狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

第6話 一高・東大入学《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男

※<本稿は12/06/2007に旧サイトで初稿公開した小説のお引っ越し記事です>す>

ー 阪神・近鉄友情物語 ー 第6話


中学4年の正月、里帰りを許された徹路は奉公にでている妹2人と久しぶりの再会を果たした。

妹たちと父庄一は、進学を勧めてくれた。

高等女学校出の母は何も言わなかった。

ただ一言、

『悔いの残らないようにお前の進む道は、お前が決めなさい。』

と言って泣いた。

不況の中 仕送りまでしながら安い賃金で、奉公に出ている娘2人を前にして"高校に進学しなさい"とはとても言えなかったのであろう。


翌年、徹路は叔母の奈賀子を頼って東京に出た


叔母は父庄一の一番下の妹で、祖父 信好が亡くなった年、

営林署の署長の仲立ちで署長の親戚の家に里子(さとご)に出されていた。

その後に航空技師と結婚し、浅草橋の近くに住んでいた。

36才になった叔母は、子供に恵まれていなかった。

夫は3才年上で田無にある軍需工場で設計技師をしていた。


子供のいなかった叔母夫婦は決して裕福ではなかったが、
『テッちゃん』といって、徹路のことをかわいがってくれた。


父庄一も苦しい中、毎月いくらばかりかの仕送りを送ってくれていた。


上京したその年、見事"一高"現在の東大に入学した

徹路は子供の頃からの夢、土木技術者に向け毎日猛勉強に明け暮れた。

そんな毎日ではあったが徹路にも恋とは呼べないまでも、胸のときめきを感じさせるような少女との出会いがあった。


叔母の夫、田上春木が上司に頼んでくれて紹介して貰った、家庭教師の教え子 波多祐子であった。

高等女学校に入学したばかりの12才だった。

『徹路お兄ちゃん』、と言って懐(なつ)いてくれた。


20才の成人を迎えた1937年(昭和12年)高校4年間を無事に終え、大学本科に進むことになった


この年の7月7日に盧溝橋事件に端を発した、日中戦争が始まった。

以後1945年8月15日の太平洋戦争終戦まで8年間にも及ぶ軍部主導の永い戦時体制が続く事になった。


殆どの国民は財閥と軍部の世論誘導で、

「いまも続く永い不況を克服するには、海外派兵と植民地政策しか解決策はない"」
と信じ込まされていた。


高校在学中にも何度か同期生の政治談義に巻き込まれそうになったが、

当時の学生にしては珍しく酒も麻雀もやらなかったため、左・右何れの学生運動にも巻き込まれずに済んだ。


彼の教え子の祐子も徹路の親身になった指導のおかげで、高等女学校を卒業し見事東京女子高等師範学校に入学出来た。

そして大学に進学した徹路は、波田さんの心遣いでそのまま祐子の家庭教師を続ける事になった。


その頃になると、
『私、大人になったら、お兄ちゃんのお嫁さんに成りたい』

『......。』

『お嫁さんにすると約束して』

と徹路を困らせたりもした。

<つづく>

 

公開:2007年12月 6日
更新:2022年9月 5日

投稿者:デジタヌ

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