狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

第5話 徹路の思春期《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男

※<本稿は12/04/2007に旧サイトで初稿公開した小説のお引っ越し記事です>>

ー 阪神・近鉄友情物語 ー 第5話

吉野中学に進学した徹路の評判は日に日に上がっていった。

田舎の中学とはいえ、徹路の優秀さは群を抜いていた。


翌年1930年(昭和5年)前年10月ニューヨークのウォール街に端を発した世界大恐慌の荒らしが日本にも飛び火し、昭和の大恐慌が発生、深刻な不況と成った。

そんな中、その翌年1931年(昭和6年)満州事変が勃発、国民世論は一気にアジア進出、植民地主義に傾いていった。


不況の嵐はまだ吹き荒れており徹路の学校を続けさせるため、

その年長女幸子が、翌年には次女秋美が桜井の材木商の大店(おおだな)に住み込み奉公に上がった。

東北では、身売りや一家心中など多くの惨劇が起こっていた時期である。


中学4年のある日徹路は校長に呼ばれた。


『徹路、お前中学出たら、どないするつもりで居るんや?』
『ん...、でけたら、高校に進みたいとおもとる。』

『......』

『けんど...うち、ビンボーじゃし、妹2人とも、ワイのために、桜井に奉公にあがっとるんや、もうこれ以上迷惑かけられへんしな...』
『よっしゃ、判った、ワシに任せとけ、おとうにはワシから話したる。』

『......』

『お前は、うちの中学始まって以来の秀才や!このまま終わってはもったいない』

『......』

『お前にその気あるんやったら、東京の高校に行かすように、ワシからおとうに言うたる。』


徹路は悩んだ、"妹2人を犠牲にしてまで学業を続けるべきか。
世の中は深刻な不況、大学を出ても就職口がない状況が今も続いていると言うのに。


この頃には、叔父の子供、つまり徹路の従兄弟は7人になっていた。

相変わらず貧しかったが、7人の従兄弟達が、味方になってくれた。


しかし、とても叔父の家では勉強などする場が無く、見かねた校長が特別に放課後は用務員室に残って勉強することを許してくれた。


<続く>

 

公開:2007年12月 4日
更新:2022年9月 5日

投稿者:デジタヌ

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