狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

第50話 徹路の考える人の使い方とは...《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男

ー 阪神・近鉄友情物語 ー 第50話

徹路は彼を慕って集まってくれた工夫達を大事にした。
それだけに、金の貸し借りについては厳しく戒めた。
特に、前借り、借金の類は一切拒否することにしていた。
その代わり、賃金の日払いには応じてやっていた。


最近は土木従事者もサラリーマン化し、毎朝ランチジャー片手に、マイカーで通勤してくる風景も珍しくはない。
しかし徹路が会社を始めた1970年代は、全国の土木現場を渡り歩き、着の身着のままな一人暮らしをしているベテラン労務者が多かった。
彼らは、山谷や釜ヶ崎のドヤ街に住み、職にあぶれているときは、飲酒と博打に明け暮れる生活を送っていた。


そんな彼らに、安定した生活を送らせるため、徹路は1987年(昭和62年)有限会社鉄路 創立10周年を記念して、枚岡にある資材置き場に隣接して立派な独身寮を建設した。
10人ぐらいが一度に入れる大きな浴室と、社員食堂を兼ねた"めしや"を備えた鉄骨ALC構造の4階建ての建物で、一階の一部を工務部の事務所にした。


共同トイレ、共同洗面の飯場風の作りではあるが、各部屋は押し入れ付きの4畳半一間の個室であった。


ドヤ街の蚕棚風ベッドの相部屋とは違い、プライバシー"が保てる個室にはテレビやチョットした家具も置けるし、遠く離れた家族に手紙を書いたり、読書を楽しんだり出来るプライベートタイムがもて、雑居による精神的ストレスが原因と思われる喧嘩も目立って少なくなった。


直営"めしや"では従業員用の定食の"めし"はおかわりし放題とし、一般食堂でもあるから夜はアルコール類の取り扱いも許した。


当時は建設会社に嘱託の準社員として入社しても、酒と博打におぼれる生活で、前借りを繰り返し、挙げ句の果てに"トンズラ"という者も珍しくなかった時代である。

そんな彼らに職人のプライドを持たせ、その日暮らしの生活を改めさせ、人並みの安定した生活が送れるようにと配慮してのことだった。


最初は気ままなドヤ街暮らしに慣れきっていた、年配の労務者達も次第に寮の生活に慣れ、僅かづつではあるが、貯金をする者も現れてきた。


建設当初は、60部屋ある寮が季節労務者の受け入れなどで満室に成ることも珍しく無いほど賑わいを見せた。


いつしか時代は移り変わり、世の中は共同トイレの安アパートからトイレ・風呂付きのコーポ建築が貧乏長屋の標準に代わり、若い世代は堅実に給与から天引きで積み立て預金をし、家庭を持ち寮を出て行って愛妻弁当片手に通って来る者が多くを占めるようになってきた。


一日の仕事を終え、寮の風呂場で汗を流し、食堂でその日有ったことをネタに気の知れた仲間と夜遅くまでわいわいがやがや一杯やる時代は遠ざかっていた。


<続く>

 

公開:2008年3月 9日
更新:2022年9月 5日

投稿者:デジタヌ

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