タヌキがゆく

懐かしいレトロシティー柏原!? 

ーシリーズ 何とかしようよ我が町柏原2017 -1

第1回 32年間の悪夢?からもうそろそろ「目覚めて」もよいのでは!

子供の頃の想い出がよみがえる、懐かしいレトロシティー柏原!

これは良い意味で言っているのでは有りません。
小生が物心ついて以来、半世紀以上ほとんど変化の無い街並み、それが柏原の実態です。

悪夢のような32年間

1973年~2005年の8期32年にわたる旧YAMASII市長の悪政のことです。

しかしそれから市長が2人代わり、12年が経過しました。

そして本年2017年新しい市長が誕生しました。

これを機会に、もうそろそろ目覚めても良い頃では無いでしょうか!

『ェ、少しも変わってない。そんなこと無いでしょう?...』 と思われる方もいらっしゃるでしょうが、ホントに変わってい無いのです。

確かに柏原駅前は2008年度に橋上駅舎に改築され、駅周辺は、整備され、正体不明?のアゼリア柏原(駅前再開発ビル)もopenしました。

構想以来実に半世紀以上がたとうとしています!

これに先立つこと26年前の1982年には、 河内国分駅では橋上駅舎の供用を開始し、同時に駅横の(柏原市直轄事業)のジョイフル国分(国分駅前再開発ビル)がOpenし駅前整備事業が終わっています。

この計画は1975年に都市計画決定した案件で、立案はそれよりかなり以前の段階つまり1973年以前の早川市長施政の段階で計画され、駅周辺地権者との粘り強い根回し交渉の上、YMASHII前前前市長の時代に日の目を見たに過ぎません。

彼はこの事業を、さも自分の手柄のように吹聴して周り1977年2期目の当選を果たしたわけです。(ご丁寧に自身の功績をたたえる石碑まで建立しています。アーア...)

しかしこれ以降はこの事業のような、根気強い住民説得・根回し(アセスメント)と用地買収が必要な駅前市街地改造事業や、道路建設事業には自ら進んで乗り出そうとはしませんでした!

この悪政は『変化を好まない老人(リタイアー組)』には拍手を持って迎え入れられていたようで初当選後8期32年にも及ぶお粗末な市政が続くわけです。

そして次代を担う若者達に、

『前進、変革、躍進、発展』

と言う夢を与える代わりに、貧弱な道路行政による、

『動脈硬化(劣悪な道路環境)と肥満(過剰な箱物建設)道路渋滞による都市機能麻痺』といった『成人病』が蔓延し、周辺都市の躍進を横目に発展からどんどん遠ざかっていって、永ーい眠りについてしまったわけです。

アゼリア柏原を含む柏原駅前市街地改造計画

但し6期目の1999年にアゼリア柏原を含む柏原駅前市街地改造計画の事業認可が同年8月に認可されています。

お代官様とその御用人(ブレイン=市幹部とそのスタッフ)が36年間のお代官様在任中で行った唯一の都市開発事業かもしれません。

都市計画道路大県本郷線(国道170バイパス)

しかし未だ完成をみていない国道170号線のJRアンダーパス東進事業。

1972年、計画決定が

1988年 着手(測量、用地買収など)

1997年 部分着工(駅前再開発事業に一環として)

2015年 アンダーパス部分の本格工事着手

2017年 現ざい、今だ工事中!

当初の開通予定2010年はとっくに過ぎています。

たった600mの短い区間なのに、計画決定以来実に45年もたっています!

旧YAMASHII市長在任中には、事業主体の府に何らの働きかけ(陳情)も事業協力(地権者・JR西日本との交渉)もしていなかったのでしょう。

毎年予算申請時期になると、以下のような会話があったのかもしれません。

『市長、今年も府から、170号バイパスの件で、.事業の具体的な実施計画について協議したいとの申し入れが来てるんですが?...』

『今頃なに言うとるんや!、市会もそないなもん早うせいとも、何も言うとらんがな!』

『ハア...』

『ややこしいもめごとはごめんやで!』

『ハア...』

『せっかく(市民との関係が)上手いっとんのに、立ち退き問題とか、何とかで、市民との信頼関係がぶち壊しになるがな!』

『ハア...』

『わしわ、まだやめる気はないからな!』

『ハア...』

『そないなこと、どうでもええから、係長でも新人でも、誰でもええさかい、法円坂(府庁)に挨拶に行かせて、「住人との折り合いがなかなかつかず用地買収のめどが立たんで困っとります。」とかなんとか、もっともらしい言い訳でお茶を濁しとけ!』

『ハイ、そのように取り計らい致します!』

たぶんこんな具合だったのでしょう。

市民の方ならご存じのはずですが、第二期工事区間の柏原中学校庭そばの事業予定地は用地買収・住人立ち退き建物撤去の後長年放置されたままでした。

大阪万博にあわせて都市計画道路の大阪外環状線が柏原市の町外れ?のごく一部、現私立柏原高校の横をかすめ、藤井寺市沢田まで開通したのが1970年です。

これ以降、我が柏原市では大阪府による大規模な都市計画道路の整備は行われていません。

この間にお隣八尾市で行われていた駅前再開発事業と道路整備はざっと以下の様内容です

近鉄八尾駅周辺市街地再開発事業

1978年に近鉄八尾駅周辺高架化と駅前再開発事業第一期が完成。

2006年アリオ八尾が開店、駅周辺道路整備完成。

地下鉄八尾南駅周辺駅前周辺開発事業

1980年大阪市営地下鉄谷町線の八尾南駅開業と共に駅前商工業用地域の造成整備完了。

1991年頃から1993年にかけてクロスティ八尾南、朝日生命八尾南ビル等が開業、分譲マンションの分譲などが始まりました。

この時期小生の、悪友もマンションを購入し、居住していました。

竜華操車場跡地の再開発

1997年に旧国鉄竜華操車場跡地の再開発大阪竜華都市拠点土地区画整理事業)が開始。

2006年にJR久宝寺駅橋上化が竣工しました。

2011年 JR「久宝寺」旧国鉄久宝寺操車場跡地利用の駅前の住宅・商業複合プロジェクトとして 「MEGA CITY TOWERS(メガシティタワーズ)」西館と駅前再開発道路整備が完了。

ライフなどが出店した駅前商業施設の一期工事完成。

2017年 今年対をなす東館もOpenしました。

同市『沼』地区の商業地区化

2003年 地下鉄谷町線の延伸を見越して、沼1丁目当たりにこの地区初の大型商業施設スーパーセンター「イズミヤ八尾店」が開店しました。

 続いて、エディオン、スーパーサンプラザチェーンなど次次と出店し柏原市のショッピング客が多数隣接八尾市のこの地区を訪れるようになりました。

打つ手もなく、指をくわえてただ傍観するだけの市商工会

その間1970年当時53104人だった柏原市の人口が1995年には80303人とピークを迎え、当時のやましい市長が就任した1973年頃から小中学校の新設などの公共施設や上下水道事業など、公共投資が増え続けました。

人工増加に比べ、旧態依然の商業施設では集客が落ちる一方で、景気の低迷で頼みの綱の工業団地も進出企業が思うに任せず、税収は伸びず再建団体に転落してしまいました。

2000年以来人口は減少傾向に有り、直近2015年の国勢調査では71112人にまで縮小しましたが、JR?波から鉄道距離で16.1Km、時間にして20分足らずという好立地で最近また増加傾向に転じています。

しかし小生宅の近くでも、大資本のデベロッパーによる大規模な開発は稀で、中小の建売業者が無秩序な乱開発を続けています。

今のうちに、都市計画道を整備しないと、無秩序な宅地開発のせいで、大型消防車が入れないような路地が増え、東南海大震災が発生したら、柏原市の市街地は消失するかもしれません。

防災都市とはほど遠い、『人災都市』になりはてています!

じっくり考えるべき時期にさしかかっているのではないでしょうか。

『どこからそんな金ひっぱてくる気や!』

とやじる『長老』の声も聞こえてきそうですが、金がないのはいずこも同じ、八尾市だってそんなに潤沢な予算ではありません!

問題は『お代官さま(市長)』のお気持ち一つでは?

ねえ『冨宅』君。

市民の閉塞感を何とかしましょう。

『柏原市に住んで良かった』

孫達にも胸を張ってそういえる市にしましょう!

躍進を続ける活気みなぎるお隣八尾市のと再計画は

八尾市の『都市計画道路の優先整備路線の選定』についてはこちら

参考までに小生が実地検分済みの整備道路・供用開始区間を以下に示します。

最後に恒例のデジタヌの具申

最低でも、次に示す道路整備は積極的に取り組むべきでしょう。

現在旧国分町域内では国道25号線の市街地部分の拡幅工事が実施されています。

元柏原町域

元国分町域

それぞれ解説の必要は無いと思うのであえて解説しません。

マイカー族ならずとも判っているはずです。

ただ一言、国道25号国分駅前交差点は早急に『立体交差化事業』を推進すべきでは?

公開:2017年7月15日
更新:2018年8月10日

投稿者:デジタヌ

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