第55話 徹路の社長引退《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
※<本稿は 03/14/2008 に旧サイトで初稿公開した小説のお引っ越し掲載です>
ー 阪神・近鉄友情物語 ー 第55話
1993年(平成5年)3月28日伊勢自動車道が全通した。
バブル崩壊後、レジャー熱も静まり近鉄の旅客需要も伸び悩んでいたが、伊勢道の開通は新たなる脅威の出現でもあった。
そして9月亡き鉄郎が手がけた、阪神本線、野田ー梅田間の地下化工事が完成した。
同じ9月、志摩線の複線化事業も完工した。
徹路76才のこの年
平成5年4月有限会社鉄路設立16年目にして、徹路は相談役に身を引き娘婿石部金三に社長の椅子をゆずることにした。
次女未來と同い年の金三は44才になっていた。
徹路から見れば少々頼りなくも写り、事実バブル期に何度か危なっかしい場面もあったが、徹路の指導で本業に精進したおかげで、バブル崩壊後も順調に業績を伸ばし準社員を含めると100人を越す大所帯迄会社を成長させてきた。
相談役に退き社長の座を金三にゆずったとは言え、徹路はまだまだ老いさらばえる年ではなく長年誘いのあった、東大阪の私立大学に客員教授として週に2度ほど出向き次世代を担う若き技術者の育成に力を貸すこととなった。
社長を外れ雑用に患わされることも無くなったので、気兼ねなしに現場にも出向けるようになった。
社長引退を機会に手狭になった自宅にある本社を,枚岡の独身寮の2階を改築し移転することにし、自宅は3階建ての2世帯住宅に全面的に建て直し、金三夫婦と同居することにした。
金造は、この際空き部屋も目立つようになった独身寮を閉鎖してはどうかと徹路に進言したが、毎年島根県から出かけてくる臨時工の季節労務者の為にも、そして何より一日の仕事の終わりの、"ひとっ風呂"を楽しみにしている現場従事の労務者達の為に、絶対寮の火は消せないと突っぱねた。
そして2階を事務所に改築する変わり、1階にあった今までの事務所を、仮眠部屋をかねた休憩・待機室に改築させた。
皮肉にも、昼間は2階本社に設けた技術開発室で文献に目を通し、客員授業の資料作りをし、合間に現場に出かけ、そして夜は仮眠室の一室で寝泊まりし、隣の"めしや"で独身寮の年寄り連中と食事をとる毎日が多くなり、せっかく新築したばかりの富雄の自宅にはあまり帰らなくなってしまった。
<続く>
公開:2008年3月14日
更新:2022年9月 5日
投稿者:デジタヌ
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