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大阪市・東住吉区《 タウンレビュー 》

大阪市・東住吉区とこれ迄の歩み

東住吉区

旧摂津国住吉郡にある区。1943年(昭和18年) 住吉区から分離して誕生した。

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大阪府の概要

旧・摂津国の一部・河内国・和泉国からなる府。

かつては、都道府県で東京都に次ぐ第2の人口だったが、2006年5月1日に神奈川県が大阪府の人口を上回ったため、現在の人口は第3位である。

古代から近世を通じ、大阪平野を形作ってきたのは、淀側、旧大和川(石川水系)、猪名川水系、武庫川水系であった。

特に前2水系は「河内湖」(内海)に注ぎ、河内湖がほぼ消滅してからも長らく河内は湿地帯であった。

有名な、古市、百舌鳥古墳群は、河内湖周辺の先に堆積した比較的標高の高い堆積平野に作られている。

奈良時代においてはこれらの水系が旧大川(上町大地北端・現大阪城北側天満)の辺りに集中し、流域はたびたび洪水に見舞われるとともに、「肥沃な平野」を形作っていった。

つまり、これら旧河川を境に、上町大地周辺と淀川以北・以西を摂津国、上町大地の東側を流れる下除川(現下除川・現今川)以東を「河内国」、上町台地以南の下除川以西の地域を「泉国」と律令体制で定めた。

これら3国が元となり現在の大阪府が形造られている。(摂津国の猪名川以西は現・兵庫県域)

廃藩置県

廃藩置県とは教科書!では1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の明治新政府の布告日が知られているが実際には1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の大政奉還から版籍奉還 (1868年8月1日)( 旧暦6月24日)を挟み、1871年8月29日の廃藩置県布告を経て1872年の 第1次府県統合、1876年の第2次府県統合終了まで明治新政府によって進められた一連の行政改革でその後の離合も含め大阪府(旧摂津国)も幾多の行政変遷にさらされた。

1881年(明治14年)2月7日 - 第2次府県統合により新大阪府の管轄となりほぼ現在の大阪府県域が完成した。

大阪府のこれまで

1868年(慶応4年)旧暦1月22日大坂鎮台設置。

同年旧暦1月27日大坂鎮台を大坂裁判所と改称。

同年旧暦4月大坂裁判所に町地を除く周辺部を管轄する司農局設置。

同年旧暦5月2日大阪府設置。

大阪府発足当時の管轄地域は、摂津国東成郡61村、西成郡132村、住吉郡37村、河内国交野郡1村(加納藩預地)であった。

同年旧暦5月10日摂津県を豊崎県に改称。

同年旧暦5月19日奈良県設置。

同年旧暦6月8日大阪府司農局が南北に分割。

同年旧暦6月22日 堺県設置。

1869年10月25日(旧暦9月21日) 東成郡・西成郡が大阪府の管轄となる

1871年8月29日(旧暦7月14日)廃藩置県布告。

1871年12月31日(旧暦11月20日)第1次府県統合により、住吉郡他5郡とおよび島上郡の大部分(山崎村を除く)が大阪府の管轄となる。

1881年旧暦2月7日 堺県を大阪府に編入合併。

1887年旧暦11月4日 奈良県を分離再設置し現在の府域が完成

大阪市

府庁所在地大阪市
推計人口、8,819,416人/2018年4月1日

摂津国

武庫川、猪名川、淀川右岸(北側)の神崎川(淀川支流)流域の3エリアで成り立ち、西成郡;現在の大阪市北西部、東成郡;現在の大阪市東部、住吉郡;現在の大阪市南西部

などと、大阪北東部の島上郡、島下郡、豊島郡、能勢郡と現・兵庫県の川辺郡、有馬郡、武庫郡、菟原郡、八部郡とで構成されていた。


瀬戸内海航路の起点で、旧淀川・旧大和川水系との結節点でもある難波津があり、津国(つのくに)と呼ばれた。

旧大川(旧淀川)以北と上町台地周辺の比較的高地(東側河内国は河内湖を起源とする湿地帯)

593年、推古天皇の摂政聖徳太子が難波(上町大地)の荒陵に四天王寺を造立した。

645年 孝徳天皇は難波に遷都し、大化の改新が行なわれた。

652年 上町大地に難波宮(前期難波宮=難波長柄豊崎宮)が完成した。孝徳天皇の後、都は飛鳥に戻ったが、「壬申の乱」の後天武天皇は、「畿内の外港」であり要地である難波宮を「副都」とした。

726年(神亀3年)、聖武天皇が難波宮(後期難波宮)の造営に着手し、平城京(奈良)の副都とした。

744年(天平16年)には恭仁京から「難波京への遷都」が実施されたが聖武天皇は遷都の「翌年再び平城京」に遷ったが、その後も難波は「副都として維持」された。その後(再利用のため)長岡京遷都に伴って難波宮が解体され消滅した!

793年(延暦12年)旧暦3月9日に摂津職を廃し、新たに摂津国を置いた。

難波津は土砂の堆積が進み、湊は淀川分流(神崎川)にある神崎や江口などに移っていった。

江戸幕府の「入組支配」

入組支配;江戸幕府が行った政策で、かつての律令国家の上に成り立つ、地方豪族・大名に対し頻繁に転封(国替 )・減封(領地召し上げ)を行い地方の統一・団結を阻む政策。このため明治維新後も府県、郡村の離合集散が重ねられた。

「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り(416,236石余)。独立した藩としては、尼崎藩、三田藩、麻田藩、高槻藩のみであった。

住吉郡; 代官支配地/幕府領(天領)、旗本領、高槻藩、下総古河藩、相模小田原藩飛び地で構成されていた。

1704年(宝永元年)10月大和川の付け替え工事完成

大和川の付け替え後の旧大和川・川床跡の砂地は木綿栽培に適しており、現柏原市・現八尾市・現東大阪市域では商品作物としての木綿の栽培や、農村工業としての紡績(河内木綿)が盛んになり、全国でも有数の裕福な農村地帯となった。

しかし農地を奪われた地域(和泉国北部)に住んでいた農民たちや、渇水に苦しむこととなった旧下除川(現矢田川)沿いの住吉郡の農民は、新田(八尾市・柏原市・東大阪市)に「水のみ百姓」として移り住んで大地主の小作の使用人に貶められたり、身売り・一家離散・餓死など多くの被害者も発生しており、このことが今に至る旧河内国と旧泉国地域の不協和音の火種の一つともなっている。

「大和川付け替え」には今に至っても賛否両論あり、必ずしも最善策であったとは言われていない。

ドはこちら。

大阪府の特産品&名物ガイド

『クリスピーケーキ』など大阪府の名産品ガイドはこちら、『秋鹿』など大阪府の銘酒ガイドはこちら、『大阪國乃長ビール』など大阪府の地ビールガイドはこちら。

公開:2018年11月 7日
更新:2018年11月 7日

投稿者:デジタヌ

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