タヌキがゆく

【鉄道フィクション】69年間待ち続けた男 第54話 近鉄佐治会長の死

※<本稿は 03/13/2008 に旧サイトで初稿公開した小説のお引っ越し掲載です>

"阪神・近鉄友情物語" ー在る鉄道マンの半生ー【小説】69年間待ち続けた男。


1993年(平成5年)2月近鉄佐治会長が82才で亡くなった。
奈良市内のお寺で行われた密葬には多数の著名人が駆けつけた。


佐治の死は一時代を築いた人の死であると同時に、

彼の死によって、「明治生まれの事業家に共通した事業哲学」、明治の事業家が持っていた、決して金勘定だけに囚われない、社会貢献への信条、事業家としての誇り・気概・気骨・情熱それらの全てが、徹路の目の前から消えていく様(さま)を眺めているような不思議な感覚を覚えさせた。


新生駒トンネル、名古屋線改軌、難波線建設、新青山トンネル掘削大阪線複線化、すべて、金儲け以上の"社会事業"と"社会資産"としての必然性を感じて成し遂げた事業であった。


「ラグビーでは金にならない」と言う口実ではじめたプロ野球球団近鉄パールズも、これからの日本を担う少年達に「夢と希望」を与えたいと始めたのではないだろうか?

事実藤井寺球場が無くなるまで、そこは春夏の全国高校野球の大阪地区予選の舞台として、数々の名勝負を生み高校球児達の心にシッカリと刻み込まれている。


文化事業にも熱心だった彼が創設した近鉄劇場も、興行的には成功したとは言えなかったが、それまでの大阪には無かった本格的ドラマシアターとして、数多くの名作を浪花の人々に紹介し、浪花の演劇文化の発展に貢献してきた。


国分新社長を批判するわけではないが、彼が社長になってからは、創業以来脈々と培われてきた"近鉄魂"が忘れ去られ、目先の金儲けに迷走しだしたように感じるのは果たして徹路だけなのであろうか...。


戦後教育を受けた国分社長の率いる現経営陣には、企業価値とは株価を含めた"総資産額の拡大"、と"徹底した経営効率の改善"の二文字しか浮かばないのではないか...とさえ思えてくる徹路であった。


日本の自然と芸術をこよなく愛した故佐治会長が、「伊勢志摩の自然を万人に、そして地域振興の為に」と行った、鳥羽線建設、志摩線の改軌事業。


その結果、彼がこよなく愛した美しい志摩半島の自然が、ゴルフ場の乱開発で大量に散布される農薬の2次被害により、英虞湾に赤潮が大発生し明治以来行われてきた真珠の養殖産業に大打撃を与え、多くの養殖筏が英虞湾から姿を消してしまったとは皮肉ではある。


決して近鉄だけのせいではないが、佐治一徹が描いた姿では無かったはずである。

そして彼が会長に退いて、6年...亡くなる2年前、バブルがはじけたその年の7月、新生国分近鉄の観光路線の切り札となるはずだった志摩スペイン村が着工されたのであった。


<続く>

公開:2008年3月13日
更新:2018年6月17日

投稿者:デジタヌ

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