第34話 大阪線、特急電車正面衝突大惨事発生《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男
※<本稿は01/24/2008 に旧サイトで初稿公開した小説のお引っ越し掲載です>
ー 阪神・近鉄友情物語 ー 第34話
1970年(昭和45年)3月15日この日から奈良線の全列車が難波発となった。
21日からは改装なった志摩線賢島に難波から直通特急が走り出した。
そしてこの年4月長女由有紀が神戸大学を、次女未來が帝塚山短期大学を卒業しそれぞれ、川崎重工兵庫工場技術部鉄道車両課と、近鉄百貨店に入社した。
またしても、長女は徹路と寿美の助言も聞かず、神戸に就職した。
『会社勤めは通学とは違う、神戸まで通勤するのは大変だゾ!』
『いいの私の人生は私がきめるの。』
そう言って、彼女は自室に引きこもってしまった。
徹路と、寿美の心配をよそに彼女は「5月病」にもかからず、毎日朝早く家を出かけていった。
そんな彼女だが、一度だけコンナ事を言ったことがあった。
『父さん、本当に近鉄と阪神電車は繋がるの?、そうだったら早く繋がると楽なんだけどな...』
『鉄朗さんが、頑張ってくれている』
『アア、西宮のおじさん?』
『そうだ、彼は約束を守る人だ、今にきっと難波まで阪神電車を引っ張ってきてくれる。』
『そうなると良いね...』
そう言い残して娘は無表情なまま、自室に戻っていった。
同年7月頃からいざなぎ景気が到来、開催中の万博には全国から団体さんが訪れ、連日超満員の日が続くようになった。
翌年1月上本町駅整備第2期工事が着手された。
そして2月、国道170号大阪外環状線整備に伴う恩地駅周辺の高架立体交差事業が完成した。
そして、運命の10月25日がやってきた
大阪線最後の単線区間である青山トンネル出口の東青山ー榊原温泉口間で、特急電車同士が正面衝突し、死者25名・重軽傷224名を出す大惨事が発生したのである。
事故の第一報を受け徹路は、早速現地にとんだ。
車中、「どうして、どうして、こんな大惨事が発生してしまったんダ?」と何度も何度も、自身に問いかけてしまった。
事故現場に到着すると、そこは目を背けたくなるような惨状であった。
助けを求める声、救急車のサイレン、大声で怒鳴り合う作業員の声。
しばし、呆然と立ちつくしてしまったが気を取り直し、
被害者の救出に当たる保線区員と応援に来た運転保安部、電気部、そして土木部員達を激励して回り、
各部署の現場責任者から機材の手配などについて報告を受け、
東青山駅に現地対策本部を設け、
徹路 配下の各部の責任者と共に本社に戻り対策を協議し復旧の準備に取りかかった。
<続く>
公開:2008年1月24日
更新:2022年9月 5日
投稿者:デジタヌ
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