タヌキがゆく

鬱病の妻に捧げる涙。前編

※<本記事は03/06/2006に旧サイトで初稿公開したレビューのお引っ越し記事です>

昨年、正月を待ちきれずに、義兄が亡くなった、癌であった。

その日私は、土曜であるにも関わらず出勤日にあたり、通夜には出席できなかった。

夕刻 家に帰ってきた私は妻と連絡を取ろうとした。

妻が代わりに出席してくれたからであった。

家には義息が一人で留守番をしていた、どうやら娘は連れられていったようだった。

『何か連絡はあったか?』

息子は

『何も聞いていない。』

私は[今ならまだ間に合うかも知れないし、どうせ姪達が、最後の別れで、泊まり込むはずだ。

疲れるだろうから交代で仮眠を取らせてやろう]

心の中でそう呟き、身支度を整え、とりあえず通夜に向かうことにした。

妻の携帯には午後から何度も何度もコールしていた。

妻には朝出がけに,

『帰宅次第、出来るだけ急いでそちらに向かうつもりだから、何か予定変更があれば携帯にコールしなさい。』

と言いつけてあった。

午後8時過ぎにやっと阿部野橋にたどり着いた。

[とりあえず、急がねば。]

私は何も食っていなかった。

その時ヤット携帯がつながった。

『どうしたんだ...、もう少しでつく...、何かあったのか?』

『今終わったから、今から帰るところなの。』

『何をとぼけたこと言っているんだ、今どこだと思っているんだ、おまえと連絡が取れないから、阿部野橋まで出かけてきたんだぞ!、それなら何故、電話の一つもよこさないんだ。』

『ご免なさい、美里が走り回ってくれて、手が離せなかったの』『まあ良い、オレは今からでも行ってみる』

『ソレが、セレモニーホールだから、夜は泊まれないの、だから今から来ても仕方ないの。』

『もういい!』

『ゴメンなさい、お兄さんの車に同乗させて貰うから急いでるの。その辺で何か食べて来て。』

『判った』

私は通話を切ってネオン街に歩き出した。

たまたま懐には、地方出張の旅費が数万円残っていた。

昔サラリーマンをやっていた頃通った串カツ屋を思い出した。

閉店前のラストオーダーの時間であった、適当に串を注文し生ビールでのどを癒した。

店員の催促で勘定を済ませ外に出た、9時を少し回った頃だった。

腹の虫はまだ収まらない、無駄足を踏まされたと言う思いが強く、少しばかりの酒では怒りを静めてくれない。

私は又当てもなく歩き出した。

まだ腹も空いていたし路地に入ったところで、とある寿司屋に入ってみた。

カウンターだけのこじんまりとした店だった。

店の主人と、チョット"いい女"のパートのお姉さんが",

『いらっしゃいませ"』

と私を招き入れてくれた。

3人程の常連客が店の入り口近くに陣取って彼女とひたしげに世間話に興じていた。

私は反対の隅の方に席を定め、ビールとマグロの握りを頼んだ。

一杯加減で、ほろ酔い気分になったところで店を出た。

そんなには遅くなっていなかった、終電にもまだ相当時間がある、 私はどうしようかと迷った、目の前にあるカップセルホテルに目がとまった。

連日のハードスケジュールで私は疲れ果ていた。

{今から帰って又明日でかけてくるのか?}

と思うと、帰るのが面倒になった。

明日の式場は今日と同じ所、行く先は判っている。

<続く>

公開:2006年3月 6日
更新:2017年7月25日

投稿者:デジタヌ

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