タヌキがゆく

【レビュー記事】大阪2009  大阪は人情溢れる街ってホント?

※<本記事は 01/18/2009に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

シリーズ大阪はほんとに日本・第二の大都市?「『上方』の東(アズマ)に対する対抗意識と劣等感、妬み・やっかみ、負け惜しみ、偏見について考える。」

その5 大阪は人情溢れる街ってホント?

その5大阪には人情が有る!町中で出会う人みんな親切や!

大阪の"おばちゃんが"よくいう言葉である。

しかし小生はこの表現に疑問を持っている、ただ単に厚かましくてお節介焼きな連中が多いだけではあるまいか?

"カミガタン"や"カワチヤン"はこの手の"オバハン連中"をこう呼ぶだけではあるまいか?

彼女達に慈(いつく)しみ、労(いたわ)り、思いやりといった、"人情の基本要素"があるのだろうか?

確かに、上方では、最近切った張ったの刃傷沙汰(にんじょうざた)が新聞紙上を賑わせてはいるが。

はたして...。 大声で

『チョット、チョットそこのオッチャン何してんネン?ジャマ(邪魔)やジャマやドイテンか!』

等と、叫びながら自転車で猛進するカワチヤンのオバハンに"人情"があるのか?!

かつて、小生は「柏原市役所付近の大和川河岸に1000本桜並木を」と呼びかけた事があったが、実際には"カワチヤン"の"人情"が障害となって実現しないであろうと考えている。

何となれば、わざわざ先人が子孫のためにと残した桜並木を、

『毛虫が、落ちてきて迷惑や、そんな桜切ってまえ!』

と市役所に怒鳴り込み、怒鳴り込まれた市役所も躊躇せずに桜を切り倒してしまう"土地柄"であるからである。

合理性を重んずる?カワチヤンのオバハン連中にとっては、年に1週間しか花を咲かせず、後は花吹雪の掃除、掃除で手間ばかりかかり、おまけに夏は散歩チュウに頭の上から毛虫が落ちてくるような、何の役にも立たない?桜並木など迷惑千万な存在なのであろう。

これには、気候風土の差も少なからづ影響しているとは思うのだが...。

関東平野や東北地方の様に冬が厳しく、冬場に"来るべき春を待ちこがれる我慢"を強いられる厳しい気候風土とは違い、

上方では春はそれほど感慨深いものでもないのであろう。

上方では春は必ずやってくるモノだし、春に続く梅雨期の不快感を予感させる季節でもあるからである。

「梅は咲いたか?桜はまだかいな?」などと悠長な気分には浸れないのであろう。

また、記憶どころか記録にも残っていないような大昔から、人口密集地の河内平野では利用できる空き地があれば全て耕作地に転用し、喩え米一粒でも多く収穫出来るように励んできた風土である。

「花より団子」の精神が「ネイティブカミガタン」や「カワチヤン」に染みついてしまったのであろう。

全く風情の無い話しではある。

このことは新幹線に乗って大阪に帰ってくるとよく理解できる。

上り、下り関係になく実感できる事でもある。

岡山方面から帰ってきても、東京から帰ってきてもいつも「何か今までと違うな?」感覚に襲われる事になる。

答えは、大阪平野に入った途端、耕作地と住宅ばかりが目につくようになり、"鎮守の森"に代表される、雑木林が視界から消え失せるからである。

河内にはこんな笑い話がある。

屁を放るにも、

『裏の畑で放ってこい。家の中では屁はするな!』

理由は、

『屁も無駄にしたらアカン!畑の肥やしになるやないか!』

というわけである。

まさにド渋チン(ドケチ)極まれりの逸話である。

鎮守の森が見あたらない理由はこれであろう!

"困った時の米頼み" 神様より米(金)様なのである。

そんな風土に育った連中に、人情や、風情(フゼイ)風流、粋(いき)といった物を求めても、

『風情て何でんねん、何ぞ腹の足しにでもなるんデッカ?』

なのであろう。

<この稿お終い>

公開:2009年1月18日
更新:2017年9月17日

投稿者:デジタヌ

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