タヌキがゆく

奈井江町《 タウンレビュー 》

コンチェルトホールのある奈井江町のあらまし

北海道の空知地方中部に位置するかつて石炭産業で栄えた町。

町の西側を流れる石狩川を町堺に西隣りの「浦臼町」と接している。

嘗ての繁栄とこの地域の中心地であった証しとして、北海道奈井江商業高等学校が存在している。

住民基本台帳人口、5,601人/2017年3月31日現在。

奈井江駅ー札幌 1時間12分/1270円/68km/JR函館本線

町民数は、

最盛期の1960年の 国勢調査では18,485 人いたが石炭産業の撤退と離農に伴う農業人口の転出により減少の一途をたどり、1970年 当時10,915人いた町民は1971年 の住友鉱業奈井江炭鉱 閉山、1972年 の石狩炭鉱 閉山と相次ぐ町の基幹産業「炭鉱」の閉山により、1975年の国勢調査では8891人にまで激減!以後減少を続け、「コンチェルトホール」が開館した1993年の2年後に行われた国勢調査では8千人の大台を割り、7,667人に減少。

更に 全国の地方自治体が「平成の大合併」で揺れ動いた2003年には人口7千人を切っており、同年10月26日に実施された「合併の是非を巡る住民投票」では「子ども投票」が認められ、小学5年生から高校生も投票に参加した逸話が残っている。

更に2013 年末には 6 千人を切り、前回2015年の国勢調査では5674人と最盛期1960年の1/3以下、1970年当時に比べても約半数と激減していた。

2017年3月末日現在は5600人台で小康状態を保てっている。

2005年の国勢調査時の年令別人口比率では、

20歳から45歳までの所謂働き手が全国平均を極端に下回り、炭鉱閉山により職を無くした町民層の町外転出が深刻である事を示している、更にそれに連動して20歳以下の未成年層も大幅に全国平均を下回っている。

反面60歳からのリタイア組は全国平均を大幅に上回り、「町の老齢化」が深刻で有ることを物語っている。

町の財政基盤

町の基幹産業炭鉱が閉山する前の1968年5月 に北海道電力奈井江発電所 1号機 1970年2月 北海道電力奈井江発電所 2号機が 運転開始しており、現在も稼働し続けている。

炭鉱閉山に対処する為に空知中核工業団地への企業誘致や、工業基盤整備に取り組み、農・商・工のまちへと転換を図り岩見沢市につぎ、空知管内第2の工業出荷額約240億円を記録し、現在の奈井江町の財政を支えてはいる。...が約千人の企業従事者の内町民は約400人に過ぎず、他の600人は町外からの通勤者であり町民の就労先としては殆ど貢献できていない。

しかし町の財政収支の上からは企業誘致策は功を奏し2010年度の町の普通会計歳出合計 49億8,893万2千円に対し普通会計歳入合計 50億7,951万円でかろうじて黒字を保つ事には貢献している

しかし歳入比率では地方税 7億394万1千円(構成比 13.9%)地方債 5億7,975万3千円(構成比 11.4%)地方交付税 25億6,386万2千円(構成比 50.5%)で歳入の50%以上を交付税に依存していた事が判る。

今後より一層の企業誘致に対する努力が必要な町ではある。

奈井江町のこれまでの歩み

江戸時代の空知郡域は西蝦夷地に属し松前藩領となっていた。
1890年 - 奈江村(現砂川市)戸長役場設置。
1895年 - 奈井江独立戸長役場(現奈井江町)設置。奈井江炭田発見。
1903年8月23日 - 奈江村を砂川村と改める。
1923年6月15日 - 奈江村、町制施行で「砂川町」と成る。
1935年 - 砂川町に15字が成立。後に当町内となる区域には奈井江、奈井江町、東奈井江の3字が成立。
1938年 - 住友鉱業奈井江炭鉱 開坑
1944年 - 奈井江村(現奈井江町)、砂川町(現砂川市)より分立
1950年 - 町制施行で「奈井江町」誕生

1951年4月1日 - 浦臼村の一部を編入(キナウスナイの一部)。同日、茶志内の一部(三軒屋)を浦臼村へ編入

1952年1月1日 - 上砂川町の一部を編入。
1968年(昭和43年)5月 - 北海道電力奈井江発電所 1号機 運転開始
1970年(昭和45年)2月 - 北海道電力奈井江発電所 2号機 運転開始
1971年 - 住友鉱業奈井江炭鉱 閉山
1972年 - 石狩炭鉱爆発事故。石狩炭鉱 閉山

1993年11月 奈井江町文化ホール 開館。

公開:2018年11月 6日
更新:2018年11月 6日

投稿者:デジタヌ

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