タヌキがゆく

【レビュー2008】愛国心を 振り返って考える 

※<本記事は04/29/2008に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

ーシリーズ「愛国心て何なんでしょう?」2008 ー

第1章 "愛国心"の変遷

ココで言う"愛国心"とは、決して戦前の国粋主義者や、全体主義者が唱える様な「"隷属的"な"愛国心"」ではありません。

江戸時代には君主に対する『忠義』

かつて、江戸時代、日本が小国の寄せ集めの連邦国家であった頃の封建体制下では武士階級の愛国心とは、

君主=殿に対する『忠義』その物でした。

戦前は『天皇に対する忠誠』

それが明治維新で天皇が元首と成られ、教育勅語が発布されると政府の要人から一般民衆に到るまで『天皇に対する忠誠』こそが"愛国心"その物であるかのように徹底教育されました。

一方、実際に日本を動かしていた政府高官や軍部は天皇を

"現人神"として為政者の座から"神"の座に祭り上げてしいました

言い換えれば実権を奪ってしまいました。

そして、敗戦後天皇が神の存在から"人"に降りてこられ、 一部の政府関係者以外"愛国心"は忘れ去られました。

敗戦直後の食うこともままならぬ状況では愛国心など何処えやら。

敗戦後の食うこともままならぬ状況では『食うことが、優先』し一般庶民はそのことだけに明け暮れていたのです。

『人を押しのけてでも自分さえ良ければよい』

風潮が世の中を席巻し根付いてしまいました。

平成太平の時代は、

そして、愛国心とはスポーツの国際イベントの際『頑張れ、ニッポン!』と言う声援を送り応援し、

自らも選手と同じ"日本人"で有ることに酔いしれ一喜一憂することが"愛国心"で有るかのような風潮ができあがってしまいました。

ワールドカップ等での庶民の驚喜・狂乱ブリは戦前の軍国主義の復活を予兆させる。

小生はコンナ薄ぺらい愛国心など国粋主義者・全体主義者に悪用されるだけで何の意味も持たないと考えています!

昨今の、ワールドカップ等でのサポーター、フーリガン等の振る舞いは戦前の軍国主義の復活を思い起こさせ、背筋がゾッとする思いです

第2章 "愛国心教育アレルギー"が生んだ現代日本社会の疲弊

愛国心とは『人類愛』へと繋がる『暖かい心根』で有るべき!

家族に対する『思いやり』『いたわり』と言った『家族愛』が発展して自分や親類縁者が住む地域に対する『郷土愛』となり。

郷土を守ってくれる『国家』への『帰属意識』が『愛国心』へとつながるのではないでしょうか。

愛国心とは、究極的には『世界は一家、人類皆兄弟』の『人類愛』へと繋がる『暖かい心根』で有るはずです!

自分たちの仲間に対する、いたわり、思いやり、励まし等から来る"声援"であるなら、"ワールドカップ"等でのサポーター達の『ニッポン、チャチャチャ、ニッポン、チャチャチャ』の声援も愛国心の表れの一つの形と考えられなくもありません。

国際スポーツ大会での"陶酔状態"はナショナリズムを煽るだけ。

しかし、それが単にその場の雰囲気に押し流され、"お題目"のように"ニッポン"を連呼することによってある種の"陶酔状態"になっているだけだとしたら。

全体主義者や国粋主義者に悪用され、ナショナリズムを煽るだけの結果になってしまうでしょう。

日教組は『家族愛』とその基になる『道徳心教育』までも否定・拒否した。

敗戦後、全体主義的、国粋主義的、且つ隷属的な"戦前の愛国心教育"に極度な嫌悪感を感じ、"愛国心アレルギー"ないしは"愛国心教育トラウマ"となっていた日教組幹部のお偉い先生方?

先生方は理想的な愛国心教育の根源をなす『家族愛』とその基になる『道徳心教育』までも否定・拒否してしまわれた。

結果、今の不設楽(ふしだら)で身勝手な若者世代を創出してしまったのではないでしょうか?

彼ら『お利口さん』達は一見おとなしくて、親の言うことを好く聞く『よい子』のように見ますが、実のところは親の指示が無いと何も出来ない『お馬鹿さん達』でもあるのです。

物の善し悪しも自分では判断できずに、

『ネエ母さん、ネエ母さん教えて?』

と母親の言うなり、その『馬鹿者達』がある日突然、とんでもない『間違った自我』に芽生えた瞬間、"隣人愛"どころか、『激しい憎悪の固まり』となってしまい、犯罪を起こしてしまう。

最近よくマスコミを賑わしている、このような事件が後を絶ちません。

『ネエ母さん、ネエ母さん教えて?』に応えられない親。

『ネエ母さん、ネエ母さん教えて?』は今に始まったことではないのが問題なのです。

最近親になった20代30代の人達が子供の頃にはこのような傾向は既に定着してしまっていました。

今時の"親"自体『ネエ母さん、ネエ母さん教えて?』の質問に、

何を答えて良いのか判らない親達が多いのです。

物さえ十分に与えていれば子供は勝手に育つ?

敗戦後の『食うことが、優先』した混乱した社会の中で、

育った戦前・戦中派の人たちは、"家族愛"は体験的に学べていたかもしれません。

しかし残念なのは、隣人愛までは手が回らず即物的な大人に育ってしまい、彼らが結婚した時には高度成長期を迎え更にこの流れが加速され、

『子育て=物さえ十分に与えてやれば子供は勝手に育つ』

ふうな意識が世の中に蔓延し、おまけに高度成長が招いた都市化・核家族化がこの流れに拍車を掛け手しまいましまったことです。

『年寄りの智恵"』を伝えるべき『爺婆』が「フルタイムからパートタイム」爺婆に...。

すなわち、本来、『年寄りの智恵"』で孫達を正道から外さないように導くべき"『爺婆』が核家族化のあおりをくらい、『フルタイム爺婆』から『パートタイム爺婆』に成り下がり、

孫に嫌われまいと、『ちやほや』するだけで、『叱る』事をしなかったため、今の第3世代目の『馬鹿親』が誕生してしまったのではないでしょうか。

小生はこの事を『馬鹿の連鎖』と呼んでいますが、馬鹿の連鎖のおかげで『法律以前の社会生活のルールやマナー』が判らない馬鹿親子が世の中に氾濫し、交通事故は後を絶たず少年犯罪も日に日に増加傾向にある様に思えて成りません。

ご注意※印は当サイト内の紹介記事リンクです。

但し、その他のリンクは当事者・関連団体の公式サイト若しくはWikipediaへリンクされています。

※<本記事は05/01/2008に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

シリーズ「愛国心て何なんでしょう?」

第3章  愛国心の対象となる国家と言う概念とは?

一匹狼では狩りは出来ない!

自然界において、多くの動物は一匹では生きて行けません。

群れから離れることは、即"死"を意味しています。

特に草食動物達はお互いをかばい合い一致団結して外的と戦い、餌場を確保しています。

よく、あの人は"一匹狼"だ等と例えますが、オオカミの世界でも実際には群れで狩りをし、お互いの役割は明確に決まっており、ウサギなどの小動物はいざ知らず、大きな獲物を狙うには一匹狼では実際には狩りは出来ません!

象の王国や猿の王国は存在しない!

象社会では、

集団で弱者である"子象"を守り、ひとたび外的に襲われるようなことが起これば、リーダーの象が文字どおり命を賭して外的である肉食獣と戦う事はよく知られています。

像の群れには"強いリーダー"がいるからこそ、水を求め・餌を求めサバンナの中をリーダーの進む方向について行くのです。

猿の世界

でも同じ、普段は威張っているだけのボス猿も一度、外的に遭遇すれば命を賭して外的と戦います。

象や、猿の世界では、

血縁で出来た群(コロニー)は有っても、象の王国?猿の王国は存在しません!

象の場合、猿の場合でも、集団(群)間で水場や餌場を取り合ったりし、最近の研究では子象を盗み合ったり、敵の子猿を食べてしまったり!

と言った集団間の小競り合い等もしょっちゅう発生しているという事です。

とは、概念的、観念的な集団。

人間社会だけに存在するとは、概念的、観念的な集団であり自然発生的な事象とは考えにくいのです。

つまり共通の利害関係を持つ複数の集団が連合を組んだり、前近代においては、野心(征服欲)に満ちた『リーダー=国王』が周辺のコロニー・コミューンを併合しコロニーの集合ができあがり、国家を形成したと考えられています。

グループ(国家)に対する帰属意識(仲間意識)』

つまり個人から見れば、コロニーに対する郷土愛は、"思いやり"や、"いたわり"と言った家族愛の延長線上のもの。

しかし"国家"と個人の関係は"利害関係に基づいた"、権利と義務と言った杓子ばった関係が根底にあり、『グループ(国家)に対する"仲間意識"』が『愛国心』""といった言葉で表現されているのでは無いでしょうか?

かつては、宰相も数多く存在した。

かつては、人間社会においてもいざという時に命を賭して国民・領民の為に働き、国家を守ろうとした宰相も数多くいました。

しかし近代・現代の日本では威張っているだけで自らは何もしない、

挙げ句の果てには弱者救済どころか、『お年寄り』や『子供』『身体の不自由』な人達、いわゆる弱者を平気で切り捨ててしまう。

自然界ではおよそ有り得ないようなリーダーも、数多く出現してきたかのように思えて成りません。

『美しい国ニッポン』などと言う『お為ごかしの台詞』で愛国心は芽生えません。

言った本人に愛国心があったなら、任期半ばで職を投げ出すような滑稽な真似はしなかったでしょう。

そんな無責任なリーダーを出した今の日本に、集団への帰属心。

言い換えれば"愛国心"は存在するのでしょうか?

為政者など所詮永遠の存在ではない。

古来農耕民族にとっては"先祖伝来の土地"を守る事、すなわち郷土愛が優先し、『通り過ぎていく風』のような為政者など所詮永遠の存在ではありませんでした。

時の政府・国家等に対する、帰属意識や執着心と言った"愛国心"は極めて希薄で有ったのです。

まさしく『国破れて山河あり』のとおりです。

近代・現代においては、『国破れたら、山河無し』

しかし、近代・現代においては、『国破れたら、山河無し』となる場合もあります、土地を追われる場合も出てきました、"旧大日本帝国"が北方領土を旧ソ連にかすめ取られ、多くの難民(引き上げ者)が発生したのは、まさしくこの例ではないでしょうか?

家族と郷土のために戦う。

そんな事も起こり得る事を考えたら、

"いざというとき"には家族と郷土を守るためには、"愛国心"と言うより"家族愛"のために戦わざるを得ないのいではないでしょうか。

最終章  外交と愛国心

今、小生に『貴方には愛国心が有りますか?』という質問があったら、

『愛国心と呼べるかどうか判りませんが、日本国に対する帰属心や執着心は有ります』と答えるでしょう。

次に、

『戦争が起こったら、貴方は戦いますか?』という質問が続いたら、

即座に

『家族を守るために、戦地に赴きます』

と答えるでしょう。

そう、私には大事な家族があるから、戦争になれば戦地に赴くでしょうし、それは為政者ノタメでもなく、死ぬためでもない、

『家族を守るため、生き抜く為、だからです!』

今、世界各国で起こっている地域紛争は全てこういう事だと思います。

年わも行かぬ少年兵が、銃を構えて敵に対するのは、"大事な家族を守りたい"からでしょう。

戦時防衛=愛国心では無く、戦時防衛=家族愛 なのです。

何も武力闘争だけが戦争ではありません、国際社会における国家間の国益に関する鬩ぎ合い等の外交問題において"餌"や"代償"をちらつかせた"あの手この手"の外交作戦を使った交渉は、まさに兵器によらぬ戦争、プリ戦争状態ではないでしょうか。

今の政府・高官達に政治(内政・外交問題)を任せておいたら、

近い将来『守るべき土地』すら外国に買い占められて終い、

日本民族は"ユダヤの民"が如く世界中を流浪する民に成るやもしれません。

どうか、政府要人・官僚の方々は、"真の愛国心とはなんぞや?"と自問自答していただき、

利害のあい対する諸外国との"もめ事"に対しては"国民""国益"を守りきる。

という"強い意志"と"強い姿勢"で積極的に臨んで頂きたいと切に願う次第です。

<おしまし>

公開:2008年4月29日
更新:2018年10月25日

投稿者:デジタヌ

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