タヌキがゆく

芝居小屋2017 我が想い出の小学校  ーレビュー記事ー

「誰がために槌音は響く」2017 シリーズ「歴史的木造建造物蘇生」

その5、今なら間に合う

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公民館として生かしてあげよう、懐かしい我が小学校

例えば、全国に運良く残った、明治・大正生まれの小学校の木造校舎。

そのままの形で耐震補強を施し使われている施設(※1)も有るが、閑村では1部分を保存し、資料館や簡易宿泊施設にしてみたり、村おこしのクラフト工房として工芸作家に貸し出している例もあるにはあるが、たいていは放置され朽ち果てるのを待っている状態の施設が地方に散在しているようである。

公民館としての活用

しかし、別の角度からの視点で眺めてみれば、例えば元職員室など校舎の一部を残し(切り離し)事務室とし、講堂は公民館のホールとして生き返らせれば、「活きている文化財」としての価値が生まれるのではないか?

村長や町長は、在任中の手柄(功績)としてオラが町に「お上からの補助金」で建てた最新鋭の過剰設備にあふれた「公共施設」をモニュメント代わりに作りたがるが、町民にとっては慣れ親しんだ自ら学び、巣立った、おらが村の小学校が活きた施設として生き延びてくれる方が嬉しいのではないか?。

廃校、廃村の話題を耳にする度に

明治期に開校した由緒ある村の分教場と卒業した隣町の本校を同時に失ってしまった小生としては、胸を締め付けられるような、何とも言えない思いにさせられてしまうのである。

※1)篠山市立八上小学校について。

沿革(公式WEBサイトはこちら)と「篠山市立八上小学校木造耐震補強工事報告。」へのリンク。

タヌキのリフレイン。

小生がこの小学校を知ったのは、今から37年ほど前の1980年頃のことで有る、その頃小生はバイク熱にとりつかれ?、逆輸入の大型バイクにまたがって、意気揚々と近畿一円を走り回っていた。

そんなある日国道372号(現県道306号)を走っていたときに偶然「八上小学校」の前を通りかかった、当時は耐震補強改築前でかなりくたびれた校舎では有ったが、それが小生をタイムスリップさせてしまった、当時372号バイパスは完成しておらず、舞鶴若狭自動車道など無い時代では有ったが、小学校前を通る国道には車など殆ど走っておらず、いかにも田舎町のくたびれた小学校という趣の建物で会った、ただ当時すでに母校の木造校舎を無くしてしまっていた小生にとっては、何とも懐かしく、思わず傍らにバイクを留めて眺め入ってしまった。

失礼な話ではあるが、トイレの臭いがただよってくるような?古びた小学校は何ともいえず懐かしく、別段先を急ぐわけでも無い「ぶらりツーリング」なので暫しその威厳のある佇まいに見とれてしまった事を思いだす。

不思議な物で、

それから更に十数年の歳月が流れ、今から10年ほど前の2007年57才のころ、今度は大型トラックでトラック野郎をしていた時に、篠山市内にある印刷工場に印刷用のロール紙を運ぶ命を受け、早朝の国道173号で納品を終え、倉庫にとって返すべく丹南篠山口ICに向かって走り出してすぐであった、あの懐かしい木造校舎が目に飛び込んできた。

全長12mの大型車.なので、路駐させる訳にもいかず、そのまま通り過ぎたが、万感さし迫る思いであった。

あの小学校が真新しく成ってそこにあったのである...。

それから何度か前を通ることになったが、翌年2010年には会社を代わり、それ以後前を通ることは無くなった。

そして今回この記事を書くに当たって、2013年11月に創立140周年記念式典を迎えられた事を知った。

この学校を巣立っていく生徒達の心の中にはいつまでも、たとえどこに住もうが幾つになっても想い出としての学舎が残り、想い出と共に小学校も生き続けるであろう。

何時かは小生も再訪し、我が心の中に残る懐かしい母校を思いだす旅に出かけるつもりである。

公開:2017年9月28日
更新:2018年8月10日

投稿者:デジタヌ

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