狸穴ジャーナル『タヌキがゆく』

第4話 徹路の幼少期 後編《連載小説》在る鉄道マンの半生 69年間待ち続けた男

※<本稿は12/03/2007に旧サイトに旧サイトで初稿公開した小説のお引っ越し記事です>>

ー 阪神 近鉄 友情物語 ー 第4話

高等小学校の頃は、あまりの辛さに、何度か10㎞ほど離れた実家に逃げ帰ったこともあった。

その度に父は,

『折角預かってくれた清に済まんことしよって、そんなこって、中学に進めるか、中学出るまではお前はよその子じゃ、それまで家の敷居またいだらアカン』

と怒鳴って、母屋に入れてはくれず、仕方なく納屋でワラにくるまって一晩を過ごし、翌朝母が作ってくれたおにぎりを持って叔父の家に帰ったものであった。

そんな幼年期ではあったが、徹路には毎日の苦しさを忘れられる楽しみがあった

それは、今の大和上市駅付近で行われていた吉野電気軌道の鉄道工事を見に行くことであった。

吉野川に掛かる吉野川橋梁はようやくその勇姿を現しつつあった。

その前後の取り付け部分では、線路工夫が土砂を満載したトロッコを押す光景を眺めることも出来た。

叔父の家に下宿した徹路が、高等小学校に入学してから1年が過ぎようとした1928年(昭和3年)3月25日に六田ー吉野間が開業し、全通した。

開業以来吉野駅までの全通に16年も要した最大の理由は、吉野川越えの吉野川橋梁の建設の困難さであった。

当時は上流にダムも出来ておらず、筏流しが出来るほど水量が豊富で、渇水期である冬場しか工事が出来なかった。

それに、木材輸送は水量豊富な吉野川を使えば、全通前の終点駅の六田駅まで搬出することが出来たし、運送費の掛かる鉄道輸送はそこからで十分であった。

真新しい鉄路を

日に何度か木造のかわいらしい電車が一両で走っていた。

徹路にはむしろ、木材を満載した国鉄の貨車を、ボンネット型の可愛い機関車がひいていくのを見るのが楽しみであった。

徹路は辛さを忘れて、じーっと列車が通り過ぎていくのを眺めていた。

<つづく>

 

公開:2007年12月 3日
更新:2022年9月 5日

投稿者:デジタヌ

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