タヌキがゆく

あみだ池筋・都島通りを結ぶ『茶屋町高速鉄道』があれば便利ですよ!

『茶屋町高速鉄道』とは...

「千日前線・阿波座駅」-「谷町筋線天神橋筋六丁目駅」延長約5kmの地下鉄連絡線。

路線距離 4.9 km
営業キロ 5.2 km
軌間 1,435 mm (標準軌)
線路数 複線
電化方式 直流750 V 第三軌条方式
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 WS-ATC
最高速度 70 km/h

総工費 2500億円程度!(※1)

つまりは千日前線「阿波座駅」と谷町筋線「天神橋筋六丁目駅」を結ぶ短絡線。

茶屋町・中津周辺まで拡がった大阪の右顔?「北」。

現在グランフロント大阪「元梅田貨物駅」再開発事業が進み、大阪の顔「北」は大きく拡がっている。

おそらくはその北限が阪急電車本社のある「茶屋町」「中津」周辺で有ろう。

対して左右に伸び始めたもう一つの左顔「南」。

道頓堀再開発で「ウォーターフロントデッキ」がかつての大阪の目抜き通り「堺筋」から「御堂筋」「四つ橋筋」を通り越し「湊町船着き場=JR難波駅前地区」まで拡がった。

大阪ドームのある「大正橋」までとは行かないまでも、もう一区間「桜川=汐見橋」エリアまでは延ばせるであろう。

嘗てこの区間の「千日前通り」にはチンチン電車が行き交い、大阪を代表する唯一の「大繁華街」であり、1653年以来、頓堀五座、浪花座中座角座朝日座弁天座が芝居興行を打ち、

大江戸浅草六丁目一帯と並び関西歌舞伎・演芸すなわち「娯楽の中心」盛り場であり続けてきた。

昭和年間戦前・戦後には「大阪歌舞伎座(千日前・大阪楽天地)」「大阪劇場(大劇)」と「4000人収容規模」の巨大劇場が集中し、大阪の盛り場といえば「南」であった。

北新地「梅田界隈」の生い立ち

江戸時代以前は下原と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれた

1764年、曾根崎新地から北へ伸びて梅田墓地(現大深町・梅田貨物駅)へ至る「梅田道」が開かれたが、周辺は田畑ばかりの「ドタ」と呼ばれる寂れた土地だった。

1868年明治元年に大阪府には成っていたが、

1869年(明治2年) - 大坂三郷再編により、北大組が発足。

明治2年(1869年)9月21日(10月25日) - 旧豊崎県のうち摂津国西成郡・東成郡・住吉郡を大阪府に移管。

時代は移り変わり大阪の「勝手口=裏口」として発展しだす

1874年(明治7年)、旧淀川(大川堂島川安治川)の川向こうにあった当時の曽根崎村、に 大阪駅開設、大阪- 神戸駅間の官営鉄道仮開業。

以後大阪の「勝手口=裏口」として発展しだした訳である、

元々、「お寺」と「墓地」しか無かった大阪の町外れであり、江戸時代から隆盛を極めた「南」界隈とは歴史が違うわけである。

「勝手口だからこそ、現グランフロントの場所に「梅田貨物駅」反対側に「中央郵便局」が建設されたわけである。

1877年(明治10年)2月5日 「官鉄」大阪 - 京都間の営業を開始。

1879年(明治12年) - 郡区町村編制法施行により、北区が誕生。

1880年(明治13年)官鉄・逢坂山経由で大津駅(現在の浜大津駅付近)まで延伸。

1881年2月7日 堺県を大阪府に編入合併。

1884年(明治17年) 大垣駅 - 関ケ原駅 - 長浜駅間が開業。

1885年 すでに難波では阪堺鉄道が設立され難波 - 大和川(後に廃止)間を開業。

1887年(明治20年)には木曽川駅 - 加納駅(現在の岐阜駅) - 大垣駅間、横浜駅 - 国府津駅間、浜松駅 - 大府駅間が開業。

1887年11月4日 奈良県が分離独立。

1889年5月14日 「大阪鉄道」湊町 - 柏原間開業

1889年 -1889年(明治22年)に国府津駅 - 浜松駅間(現在の御殿場線経由)、そして同年7月に関ケ原駅 - 米原駅 - 馬場駅(現在の膳所駅)間が開業し、東海道線東京新橋駅まで全通、

1889年には東京新橋駅まで繋がったことにより、俄然「重要度」がまし「勝手口から面玄関」に変貌を遂げようとしていた。

1895年(明治28年)5月28日 大阪鉄道 天王寺 - 玉造間開業[5]

  • 8月22日 浪速鉄道(現JR片町線)( 片町-四条畷官開業)
  • 10月17日 大阪鉄道 玉造 - 大阪間開業

1897年 梅田の有る曾根崎村が北野村と共に大阪市北区へ・やっと編入された。同年 大阪市制施行に伴い、北区は大阪市の行政区へ移行。

1900年の大字改編により、旧 曾根崎村の西部に梅田町・東梅田町・西梅田町・北梅田町の4町名が誕生。

鉄道事業者「市内乗り入れ拒否・市営モンロー主義」産声を上げる

1903年 日本で最初の公営軌道「大阪市電」が 花園橋(現在の九条新道交叉点) - 築港桟橋(現在の大阪港/天保山)5.1kmの築港線が開業。

これを期に「市営モンロー主義」が始まり以後、一世紀以上にわたり、「大阪城開門」を拒み続け、現在の「大阪駅・梅田駅」集中を引き起こしてしまった。

1905年  阪神電気鉄道が神戸(三宮)?大阪(出入橋)で開業。

1910年 新淀川開削工事が完成。

  • 同年 - 箕面有馬電気軌道宝塚本線(宝塚?梅田間)が開業。
  • 同年4月15日:現在の京阪本線、大阪・天満橋 - 京都・五条間46.57kmが開業。

それまでは川向こうの元摂津の国であった。

大阪の中心「みなみ」のこれまで

戦後、「TV」の普及で急速に「娯楽主流」の座から引きずり下ろされた「観劇」が低迷し、

初代「千日前・大阪歌舞伎座」「大阪劇場(大劇)」がなくなり、この地区に集中していた「中座・角座」や「数多くの映画館」も廃れ変わって「ショッピング中心の飲食・商業地区」に変化させられた訳である。

堺筋が大阪の目抜き通りだった時代

和歌山へ至る紀州街道の一部区間にあたり、江戸時代の「物資の集積地船場」から堺へ出る道であったことから堺筋と呼ばれ定着した。

当時から人通りが多く、南北方向のメインストリートであったが。

1876年4月18日 奈良県を堺県に編入合併。

1884年に関西経済界の重鎮、藤田伝三郎・松本重太郎・田中市兵衛・外山脩造らによって大阪堺間鉄道として阪堺鉄道が設立され、1885年に難波 - 大和川(後に廃止)間を開業。

1908年 堺筋に続く南北幹線として四つ橋筋が梅田 - 難波間を結ぶ最初の南北幹線として先に竣工した。同年、堺筋の日本橋3交差点 - 恵美須交差点間が拡幅され、大阪市電「南北線」が走り出した。

1912年(明治45年)に北浜1交差点 - 日本橋3交差点間が12間(約21.8m)に拡幅され、大阪市電堺筋線が敷設され前年1911年12月1日に開業していた恵比須交差点の阪堺電気軌道恵美須町駅 と繋がり、大阪の南北交通の目抜き通りと成り、重要な枠割りを果たしていた。

しかし旧難波橋に、市電を通すことに対して反対運動が起こったため。

1915年に堺筋に新・難波橋(現在の橋)が架けられ、天神橋1交差点 - 北浜1交差点間には大阪市電天神橋西筋線が敷設され以前の難波橋筋の役割が加わった堺筋は人通りが倍増し更なる発展を遂げた。

1917年(大正6年)には三越高麗橋2丁目(現・高麗橋1丁目)に、

1919年(大正8年)に第6代大阪市長であった池上四郎が、梅田 - 難波間の梅田新道・淀屋橋筋・御堂筋を第一次都市計画事業の都市計画街路第1号線として、延長4 km、幅員44 m(24間)へ拡幅する事業計画を発表。

当時は実現不可能と思われた御堂筋拡幅事業。

当時誰も幅員44 mのお化け道路が実現するとは思わず...。

その後も、堺筋の繁栄は続く。

1921年(大正10年)備後町2丁目に白木屋が、

1922年(大正11年)には長堀橋筋1丁目(現・島之内1丁目)に高島屋が、

1925年(大正14年)には日本橋筋3丁目(現・日本橋3丁目)松坂屋が店を構えるなど、堺筋は大正時代に繁栄を極めていた。

「南の歓楽街」と「北新地」を結んだ大阪最初のレジャー路線「御堂筋」の誕生

御堂筋が南北交通の主役の座へ

第7代大阪市長に就任した都市計画学者・關一は1919年発表の「御堂筋計画」を池上から引き継ぎ、

1926年、都市計画により、地下鉄御堂筋線建設と合わせて総工費約3,375万円をかけて24間幅へ拡幅する工事が開始された。

1927年(昭和2年)に大江橋北詰交差点以北の拡幅工事は早々と竣工。大江橋以北の街路樹はプラタナスで、淀屋橋交差点以北には大阪市電の軌道も残された。

1929年(昭和4年)用地買収に手間取っていた淀屋橋交差点以南もようやく着工。

1933年(昭和8年)5月20日:大阪市初の市営地下鉄1号御堂筋線線の「 梅田駅(仮) - 心斎橋駅間 (3.1 km) 」が開業じ「市電並みの17m級の単行電車」が走り出した。

1935年10月6日には梅田駅本駅が開業。10月30日には心斎橋駅 - 難波駅間 (0.9 km) が延伸開業し2両連結運転が開始された。

1937年(昭和12年)5月11日 「面玄関に躍進した大阪駅」と大繁華街「難波」を結ぶ新目抜き通り「御堂筋」が竣工した。

大江橋と淀屋橋は現在の橋に架け替えられ、新橋(長堀川)と道頓堀橋(道頓堀川)が初めて架橋され淀屋橋以南の街路樹はイチョウで、軌道(チンチン電車)がない一直線の目抜き通り御堂筋が完成した。

商業施設はいち早く、一般企業の多くも堺筋から御堂筋へ移転し、メインストリートとしての地位も御堂筋へ移り現在に至っている。

朝潮橋(櫻川)エリアの始まり

1898年に大小路駅(現在の堺東駅) - 狭山駅間で高野鉄道開業した1900年9月3日 大小路駅ー道頓堀駅(現汐見橋駅 )開通。

1915年(大正4年)3月11日:三日市町駅 - 橋本駅間が完成朝潮橋ー橋本駅間全線開業。

  • 4月30日:高野登山鉄道が大阪高野鉄道に社名変更。

1922年 南海鉄道と合併した。

市営モンロー主義の事前事後

市営モンロー主義以前に大阪市内都心部乗り入れを果たしていた、南海電鉄と「市営モンロー主義」に阻まれた、阪神、阪急、京阪、近鉄各社

前途の通り1903年 の大阪市電開業以来、「市営モンロー主義」に阻まれ 1905年開業 阪神電気鉄道が大阪(出入橋)で。

1910年 - 箕面有馬電気軌道(現阪急)が梅田で。
4月15日:現在の京阪本線が大阪・天満橋 -で

1914年開業の大阪電気軌道(現近鉄)上本町6丁目で足止めを食ってしまった!

南海電車の出城「汐見橋駅」

前置きが長くなてしまが、南海汐見橋枝線(南海高野線)は、単なる支線ではなく「南海の居城」の一つである「汐見橋駅」を守る為の「兵站」路線の意味を持つ。

だから、1925年に早くも高野線難波乗り入れが開始された後も、

1970年の高野線全列車難波乗り入れ開始、1985年の汐見橋線支線化の後も

1970年3月11日の地下鉄千日前線野田阪神--深江橋全通に勇気づけられ?、

通年6時台から22時台まで1時間に2本の電車を運行(強行)している。

「なにわ筋線」当初計画案では乗り入れ駅に

今年2017年5月23日に、大阪府、大阪市、JR西日本、南海電鉄、阪急電鉄から 発表のあった「なにわ筋線」(※2)の起点駅になる予定だった駅であり、御用済み?となった高野線始発駅とこの間の路線免許を半世紀以上にも渡り維持し続けているのは、この地区の住人に対するボランティア活動?でもなければ、当てにならない(信じられない)市交通局の「なにわ筋線」建設計画のためでもない!

それが証拠に、本年の合同記者会見後、すなわち本線新今宮駅分岐案が示されてからも、「当線の廃線発表はされていない!」

かつて1970年大阪万博の際に、天神橋筋6丁目までの阪急・南海相互乗り入れ案を「技術的問題」で反故にされたいきさつがある。(※3)

そう簡単には「鵜呑みに出来る話ではない」し、南海担当部分は「勝手に建設しろ!}では、「ハイそうですか」とは行かない。

南海の目論見はもしかしたら...

現状残念ながら、南海沿線、本線・高野線(泉北高速線)共に伸び悩み傾向ではある。

しかし、関空効果は今だ続いており、沿線開発は好調で今後「本線需要」は伸びるで有ろうし「それを見越して」大和川以北の一部区間はすでに複々線化されている!

しかし、岸里以北はこれ以上は増線不可能な状態で「岸里ー難波」間の輸送力向上には限度がある!

そこで今後本線の需要如何によっては「汐見橋支線」の本線利用も考えられるわけである。

難波ー大正間の市電廃止後の1970年以前は「陸の孤島」状況であったが、1970年の千日前線開通 2009年(平成21年)3月20日の阪神なんば線開業以来、桜川周辺はアクセス至便エリアになっている。

現状このエリアへの「商・工業」の進出はさほど活発では無いが、徐々にではあるが目立つようにはなってきている。

22世紀に向かって大阪復権の為『茶屋町高速鉄道』を

そこで本論『茶屋町高速鉄道』のご登場となるわけである。
以前2017年8月 4日「千日前線をグランフロントまでのばして「市民の足に」!」で取り上げた千日前線の「梅田」延伸案で有る。

今回多少見直し、天神橋筋6丁目まで延伸し谷町筋線と合流する案で検討し直してみた。

距離が伸びた分建設費は倍近くなったが、より実効性の有る案であると確信している!

メリット1

「なにわ筋線」建設総事業費5000億円超!の半額2500億超ぐらいで建設できる。

メリット2

市中心部の南北交通に対する「過剰投資・施設」が防げる。

現状ご存じ通り、市中心部を走る南北主要幹線「筋」には、東から「谷町筋線」「堺筋線」御堂筋線」「四つ橋筋線」そして「千日前線」とすでに「5本もの南北ライン」が通っており、更に「なにわ筋線」「環状線」まで加えるとこの狭いエリアに8本もの「大量輸送」トランスポーターラインが出来てしまうことになる。

このうち「北新地歓楽街」と「南歓楽街」を結んでいる「歓楽路線」となると「御堂筋線」「四つ橋筋線」のみ現状でも7本有る南北線の内のたった2本だけ!

だから、「なにわ筋線」の路線計画を「南海新難波駅」「JR難波駅」と「JRグランフロント」駅に変更したので有ろう。

しかしこれだと「不要不急」路線がもう1本増えるだけで、四つ橋筋線」の現状を考えても難波梅田間の移動だけで、「なにわ筋」沿いに「企業が積極進出」してくれるとも思えなし「途中駅利用」はあまり見込めないと思われる。

しかし、現状のリソース「千一前線」を延長すれば「不要不急」路線の代表格?千一前線が「梅田ー難波間の連絡線」として「通勤客だけではない現金収入優等路線」に蘇生?される可能性が目ばえる。

メリット3

以前から提唱している「系統別運行」(※4)のモデルケースにもなり。

「北」には繋がっていたが「南」に繋がっていなかった「谷町筋線」の「路線価値」があがり、なおかつ天神橋筋6丁目駅で「茶屋町・難波」に向かう乗客と「東梅田・天王寺」方面に向かう乗客を分散できこの区間の混雑緩和にも繋がる。

メリット5

今だに梅田方面は、バスに頼っている西区住人にとって、「定時運行」の担保された「使える地下鉄」は桜川ー野田阪神間の沿線住人にとっては非常に有難い存在となる。

多少の問題も?

阿波座-玉川-野田阪神間が単なる「でべそ線」になりそうでなくとも以外と利用客の少ない「両駅」を「野田阪神支線」は新たなる

「不要不急」路線として廃止対象区間となるかもしれない。

まあ元々「近鉄・阪神」連絡鉄道計画に対する「当てこすり路線」であるから、「阪神なんば線」が開通した今となっては、この区間の存在意義は薄れたといっても言い過ぎではないであろう。

※1、京阪中之島線/(事業主体;中之島高速鉄道)の建設実績1503億円 /3km、より算出たあたい「500億円超!/km。」

※2、「なにわ筋線」は本当に必要か? その1はこちら。

※3、堺筋線についての子細はこちら「wikipediaで」

※4。系統別運行についての提案記事はこちら。

公開:2017年12月30日
更新:2018年10月18日

投稿者:デジタヌ

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