タヌキがゆく

【鉄道フィクション】69年間待ち続けた男 第45話 娘婿金三、天職を見つける

※<本稿は 02/10/2008 に旧サイトで初稿公開した小説のお引っ越し掲載です>

"阪神・近鉄友情物語" ー在る鉄道マンの半生ー【小説】69年間待ち続けた男。

同年同月の1978年5月成田国際空港が開港した。
日本は益々国際化の波に飲み込まれて行く事になる。


初めは、金三に留守番兼・工程監理要因として、翌日の資材や機材の準備や手配に事務所で待機させていた。


そして、自動車免許を取りたいと言うので、自動車教習所に通わせたりしていた。
自動車免許がとれてからは、現場に引っ張り出し雑用をさせることにした。


『親方、あんなへたっぴんに運転させて大丈夫ですか?』
『まあ良いじゃないか、最初は誰でもあんなものさ』
『親方がそう言うのなら、良いですけど、帰りの運転はあっしがやりますからね!』
『まかせたよ』

8月ごろには徐々に、現場にも慣れだし要領もつかめてきたようだった。
だんだん、土工達ともうち解けるようになり、冗談も交わせるように成ってきた。


『親方、あの広島弁の兄ちゃんは?』
『オイオイ、親方はいい加減よしてくれよ』
『ほな、ドナイ呼んだらエエンデッカ?』
『オヤジさんとか、テツジさんとか』
『チャウナ、ヤッパリ親方がエエナ』
『まあ良いけど、それで』
『ランマーが調子わるーて、リースやに替えさせて貰おうとおもて』
『いいよ、ワシがみるよ』
『ホナ、ここに置いときまっせ。』
『判った。』


毎日6人乗りのピックアップを運転して、現場に向かう金三の姿は生き生きとしているようだった。


翌1979年(昭和54年)3月東大阪生駒電鉄(現在のけいはんな線)、が着工された。
"鉄路"は近鉄の口利きで、指名業者となり2次業者として、ゼネコンの下で付帯工事を請け負うこととなった。

この頃には、金三もすっかり仕事に慣れみんなともうち解け合い。


『センム』
『僕は、専務なんかじゃ有りません』
『まあエエがナ、アンタは何もセンムや、』
『ハ、ハ、ハ、...』

などとからかわれながらも、みんなに好かれ頼られる存在になっていた。
徹路のように、小器用で何でも職人並みにこなせる様な人間ではなかったが、熱心で実直な態度は好感を持って受け入れられていた。


<続く>

公開:2008年2月10日
更新:2018年6月17日

投稿者:デジタヌ

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