狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

第66話 日本初 フリーゲージトレイン の導入で 近鉄特急 のさらなる躍進を!《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男

※<本稿は03/25/2008に旧サイトで初稿公開した鉄道小説のお引っ越し掲載です>

ー 阪神・近鉄友情物語 ー 第66話

少し前の話題になるが1999年(平成11年)1月専門誌に「日本初の フリーゲージトレイン が(JR総研により)開発され山陰本線(米子~安来)で試験運転が実施された,今後米国コロラド州TTCIプエブロ実験線で4月から約2年間に渡り高速耐久試験が行われる予定}」との報道が有った。

徹路はこの記事を読み、"これだ"と思った

近鉄は創業以来ゲージの違も何のその、どん欲に吸収合併を繰り返し路線を延ばしてきた。

それ故にゲージの違いによる不都合を克服する苦労も他の私鉄以上に味わってきた。

そんな近鉄と共に歩んできた鉄治にとっては、"フリーゲージトレイン"というひびきは、福音のようにさえ聞こえたのであった。

例えば、鉄治の故郷"吉野"であるが、長年東京にたいする距離感は否めない状況が続いている。

しかし、この魔法の列車が実用化されれば、"花の吉野"は東京から見ても、京都の奥座敷程度にまで身近になるのである。

つまり橿原神宮前で乗り換える事無く、「座ったままで京都駅から終点吉野駅まで」行けるようになるので有る。

第一次試験車両による検証試験で明らかになった幾つかの問題点も、電化方式(直流1500v)信号方式、車両限界全て共通。

軌間(橿原線/標準軌1435mm と吉野線/狭軌 1067mm) だけが異なる近鉄の場合は障壁にならないと徹路は考えている。

軌間変換に1両当たり1分以上要すると揶揄されている件も、4両程度で運行されている近鉄特急では問題にならないと考えている。

スペイン・タルゴ社からのライセンス供与で同台車を国内開発している住金と近鉄は旧知の間柄である。

2007年(平成19年)2月9日から第二次試験車両による実証試験がJR小倉工場-西小倉駅間で在来線を用いて開始された今こそ、近鉄が国内におけるフリーゲージトレインの導入第1号に名乗りを上げ、近鉄の技術力を示して貰いたいと徹路は願っている。

JRとの特急共同運行で"桜ライナー"を新大阪まで

JR東日本では、以前から民鉄と協力してリゾート特急の共同運行が盛んである

伊豆急乗り入れの、「伊豆の踊子号」小田急とJRによる新宿ー沼津間の「特急あさぎり」、最近では東武とJRによる新宿ー東武日光ー鬼怒川間の「特急きぬ」がこれに仲間入りをはたした。
近畿でも、古くは南海と旧国鉄が、「急行紀国号」を共同運行していた歴史がある。

近鉄とJR西日本もこの方式を導入し、道明寺線を連絡線として利用し柏原で大和路線に乗り入れ、「桜ライナーを新大阪駅まで乗り入れることが出来ないか?」と言うのが徹路の望みである。

近鉄は開業以来大阪市の"南の関所"天王寺・阿倍野で足止めされ先には進めず、為に乗客は"乗り換え"という不便を強いられている。

近鉄とJRが手を結べば、大阪の誇る桜の名所"吉野山"に新大阪から座ったままで直行出来ることになる。

その昔は、貨物列車がお互いの路線を往き来していた経緯もある、徹路には決して実現不可能だとは思えない。

おおさか東線が開業した今、快速の東線乗り入れで大阪環状線のダイヤにも多少は余裕が出来たはずだし、「1時間に1本程度の桜ライナーだったら、ダイヤに潜り込ませることも十分可能ではないか?」と鉄治は思っている。

<続く>

 

公開:2008年3月25日
更新:2022年9月 5日

投稿者:デジタヌ

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