タヌキがゆく

【レビュー記事】2006  その昔、トヨタ自動車は日本最初の純国産技術で乗用車を作った。

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<本記事は03/04/2006'タヌキがゆく'に初稿公開した記事のお引っ越し記事です>

貴方はトヨタ党?、それとも日産党?その1

その昔、トヨタ自動車は日本最初の純国産技術で乗用車を作った。

それから時は流れて小生が幼少の頃初代トヨタクラウンが世に出た、この辺のいきさつは"プロジェクトX"でも紹介されたのでご存知の方も多いと思う。

そのころ日産は英国オースティン社と業務提携をしてノックダウン方式による国産車製造に乗り出したそれが初代DATSUNである。

日産はその後ダットサンを改良し続けオーストラリアの国際ラリーで優勝の快挙を成し遂げる,そして独自開発による初代ブルバードへとつながる。

しかしDATSUNのエンジンの系譜はA型シリーズとして、その後もサニー、チェリーと脈々と受け結がれる事となった。

2代目ソニックラインのブルーバード(BB)

日産が完全に自社技術と呼べる技術で"量産大衆車"を完成させたのは2代目ソニックラインのブルーバードを完成させたあたりである。

当時としては画期的なこの車はライバルのアローライン・コロナと共に庶民のあこがれの的であった。そしてこの頃日産は"技術の日産"を全面に打ち出す販促戦術をとっていた。

確かにその頃のトヨタ車はメカフェチ少年?であった小生にとって、興味を引きつけるところなど何処にもなかった、 モータリゼーション黎明期の

自動車ジャーナリストの連中も「トヨタの80点主義」の産物などとコケ?にしていた。

一般大衆はコロナの信頼性を支持した。

メカフェチ少年の小生には全く興味を引くところがなかったコロナではあるが市場での軍配は確実にコロナにあがっていた。

何故か、答えは簡単その耐久性、堅牢性、すなわち「信頼性」

と交換部品のコスト、サービス工場のメンテナンス体制(技量)も含めての「メンテナンス性」にあった。

まだまだ日本全国至る所に極(悪)道(国道をもじって"ゴクドウ"と読む)が広がっていた時代、SOHCのエンジンはともかくとしてもブルーバードの"4輪独立懸架"には厳しすぎた、伸縮スリーブやジョイントカバーが悲鳴を上げたのは言うまでもない。

発売当初おもしろい逸話があるBBの後輪サス。

このBBのインデペンデント(独立)後輪サスには発売当初おもしろい逸話があって、あるユーザーが新車を販売店で受け取り、家に帰るまで親切な後続車に「貴方の車の後車軸が折れている!」と何度も止められたと言うのだ。

当時リジットアクスルが全盛の時代、一般ドライバーにとってタイヤがハの字に成りっぱなしで走る車など信じられなかったのだ!。

確か に日産の快挙というか"暴挙"のおかげで部品メーカー、特にベアリングメーカーの技術力はいやがうえにも強引に引き上げられ、その後の世界1の技術力へとつながるのではある。

公開:2006年3月 4日
更新:2017年9月17日

投稿者:デジタヌ

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