音楽・演劇・便利帳 音楽好きのためのおぼえがき

宝塚歌劇団 阪急電鉄(株)創遊事業本部歌劇事業部社員の身分を持つタカラジェンヌについてのガイド

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宝塚歌劇団

Official Website  http://kageki.hankyu.co.jp/

男装の麗人「タカラジェンヌ」が華麗に繰り広げる「レビュー・ショー」の数々は、日本人に「夢と希望」を与え続けてきた。

阪急電鉄創業者であり宝塚歌劇団の生みの親である「小林一三」(※0)先生が大事に見守り、育ててきた「宝塚歌劇団」。

1974年8月『ベルサイユのばら』を大ヒットさせ、テレビに押され次第に影が薄れていた宝塚歌劇団に再び脚光を集め、その後の大発展の礎を築いた名演出家故長谷川 一夫先生(※1)。

両守護神が天国から「タカラジェンヌ」を見守っている!

宝塚歌劇団のなりわい

兵庫県宝塚市を本拠地とする女性劇団員だけで組織された「レビュー、ショー&ニュージカル」専門劇団。

花組 、月組、雪組、星組 、宙組と専科 、のグループに分かれて、活動している。

宝塚歌劇団グループのフランチャイズ劇場
近畿エリアのフランチャイズ

宝塚大劇場

Official Website http://kageki.hankyu.co.jp/

宝塚大劇場のレパートリー・公演情報

宝塚歌劇団の本公演が行われている、「タカラジェンヌの故郷」、「宝塚歌劇団ファンの聖地」

宝塚バウホールのレパートリー・公演情報

実験劇場として若手中心の演目を公演している。

宝塚大劇場のロケーション

ところ 兵庫県宝塚市栄町一丁目1番57号

最寄り駅  

阪急電鉄「宝塚駅」より徒歩5分。

JR 「宝塚駅」より徒歩7分。

宝塚大劇場の公演チケット情報

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宝塚バウホールで催される公演情報

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梅田芸術劇場劇場の公演情報

Official Website http://www.umegei.com/

梅田芸術劇場劇場のロケーション

ところ 大阪市北区茶屋町19番1号 阪急茶屋町ビルディング内

最寄りの駅 

阪急梅田駅 - 茶屋町口より徒歩3分。
JR西日本大阪駅 - 御堂筋北口より徒歩8分。
地下鉄
御堂筋線 - 梅田駅1号出口より徒歩5分、中津駅4号出口より徒歩4分。
谷町線 - 東梅田駅1号出口より徒歩7分。
四つ橋線 - 西梅田駅3号出口より徒歩11分。
阪神梅田駅 - 東出口より徒歩10分

「メインホール」について

阪急電鉄直営の宝塚歌劇団の京阪神におけるサブホールとなっている。また「阪急阪神東宝グループ」の東宝(株)の関西の拠点として、「東宝ミュージカル」や「エンタテインメントショウ」が年間を通じて開催されてもいる。

「シアタ-・ドラマシティー」について

宝塚歌劇団が本家「宝塚バウホール」同様に若手中心の演目を公演している。メインホール同様に東宝直営劇場として東宝ミュージカルや、演劇公演も行っている。。

メインホールでの公演チケット情報

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シアター・ドラマシティのチケット情報

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東京宝塚劇場

http://kageki.hankyu.co.jp/theater/tokyo/index.html

東京における宝塚歌劇団のフランチャイズ専用劇場。

東京宝塚劇場のロケーション

ところ 千代田区有楽町一丁目1番3号

最寄りの駅 

JR山手線・京浜東北線、東京メトロ有楽町線 有楽町駅(日比谷口)より徒歩5分
東京メトロ日比谷線・東京メトロ千代田線・都営地下鉄三田線 - 日比谷駅(A5出口またはA13出口)

東京宝塚劇場劇場の公演チケット情報

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宝塚歌劇団のあらまし

運営会社

所属(運営)会社 阪急電鉄株式会社

運営部署 創遊事業本部歌劇事業部

本社所在地 大阪市北区芝田一丁目16番1号

設立  1989年12月7日 

創業 1907年(明治40年)箕面有馬電気軌道

資本金 資本金 1億円

売上高  2044億94百万円(2016年3月期)

タカラジェンヌの待遇は

他の劇団やプロダクションがプロモートする所属劇団とは違い阪急電鉄(株)創遊事業本部歌劇事業部が行っている直轄事業。

従って基本的には歌劇団員の待遇は契約社員(タレント)では無く「阪急電鉄(株)正社員」。

為に、福利厚生も行き届き、「たとえ大スター」になれなかっても、元阪急電鉄社員として「お嫁に行き」幸せな家庭生活を送っている「元タカラジェンヌ」も多い。

これは「創始者」故小林一三の「哲学」でもあり「ショーガール=金儲けの道具」では無く「社員・人材としての誇りと素養を積んだ立派な一社会人として世の中に巣立って欲しい」思いから出たものであろう。

定年性とタレント契約制度の導入

1972年より57歳定年が導入され、現在は満60歳の誕生日に延長されている。

但し、1977年入団生(63期生)から通称「(結婚)適齢期定年制度」も導入され、"女子技芸員"として阪急電鉄の社員扱いをされていた生徒は、一定の学年になると"タレント"として新たに個別契約も結べる様になった。2007年以降は入団6年目(研6)からタレント契約(契約社員)ができる。

このタレント契約制度の導入によって団員の労働組合は解散し、代わって全団員で構成される「女子会」が組織され会合が行われるようになった。

「宝塚音楽学校」(※2)の卒業生に限られた入団資格

団員は、歌劇団付属の学校法人宝塚音楽学校で予科1年・本科1年のあわせて2年間の教育を受けた「宝塚音楽学校卒業生」に限られる。

退団(阪急電鉄退社)

定年を迎えた場合や、結婚(前述の通り、生徒は未婚でなければならないため)・健康面・経済的な事情などで今後の活動が困難となった場合は、歌劇団を退団することになる。退団と同時に阪急電鉄との雇用契約も消滅する。

宝塚歌劇団のこれまでの歩み

1913年 7月 - 当時の阪急電鉄社長小林 一三の発案で 阪急電鉄内に宝塚唱歌隊(この年の12月に宝塚少女歌劇養成会に改称)を組織。

1914年 3月 - 宝塚新温泉内パラダイス劇場に於いて上演開始。公演演目は『ドンブラコ』ほか3本立て。
1918年 5月 - 帝国劇場に於いて東京での初公演。

1919年 1月 - 宝塚音楽歌劇学校を創立。宝塚少女歌劇養成会は解散し、生徒と卒業生から組織される宝塚少女歌劇団に改称。
1921年 10月 - 花組・月組が誕生
1924年 7月 - 雪組を新設。旧・宝塚大劇場が完成
1927年9月 - 日本初のレビュー『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』初演、大ヒット。
1930年8月 -『すみれの花咲く頃』を主題歌とする レビュー『パリゼット』初演。
1931年、「ローズ・パリ」で宝塚大劇場に銀橋登場(※3)。
1933年7月 - 春日野八千代が看板スターに成長、東京遠征公演増加に対応するため星組を新設。
1934年1月 - 旧・東京宝塚劇場が開場。

1935年1月 - 宝塚大劇場が全焼。

  • 同年4月に復興完成。

1939年4月 - 時局悪化のため公演回数激減で星組を廃止。

  • 12月 - 宝塚音楽歌劇学校が改称し、宝塚少女歌劇団と宝塚音楽舞踊学校に分離。

1940年10月 - 宝塚少女歌劇団を宝塚歌劇団に改称。
1944年3月 - 宝塚大劇場と東京宝塚劇場が戦時閉鎖。
1946年4月22日 - 宝塚大劇場『カルメン』『春のをどり』で公演再開。

1947年4月1日 - 東京宝塚劇場はGHQに接収されていた為、東宝が所有していた他劇場:日劇(※4)、江東劇場(※5)、帝国劇場などで東京公演再開。

1951年8月 - 初の一本作『虞美人』を公演。大ヒットし、3か月間のロングラン公演!となる
1955年 -東京宝塚劇場が 戦後11年間に及ぶ米軍施設としての接収が解け東宝の手に戻り星組公演『虞美人』で東京宝塚劇場における宝塚歌劇団公演が再開。

1957年1月25日 宝塚歌劇団の父、元阪急電鉄(株)社長小林 一三氏死去(享年84歳)

1963年 東京宝塚劇場で日本初のブロードウェー・ミュージカル『東宝版マイ・フェア・レディ』が日本人キャスト・スタッフにより上演され予想以上の反響に満足な結果が得られた。

1967年 - 東宝版ブロードウェイミュージカルの成功に刺激され宝塚歌劇団もそれまでの「レビュー・ショー」から転換を図り同歌劇団初のブロードウェイミュージカル作品『オクラホマ!』に挑戦。

カラーテレビの普及が本格化した1970年代になると次第に宝塚歌劇団の集客力も落ちて、低迷期にさしかかっていた。

1972年 日生劇場で浅利慶太率いる「劇団四季」が元タカラジェンヌの大物「越路吹雪」主演のミュージカル『アプローズ』を公演しヒットさせた。

宝塚歌劇団でも「ミュージカル公演」に期待をかけ、当時新進気鋭の宝塚歌劇団の専属脚本家、植田紳爾に池田理代子の同名人気劇画『ベルサイユのばら』を脚色させ、故長谷川 一夫先生を演出家として招聘。

「優美で雅やか」な「長谷川東宝歌舞伎」の秘伝を授かるべく指南を受けた。

1974年8月29日 - 『ベルサイユのばら』(※6)初演、長谷川を招聘した狙いは見事的中、大ヒットと成った。
1976年宝塚大劇場での本公演の公演期間を延長し、年8回の公演となる。

  • 同年『ベルサイユのばら』で第2回菊田一夫演劇賞・特別賞を受賞。

1978年4月1日 - 宝塚バウホールを開場、次世代のスター、脚本家・演出家の育成に乗りだした。

1984年4月6日、宝塚歌劇団を立て直した名演出家長谷川 一夫先生無くなる享年76歳。

1992年11月2日、建設中であった大阪「阪急茶屋町ビルディング(アプローズタワー)」に東宝系「梅田コマ劇場」が引越し「劇場・飛天」としてオー^プンした。

1992年11月 旧宝塚歌大劇場閉館。
1993年1月1日 - 新・宝塚大劇場が新築開場。
1995年1月17日 - 阪神・淡路大震災で宝塚大劇場及びバウホールが被災。
1996年 - ウィーンミュージカル『エリザベート』初演。

1997年12月29日 東京宝塚劇場、老朽化のため閉館。63年間の幕を閉じた。・

1998年1月  年間公演数増加に対応するため新たに宙(そら)組を増設。帝国劇場で「宝塚歌劇団・東京通年公演」を開始。

  • 5月15日 - 歌劇事業部劇場課(劇場管理・運営部門)を(株)宝塚舞台として分社化。
  • 5月30日 - 東京宝塚劇場閉鎖新築工事のため、仮設劇場のTAKARAZUKA1000days劇場を開場。

2001年1月1日 - 新・東京宝塚劇場が開場。1934年1月 - 旧・東京宝塚劇場が開場以来の悲願宝塚歌劇団の東京における拠点「東京宝塚劇場」が誕生。
2002年7月1日 - 宝塚歌劇専門チャンネル『TAKARAZUKA SKY STAGE』放送開始。
2005年4月1日 -阪急ホールディングスの持ち株会社と成った当時の阪急・東宝グループが事業再編を行い、宝塚歌劇団はそのまま(新)阪急電鉄(株)が運営を継承し、東宝グループに属していた「劇場・飛天」と「シアター・ドラマシティ」は阪急電鉄(不動産部門)が買収の形で東宝グループから譲り受け、「梅田芸術劇場」(梅芸)としてリニューアルオープンした。

2006年1月9日『ベルサイユのばら』公演通算上演回数1500回を突破

  • 併せて東京宝塚劇場、リニューアルオープンからの来場者数500万人を達成。

2009年 - 宝塚大劇場の本公演の公演期間を短縮し、年10回(10ヶ月)の公演となる。
同時に「梅田芸術劇場」で宝塚大劇場の再演物を、「シアター・ドラマシティ」では「バウホール」の再演物を公演するようになった。

2011年3月3日 - 東京宝塚劇場、リニューアルオープンからの来場者数1000万人を達成。

2013年度4月1日 - 創立(初公演)から100周年を迎える。

  • 4月4日 - 宝塚大劇場内に宝塚歌劇発展に寄与した宝塚歌劇の発展に貢献したスタッフ、卒業生など100人が選出されその功績を紹介する「殿堂」、歌劇の歴史を紹介する「企画ゾーン」、「現在の宝塚歌劇」の3ゾーンで構成する展示施設「宝塚歌劇の殿堂」がオープン。
  • 4月19日 - 宝塚市制60周年式典にて宝塚歌劇団員が市民栄誉賞を受賞。宝塚市民栄誉賞第一号となる

2014年6月27日 『ベルサイユのばら』公演、通算観客動員数500万人を記録!

※0、阪急電鉄創始者の1人、宝塚歌劇団の父小林一三先生についての人物紹介はこちらwikipediaで

※1、名演出家故長谷川 一夫先生。についてのwikipedia人物紹介はこちら

※2、学校法人宝塚音楽学校(兵庫県知事所轄、各種学校)(公式サイトはこちら)。阪急電鉄の出捐で設立した学校法人。 修業年限:予科1ヵ年 本科1ヵ年2年課程の 女子単学。特徴、生徒は入学と同時に「阪急電鉄の正社員」となり、就労学生=社会人として、阪急電鉄から迎えられる。

1953年 -以来 入学年齢は満15 - 18歳となる。

単なる俳優養成所としての専門学校では無く。

音楽専課短期大学なみの教育カリキュラムで、「教養に裏打ちされた真の芸術家」育成を目指している。

小林一三にとって彼女たちは娘であり、孫であった、だから彼女達が、晴れて歌劇団員になった後も「生徒」と呼ばれる。これは、宝塚歌劇が発足当初、歌劇団員が「芸者や舞妓のようなもの」と揶揄されたことに、小林一三が怒り「宝塚歌劇は良家の子女に高等なる音楽教育を施した"生徒"によってなされるものである」といったことに由来する。この辺りが、一般のタレント養成所、専門学校と違うところで、為に入学志願者が絶えず、競争倍率は現在も5倍前後の狭き門を維持している所以である。

嘗て宝塚歌劇、東宝創生期に、侠客社会の伝統的興行主の権威主義をきらい、「一般市民や有力者が支えるヨーロッパのオペラハウスやアメリカのショウビジネスに範をとった"タラント(持ち味)重視の個人尊重を打ち出し、個人のタラントを最重要視し「可能性に掛けて」「才能を伸ばして育てて行く」やり方が阪急・東宝グループの興行姿勢であり、旧態勢に迎合して「食える道」を選んだ劇団四季の人材発掘主義「野に隠れた才能を発掘しその時点の持てる力を全て出し切らせ、役に立たなくなればドンドン切り捨てる」実力重視のオーディションキャスティング手法、「実力・ハングリー精神・出生欲」重視経営とは一線を隠していると言える。

※3、一般的にはエプロンステージと呼ばれる事が多い、アメリカの多くの「レビュー・ショウ」劇場に設置されるいる「西洋風花道」。

円弧状に配したオーケストラピット前縁を「花道仕立て」で左右に渡れる用にしたエプロンステージ(拡張舞台)。その形状から「銀橋」と呼ばれる様になった。

宝塚大劇場、東京宝塚劇場以外にも、かつての東宝「コマ劇場チェーン(現梅田芸術劇場)」等の「レビュー・ショービジネス専用劇場」に設けられている場合が多い。

※4、嘗て千代田区有楽町二丁目にあった収容人員 1933年12月24日開館の約4,000人の大劇場、(映画館)

1935年12月 -株式会社東京宝塚劇場に吸収合併される。

戦後1958年2月8日初開催の 「日劇ウエスタンカーニバル」で当時のロカビリーブームで大いに盛り上がり全国的に一躍有名に成った。普段は東宝系洋画封切館として使われていた。

1981年2月15日 - 施設の老朽化と東京都の再開発事業により閉館、48年間の歴史に幕を下ろした。

1984年10月跡地に有楽町センタービル(有楽町マリオン)が新築オープンした。

※5、1937年創業の阪急阪神東宝グループの1つ(株)東京楽天地が運営している錦糸町駅前「江東楽天地」に入っていた施設。1961年には「江劇ビル」に改築された。1981年から1986年にかけて再開発を行い全面改築された。1999年7月映画館として親しまれていた「江東劇場」はたの施設と共に8スクリーンのシネマコンプレックス方式の錦糸町シネマ8楽天地」(現楽天地シネマズ錦糸町)として再度リニューアルオープンし62年間の歴史に終止符を打った。

※6、1974年の初演以来再演を繰り返し、宝塚歌劇団史上最大のヒット作であると同時に、「男装の麗人」宝塚歌劇の人気を再燃させ、今に至る「確固たる石杖を築いた」記念碑的作品。

宝塚歌劇団の専属脚本家、植田紳爾が池田理代子の同名劇画『ベルサイユのばら』を脚色・脚本化し、故長谷川一夫(1908年2月27日 - 1984年4月6日))先生と共に演出を担当した。

初演時に演出を担当した故長谷川一夫は1955年の再開以来「東京宝塚劇場」の「看板」を背負っていた「東宝歌舞伎」の主催者であり希代の「銘女形」であった。

1984年4月の没後は長谷川の遺した「型」を生かしつつ、植田が自らの脚本に手を加え「演出」もこなし再演を続け2006年1月9日には通算上演回数1500回を突破、2014年6月27日には通算観客動員数500万人を記録した!

公開:2017年12月25日
更新:2018年4月11日

投稿者:デジタヌ

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