タヌキがゆく

【レビュー2006】 ホリエモン礼賛にヒトラー礼賛の陰を見る 

ご注意※印は当サイト内の紹介記事リンクです。

但し、その他のリンクは当事者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

※<本記事は03/10/2006に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

第1章 ポジティブ思考で毎日を送る

しつけ、と因果は巡る 狸禅師の三行説法http://mamiana.seesaa.net/より.

しつけとは、判断力を持った

真の大人に育て上げることである。

『真の大人』とは、『手加減』をわきまえ、判断力を身につけた人のことである。 『手加減』とは『自制心』をわきまえることである。

『自制心』とは、『禁欲できる心である。

『禁欲』とは"『欲望に打ち勝つである。

欲望に打ち負かされた、代表選手として最近の新聞を賑わしたのは、ご存知ホリエモン、そしてオジャマモン。

彼らはどうして大人にになれなかったのか?

そして何故ここまでのし上がってきたのか?

実は、のし上がる人にはある共通項が見られる。

ホリエモン、オジャマモン、そして柏原市のヤマシ前市長、ゴメン間違えたヤマニシ前市長だったッケ?

(まあどっちでも良い、山師、疚しい、ヤマニシどれも似たり寄ったりだから!?)

共通項とはある種"カリスマ性"を持ち合わせている事だ。

通常カリスマ性は良い意味で使われる場合が多いが、彼らも一時期確実にカリスマではあった。

そして今は犯罪の容疑者、又は重要参考人である。

こういう人たちは、

自尊心と引き替えにある種のバイタリティーを悪魔?から受け取り、

多くのご"無理ごもっとも三無人間"を従えてのし上がってきた。

現代の日本においてはあらゆる分野で多くの"カリスマ"が活躍し、

一般の三無人間型庶民?から憧れの眼差しでもて囃されている。

確かに彼らから学ぶべき点は多い、彼らは『人間は考える葦である』を実践し、ストレス社会を勝ち抜いてきた人たちではある。

決して三無人間ではない小生は七転び八起、栄枯盛衰そんな人生を送ってきた。

今のところ"成功者"ではない。

しかし誇り(埃ではない!)を持って生きている。

人間としての尊厳、"自尊心"を持ち続け、人類の宿命的『葛藤』から逃げたり、置き忘れたり、捨てたり、はしてこなかったからである。

『ポジティブ思考で毎日を送る。』

これが小生の座右の銘である。

そして、このことを身をもって教えてくれた無き父、母に感謝している。

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<本記事は03/10/2006に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

シリーズ「ホリエモン礼賛にヒトラー礼賛の陰を見る。」その2

第2章 欲望と自制心

人類の宿命の葛藤から逃げては成らない!

人類が思考を持って以来、"欲望と自制心"の狭間で葛藤し続けてきた。

言い換えれば動物としての"生存本能と理性"の葛藤である。

これに負けたのが"ホリエモン"であり、柏原市の前山西市長である。

世界的・歴史的には、カリギュラ・ヒトラー・スターリン・ポルポト、日本では、秀吉・そして戦前の軍事内閣。

人間には、"超えては成らない一線"という物がある。

つまりそれは"無駄な殺生をしてはならない"という考えである。

文明発祥以来原始宗教・自然崇拝、色んな形でシャーマンらによって語り継がれてきた山の神への感謝、海神への感謝。

いずれも生きてゆくために"日々の糧"を与えてくれた"神=自然=あらゆる生物"への畏敬の念である。

だから、思想的なベジタリアンは偽善者であると小生は思っている。

健康教?の信奉者のベジタリアンは可愛い存在であるが、一部の動物愛護活動家などが唱えている菜食主義は許容できない。

それは、人類の宿命を否定もしくは、目を背けているからである。

偽善者ブルより、無駄な殺生をしないで、自然への感謝を忘れず、飽食に走らず、慎ましやかな生活を送る。

その方が人間らしい生き方だと思う。

話はそれたが前出の人たちは総じて、

その時はそれしか道がなかった」

と主張する。

だがそうなのか? 

「時を経ると冷静に過去を振り返ることが出来る」

とよく言われるが歴史的観点だけでは、人間的に間違った判断をしてしまう。

"超えては成らない一線"が観点でなければならない。

一部の歴史家は太平洋戦争を引き起こした軍部と一部の財界人に同情するような意見を述べたりする。

しかし、「病むにやまれぬ事情」ソンナ物は「欲望に負けた自制心」に対する言い訳でしかない。

いくら価値観が多様化しようが決して、許されるべきではない。

当時の民衆が自尊心を捨て葛藤から逃げた結果、その時"欲望に負けた"米国から、悪魔の劫火、原爆を投下され太平洋戦争は幕を閉じた。

戦前の"政府の決断"を認めることは、米国の原爆投下を正当化する事に他ならない。

そして未だ世界中で絶えることのない、人種間の闘争・宗教間の戦争・テロ・虐殺・,殺戮を正当化してしまう結果となり人類の滅亡へとつながるのではないか?

今、戦犯だけに一切の責任を押しつけ過去の過ちに目を背け、未来だけを睨み進むことなどしては成らない。

被害者としての戦争の悲惨さばかりを協調するのではなく、戦争を容認した当事者としての民衆の子孫として、国民一人一人がもう二度と戦争を引き起こしたり、巻き込まれたりしない、と言う確固たる決意を持つ必要がある。

"粉飾決算"は戦争ではないが、"超えては成らない一線"である事には違いない。

殺戮が伴わないと人の罪悪感は少なくなるらしいが、そうあってはイケナイ。

カリスマを個人批判するだけでなく、葛藤に目を背けて悪魔の甘い言葉に耳を貸し、本能の赴くままに時に流されていった支援者一人一人が懺悔すべきである。

そして、今こそ我々民衆一人一人が"欲望と自制心"の"葛藤と向き合って生きていく姿勢"が必要な時期に来たと思う。

公開:2006年3月10日
更新:2018年7月22日

投稿者:デジタヌ

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