タヌキがゆく

 "ミチャポン"が思う未来の柏原 ーシリーズ「何とかしようよ我が町柏原」2006-7

※<本記事は03/07/2006に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

第7回 ミチャポンが「大人になったときの柏原」を想像してみました。

玉手小学校入学前、狸穴ミチャポン2才!

私が子供のころは、まだ、石川町と安堂町が"愛の架け橋"でつながっていませんでした。

私とお母さんは、市役所に用があるときは、道明寺から近鉄電車に乗って柏原南口まで行き、そこからは歩いていきました。

市役所から、向こう岸を見たら、私の通う玉手小学校が見えていました。

その時ここに橋が架かっていたら、「こんなに遠回りしなくてすんだのにな」と思いました。

でも2025年の今は、何年か前に橋も出来たのでずいぶん楽になりました。
いまは沢山の橋が出来て、カリントバタの友達も喜んでいました。

東条町の人たちも、かわちかたかみ駅が近くなったので喜んでいました。
高井田にも橋ができたので、高井田の友達も、買い物が楽になったと喜んでいました。
2025年の今でも、ソトカンと昔の170号の間だは、JRと近鉄で区切られています。
でも柏原駅と堅下駅を通って両方の道をつなぐ広い道が出来たし、何カ所も地下道が出来て大変便利になりました。

26号線も、昔の170号も広くなり、それに市民病院前の道はソトカンとつながって、柏原市の背骨の様に広くて立派な道になりました。

病院に歩いていっても、立派な歩道があるので危なくなりました。

それに、パーク&ライドと言うらしいけど、市役所前の川原が大きな駐車場になり、駅と病院を結ぶシャトルバスがしょっちゅう走っていて、お買い物や、おつとめが大変楽になりました。

お父さんは、おじいちゃんになったけど、"年寄りに優しい町"になって嬉しいと言っていました。

お母さんも、「昔に比べたらずいぶんと住みやすくなった」と喜んでいました。

ミチポンが大きくなったら、そういう町になって欲しいです。

お終い。

公開:2006年3月 7日
更新:2018年3月24日

投稿者:デジタヌ

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