タヌキがゆく(狸穴総合研究所)

三鷹市《 タウン ヒストリア 》

三鷹市

推計人口、190,737人/2018年4月1日

三鷹ー新宿 14分/¥220-/JR

令制国(律令国)

645年旧暦6月12日の「乙巳の変」以降 668年即位した天智天皇によって制定された令制国(律令国)による国分けにより704年の国割確定・国印鋳造を基本として明治初期の廃藩置県後も現在に至るまで行政区分の基本となっている.

武蔵国

埼玉県、東京都の殆どと神奈川県川崎市・横浜市などの一部地域を含む。川越市のある入間郡、など現埼玉県域に14郡、神奈川県域に3郡、東京都域に4郡、東京都・神奈川県にまたがって1郡が広がっていた。

三鷹市の属していた北多摩郡

律令制において設置された前述の多摩郡には、武蔵国の中枢機関に当たる国府(現在の府中市)と国分寺(国分寺市)、一宮小野神社(多摩市)、二宮二宮神社(あきる野市)が置かれた。

平安時代後期・鎌倉時代には武蔵七党などの武士団が勃興した。

戦国時代の多摩郡は、関東管領の上杉氏による支配を経て、江戸を本拠地とする太田氏や小田原(神奈川県小田原市)を本拠地とする戦国大名である後北条氏の地盤となった。

北条氏政の弟・北条氏照は八王子城(八王子市)を築き、西方の甲斐国の武田氏に備えた。その後北条氏も豊臣秀吉の小田原征伐によって没落した。

江戸幕府の「入組支配」


入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

「武蔵三藩」と呼ばれる川越藩、忍藩、岩槻藩が置かれ江戸の防衛として重臣が配されたが、複雑に入り組んだ支配で、各支配地(郷)間で待遇・処遇に大きな格差が生じていた。

江戸時代には、幕府の直轄領(御料)や旗本領となり、八王子宿には関東各地の直轄領を支配する代官18人が駐在することとなり、武田氏旧臣の大久保長安が代官頭を務めて、多摩地域の開発と甲州街道や青梅街道の整備に当たった。

廃藩置県と明治新政府の行政改革


江戸時代、徳川政権の幕藩体制下で有名無地となった「令制国」の復活・修復と、入組支配の結果生じた近隣地区(村)同士の待遇(租税)格差をなくし、「地方創世の基本となる行政区分再編成」を行ったのが一連の廃藩置県政策であったともいえる。

教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日/旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め武蔵国も幾多の行政変遷にさらされた。

1868年8月17日(慶応4年旧暦6月29日) - 幕府領に韮山県を設置。引き続き、旧幕府代官の江川英武(太郎左衛門)が管轄。
1868年8月27日(旧暦7月10日) - 後の当郡域の幕府領を管轄する旧幕府代官の松村長為(忠四郎)が武蔵知県事に就任。
1868年9月23日(旧暦8月8日) - 松村長為知県事が古賀定雄(一平)に交代。
(旧暦11月) - 古賀知県事の管轄区域の一部が東京府(第1次)に移管。
1869年2月23日(旧暦1月13日) - 古賀知県事の管轄区域に品川県を設置。韮山県の一部が品川県に移管。
品川県の一部、韮山県の一部、龍ヶ崎藩領の一部が武蔵川越藩領となる。
1871年8月29日(旧暦7月14日) - 廃藩置県布告により藩領が龍ヶ崎県、川越県、彦根県の管轄となる。
1871年12月25日(旧暦711月14日)品川県・韮山県・龍ヶ崎県の後の北多摩郡に属する区域が入間県に移管。
彦根県の後の北多摩郡に属する区域の東京府への移管が太政官布告で命じられる。
1872年1月2日(旧暦11月22日) - 彦根県が長浜県に統合。

1872年3月3日旧暦5月 当初は全域が東京府に移管予定であったが急遽変更され、東京府に編入された6村も神奈川県に移管されている。

1872年3月8日旧暦1月 - 東京府のうち現武蔵野市域、入間県のうち現武蔵野市域、現調布市域が神奈川県に移管。
(旧暦5月 - 入間県のうち後の北多摩郡に属する区域の現三鷹市含む残部が神奈川県に移管。全域が神奈川県の管轄となる。

1873年(明治6年)1月1日(明治5年旧暦12月4日)新政府太陽暦を採用・告示

北多摩郡の沿革

1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法の神奈川県での施行により、神奈川県多摩郡のうち1町131村の区域に行政区画としての北多摩郡が発足。郡役所が府中宿番場(府中宿のうち)に設置。

1889年(明治22年)3月31日 - 三鷹村を含む3町36村の統合が行われる。
(現・三鷹市域内)三鷹村 ← 牟礼村、下連雀村、上連雀村、新川村、中仙川村、野崎村、大沢村、北野村、井口新田、深大寺新田および上石原村、烏山村、下仙川村の各一部

同年(明治22年)4月11日:甲武鉄道新宿駅 - 立川駅間(16M74C≒27.24km)が開業。中野駅・境駅(現在の武蔵境駅)・国分寺駅・立川駅が開業。同年8月11日:立川駅 - 八王子駅間(6M3C≒9.72km)が延伸開業。八王子駅が開業。

1893年(明治26年)4月1日 - 東京府の管轄となる。

1912年(明治45年)4月1日 - 「東京府神奈川県境界変更に関する法律」の施行により神奈川県との境界を多摩川に画定して対岸飛地を解消。

1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。

1930年(昭和5年)6月25日 三鷹駅開業。

1933年(昭和8年)8月1日 京王井の頭線・渋谷 - 井の頭公園間開業(井の頭公園駅、三鷹台駅開業)。

1934年(昭和9年)4月1日 京王井の頭線・井の頭公園 - 吉祥寺間全線開通。

1940年(昭和15年)三鷹村が町制施行して三鷹町となる。

1942年(昭和17年)7月1日 - 「北多摩地方事務所」が府中町に設置され、本郡を管轄。
1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制の施行により東京都の管轄となる。

1950年(昭和25年)11月3日 - 三鷹町が市制施行して三鷹市誕生。

1967年(昭和42年)
12月2日 : 中央自動車道調布IC - 八王子IC工事完了。
12月15日 : 調布IC - 八王子IC開通。

1976年(昭和51年)
5月18日 :中央自動車道 高井戸IC - 調布IC開通。

1976年(昭和51年)
5月18日 : 首都高速4号新宿線・上高井戸地内が開通し、全線開通。同時に中央自動車道と接続。

 

公開:2019年2月 6日
更新:2019年2月 6日

投稿者:デジタヌ

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