タヌキがゆく(狸穴総合研究所)

盛岡市《 タウンヒストリア 》

盛岡市とこれ迄の歩み

盛岡市内中心部で雫石川、中津川が合流し花巻市、北上市、奥州市、一関市をへてお隣宮城県内を下り太平洋へと注ぐ北上川沿いの平地部の最北部北上盆地のほぼ中央部に位置している。

秋田へ通じる秋田新幹線の分岐点として名高い。

岩手県のほぼ1/4の人口を抱える県庁所在地で、政令指定都市にはほど遠いが中核市には指定されている。

推計人口、294,267人/2018年4月1日。

盛岡-東京 2時間11分/14,740円/新幹線/535.3km

西に向かえば大阪とほぼ同じ半径円内に入る時間・距離にある。

地方都市のご多分に漏れず、2000年の302,857人をピークに年々人口減少に頭を悩ませている、過疎都市。

盛岡市のこれまでの主立った出来事


平安時代、桓武天皇の命により志波城が置かれ、律令制下となり、安土桃山時代に勢力を広げた南部氏が盛岡城を築いて以後、城下町として発達した。

幕末に岩手県を分割支配していた伊達藩・南部藩が中心となり東北諸藩が奥羽越列藩同盟(北部政府)をつくり新政府と戊辰戦争を起こしたが、結局敗れて明治政府によって占領された。

明治3年7月10日(1870年8月6日)、盛岡藩は財政難により廃藩置県に先立って廃藩を申し出、旧領には明治政府により盛岡県が設置された。

以降は旧藩を問わず多くの人材を輩出。原敬が内閣総理大臣に就任するなど、近代日本国家建設に多くの功があった。

県域は明治4年(1871年)の第1次府県統合ではほとんど変わらず、

明治5年1月8日(1872年2月16日)には盛岡県から岩手県に改称、

1876年(明治9年)の第2次府県統合で磐井県(の一部)、青森県の一部が編入された。

1876年(明治9年)5月にそれまでの県庁所在地の郡名を採った岩手県として成立した。

1890年(明治23年)11月1日:日本鉄道の駅として盛岡駅開業。

1889年(明治22年)に、南岩手郡盛岡が岩手県下で初めて市制施行し、盛岡市となる。

戦後、1950 - 1960年代には、山岳地帯のため交通の便が悪いことや、県の主な産業が県東部釜石にある富士製鐵(現、新日鐵住金)の釜石製鐵所位しかなく、内陸の盛岡市周辺には目立った産業が無く自ら「日本のチベット」と呼び、政府の振興策を求めたこともあった。

1964年(昭和39年)に北上川沿いの花巻空港が開港、

1978年12月2日東北自動車道 築館IC - 一関IC間開通により盛岡南IC-岩槻IC間が繋がり首都圏と高速道路で繋がった。

1982年(昭和57年)に東北新幹線の大宮 - 盛岡間が開業。

首都圏からは約3時間、仙台からも1時間圏内(当時)となり、交通の便が飛躍的に改善された。

2008年(平成20年)には、6月14日に岩手・宮城内陸地震(最大震度6強)が、7月24日に岩手県沿岸北部地震(最大震度6弱)の大地震が発生した。

2011年(平成23年)3月11日、国内観測史上最大の超巨大地震となるマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震(最大震度7)が発生し、沿岸部の各地で津波による大きな被害が出た。

 

公開:2016年11月 6日
更新:2019年1月10日

投稿者:デジタヌ

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