旅するタヌキ 

リンクステーションホール青森 のガイド記事。

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リンクステーションホール青森

http://www.aobun-sogei.com/facility/linkstationhall/

リンクステーションホール青森のあらまし

昭和12年に 市立野脇尋常小学校の校舎として開校した場所に、1982年 青森市文化会館開館として開館した収容人員 2,031名を誇る青森県内最大のホール。

リンクステーションホール青森のロケーション

  • ところ 青森県青森市堤町1-4-1。

青森駅から駅前通り(新町通り)を東へ2km程辿り橋本一丁目交差点の次の信号を右折して奥州街道(国道4号線)との「文化会館前」交差点の手前側にほぼいブロックを使って佇んである。

通りを挟んで東隣りは「青森中央郵便局が、駅前通りと並行している奥州街道を駅方面にただれば、あいおいニッセイ同和損保青森ビル、三井住友海上火災保険青森支店、青森銀行本店、みちのく銀行、NTT東日本青森支店、第一生北日本銀行、日本原燃青森支店、そして日本銀行青森支店、青森地方裁判所、青森県庁、等金融、経済、司法、行政が集まる青森の中心ビジネス街と成っている。

1968年7月21日 - 東北本線が青い森セントラルパーク(旧 青森操車場)沿いの南方に移転するまでは現橋本2丁目交差点付近に最寄り駅「浦町駅」が存在した。

リンクステーションホール青森へのアクセス

最寄り駅 東日本旅客鉄道(JR東日本)/青い森鉄道青森駅より青森市営バスJRバス東北(堤橋経由のみ)・弘南バス矢田前・青森営業所行き)・十和田観光電鉄バス(十和田市駅行き)で約10分程度、「文化会館前」バス停下車。

リンクステーションホール青森お得意のジャンル

大ホール

  • オーケストラコンサート,バレエ公演、ソリストのリサイタル、アンサンブルの演奏会等、以外にも 劇団四季のミュージカル、Jポップ関係のコンサートや、往年のアイドル・エンタテイナーのワンマンショウ、ジャズコンサート、歌謡ショー、懐メロ歌手の歌謡ショー、有名タレントの座長ショー、現代演劇、伝統芸能、落語・演芸寄席、大道芸、パフォーマンス・ショー等ジャンルに拘らない幅広い演目でこのエリアの多くの人達に受けいれられている。
  • またプロ演奏団体、以外にも数多くのアマチュア団体が利用している。

リンクステーションホール青森の公演チケット情報

チケットぴあ該当ページへのリンクはこちら。

施設面から見たホールの特色

※ご注意;以下※印は当サイト内の関連記事リンクです。
但し、その他のリンクは施設運営者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

(詳しくはこちら公式ページ)

大ホール

(詳しくはこちら)

 1982年建設当時全国に蔓延していた「石壁インフルエンザ」に感染し。ホール側壁打ち放しコンクリート壁のものすごいホール、いわゆる「エコールーム仕様(※1)のホール。

一応初期反響軽減?のためにホール前半客席部分周辺.・と2バルコニー席周辺部分jにはアンギュレーションを持たせた「窪み部分」が設けられている外わ、表面に凹凸加工を施したコンクリートの垂直壁!

子の無い装?だからつじつま合わせのために「ホール後方大向う背後壁」は音響グリルで表装した「吸音壁」。

脇花道背後まで続く大きなプロセニアㇺは同じく音響グリルで表装した吸音壁となっている。

ホール音響評価点:48点

※関連記事「後悔しないコンサート会場の見分け方」まとめ  はこちら。

内訳

定在波対策評価点:20点/40点満点(※客席周辺がプレーンな平行壁はx0.5=20点が持ち点と成ります)

残響その1(初期反射)対策評価点:5点/20点満点(※客先周辺石材壁の場合はx0.5=10点が持ち点と成ります)

残響その2(後期残響)への配慮評価点:12点/20点満点

客席配置 11点/20点満点(※客席周辺石材壁の場合はx0.8=16点が持ち点と成ります。)

リハーサル室

床面積307㎡(約185畳)のリハーサル室を持つ。.

ダンス・バレエ練習用移動手摺を準備している。1面鏡張りの壁を持つ多目的ルーム。

ルーム音響評価点:24点

内訳

定在波対策評価点:12点/50点満点(ルーム低層部に1対以上のプレーンな並行壁がある場合は持ち点はx0.5=25点と成ります)

残響その1(初期反射)対策評価点:12点/50点満点(ルーム低層部3面以上がプレーンな垂直壁の場合は持ち点はx0.5=25点と成ります)

施設データ

  1. 所属施設/所有者 青森市文化会館青森市
  2. 指定管理者/運営団体 青森市スポーツ振興工公社/青森市
  3. 開館   1982年
  4. 設計  岡本慶一/日建設計
  5. ゼネコン 
  6. 内装(音響マジック) 

大ホール

  1. ホール様式 、プロセニアム型式多目的ホール。
  2. 客席   フロアー 収容人員  2,031名(移動席160名)
    1階1,095席、2階936席、1・2階テラス席(桟敷席)、可動床、1・2階中央部千鳥配列座席、
  3. 舞台設備 幅50m 2面舞台相当、プロセニアムアーチ:幅20.0m 高さ10.5m:奥行20m、ブドウ棚(すのこ)、脇花道、小迫り、反響版、オーケストラピット(可動床・迫り)、
  4. その他の設備 楽屋x6室、主催者控室

付属施設・その他 

デジタヌの独り言

1964年完成の弘前市民会館(※ガイド記事はこちら)は「壁面全て木質パネル」の内装で、当時から「音の良いホール」で全国に評判が拡がっていたはず。

更に10年後の1975年4月にライバル八戸市も総工費21億6500万円を投じて「八戸市公会堂」を弘前市同様に「内装オール木質壁」の"上質のホール"として建設している。

なのにどうして?...。

いくら1982年建設当時全国に「石壁インフルエンザ」が蔓延していたとはいえ...、こんな酷い「巨大エコールーム」を建設したの?

木材が豊富なこの地域では運送コストもそんなに掛からないし、態々(わざわざ)「打ち放しコンクリート壁」に拘らなくても良かったのに!

新耐震基準に適合はしていても、この際大改装で「ホール内壁面」を木質パネルで表装し直すか、いっそのこと「建て替えて終い?ましょう」

デジタヌの知っておきたい豆知識

リンクステーションホール青森のある青森市のあらまし


2015年の国勢調査では人口287,648人県内トップで、2位八戸市(231,257人)、3位弘前市(177,411人)を抑え県庁所在地の面目を保っている。

推計人口、282,032人2017年10月1日。

青森-(新青森)ー東京 3時間42分/17,350円/在来線・新幹線乗り継ぎ/717.6km。

他の地方都市の例に漏れず、2000年の318,732人をピークに年々減少傾向に有り。

2010年には30万人の大台を割ってしまい,現在28万人代を低迷しなおも減少し続けている。

年令別人口比率では、就労層に当たる20歳から40歳までの所謂働き盛りが全国平均を下回り、40代から55歳の「働き盛りのベテラン」が逆に平均を大きく上回って嘗て20世紀末のバブル経済期に企業進出が多かったことを物語っている。

その影響か20歳未満の10代も若年層も全国平均を上回っており、現状、他の地方都市ほど小子高齢化の嵐に蹂躙されてはい無い。

青森市のこれまでの主立った出来事

室町時代は南部氏支族である堤氏の領地であったが堤氏は戦国時代末期に津軽氏に攻め滅ぼされ、外ヶ浜は弘前藩の領地となった。

青森は弘前藩(津軽藩)初代藩主津軽為信のときに開港が計画され、2代藩主津軽信枚とその家臣である森山弥七郎によって1624年(寛永元年)善知鳥村に港の建設が始められる。

1671年(寛文11年)7月 - 現・青森市に仮屋(津軽藩の出先施設)が設置される。

1865年(元治2年) - 幕府より蝦夷地(北海道)への渡海地に指定される。

1871年(明治4年)7月14日の廃藩置県で弘前藩(津軽藩)は弘前県となる

同年9月4日、弘前県に七戸県(元南部藩→盛岡藩)、八戸県(元南部藩→八戸藩)、斗南県(元南部藩→斗南藩)、黒石県(元弘前藩支藩)、※館県(元松前藩)の周辺5県を併合。※つまり北海道が正式に独立するまでは、弘前県(現青森県)が北海道の道南地域も治めていた。

1872年9月5日津軽・南部の事情に通じていた野田豁通(熊本藩出身)が大参事

(知事)と成り同年9月23日 県知事の具申が通り県庁を青森町に置くことを定めて県名も青森県に改めた。同時に福島郡など四郡(旧館県)が青森県から開拓使に移管された。

1873年(明治6年)2月11日 - 開拓使、青森 - 函館間に定期航路を開設

1889年(明治22年)4月1日 - 町制施行により東津軽郡青森町が成立。

1891年(明治24年)9月1日 - 青森 - 盛岡間開通により東北本線青森 - 上野間全通

1898年(明治31年)4月1日に市制を施行して青森市となる。

1908年(明治41年)3月7日 - 青函連絡船が就航

1937年(昭和12年)4月1日 - 東京 - 仙台 - 青森 - 札幌間に日本航空輸送の定期航空便が就航。

1964年(昭和39年)11月5日 - 旧青森空港開港

1987年(昭和62年)9月9日東北自動車道・青森 - 川口JCT間全通。

1988年(昭和63年)3月13日 - 青函トンネル・津軽海峡線が開業、青函連絡船が廃止

1990年(平成2年)3月24日に新青森空港全面供用開始。

2005年(平成17年)4月1日 - 浪岡町と合併し、新・青森市となる。

2010年(平成22年)12月4日 - 東北新幹線新青森 - 八戸間開業により、東北新幹線全通。

2016年(平成28年)3月26日 - 北海道新幹線新青森 - 新函館北斗間開業

リンクステーションホール青森のこれまでの歩み

1937年 市立野脇尋常小学校(1941年に野脇国民学校と改称。現在堤小学校)の校舎として開校。
1944年 5月 医専(現弘前大学医学部)に移管。
1945年 青森空襲で附属病院と寄宿舎を焼失し、1947年 弘前市へ移転。
1947年4月市立野脇中学校(現在の南中学校)と成る。
同年9月 昭和22年9月に県立青森高等女学校(昭和23年に県立青森女子高等学校と改称。現在の県立青森高校)が火災で校舎を焼失。野脇中学校で時間帯シェアリング方式(午前中は野脇中学校として、午後は青森高等女学校の2・3年生の校舎として、夕方からは第二中学校利用する三部授業)授業を行った。
1948年5月 青森女子高等学校が浪打に建設された新校舎へ移転。
同年7月 市立高等学校が新校舎へと移転、
1949年3月野脇中学校がそれぞれ新校舎へと移転。
1949年4月野脇国民学校が復興し野脇小学校として開校。
1954年9月新校舎(現在の堤小学校の位置)への移転
1954年9月 市立松原中学校として開校。
1965年3月 閉校、解体整地。
1968年7月21日 - 東北本線が旧 青森操車場沿いの南方に移転。現橋本2丁目交差点付近にあった最寄り駅「浦町駅」廃止。
1969年10月 青森市民文化センター(現在の中央市民センター)が開館、「ねぶたの製作場所」として利用されていた。
1982年11月2日 青森市文化会館開館
2006年4月休館 7ヶ月間の大規模改修工事に入る。同年11月にリニューアルオープン。
2011年4月29日、2Fレストラン花束のあった場所に展示室開設。
2012年4月1日よりネーミングライツを導入し、青森市のリンクステーションとの契約で「リンクステーションホール青森」となる。契約期間は5年間。年間500万円(2,500万円:5年間)

リンクステーションホール青森以外の青森県の劇場ガイド

青森県下にある公共ホールのまとめ』ページはこちら。

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公開:2018年1月24日
更新:2018年5月27日

投稿者:デジタヌ

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