音楽・演劇・便利帳 音楽好きのためのおぼえがき

東宝株式会社 のガイド記事

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東宝(株)

https://www.toho.co.jp/index.html

一般には映画会社として知られる映画・演劇の製作配給・興行や不動産賃貸を行う企業。

名前の由来は「東京宝塚」の略である。

東宝グループの劇場がお得意のジャンル。

帝国劇場が得意のジャンル。

主に「東宝ミュージカル」「堂本光一など人気エンタテイナーのショー」等自主製作作品が年間10本程度公演されている。

帝国劇場の公式Webサイト&公演チケット情報。

https://www.toho.co.jp/stage/teigeki/index.php

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東京宝塚劇場が得意のジャンル。

宝塚歌劇団の専用劇場。

東京宝塚劇場の公式Webサイト&公演チケット情報。

http://kageki.hankyu.co.jp/theater/tokyo/index.html

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「ライブビューイング」とうほうシネマズ。

https://www.tohotheater.jp/

「ライブビューイング」とうほうシネマズのレパートリー。

「東宝」がプロデュースする「エンタテイメント・ライブショー」を全国の「とうほうシネマズ」のメインスクリーンでライブ中継する「ライブビューイング」をおこなっている

「ライブビューイング」とうほうシネマズの公演チケット情報。

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東宝のあらまし。

社名 東宝株式会社

所在地 東京都千代田区有楽町一丁目2番2号。

設立 1932年8月12日(東京宝塚劇場

従資本金 

103億5,584万7,788円
(2016年5月26日現在)

売上高  

単体:1,151億9,100万円
連結:2,335億4,800万円
(2017年2月期)

業員数:

単体:360人(2016年2月末日現在)
連結:3,032人(2016年2月末日現在)

東宝は発足当初から、従来の市井の興行師からスタートした映画会社とは一線を画する、財界肝いりの近代企業として期待と注目、そして旧勢力からは反発も集めた。

創生期プロデューサー・システムの本格的導入で日本の映画界に新時代を築く。

東宝映画の興行面で展開をもたらしたのは製作における予算と人的資源の管理を行うプロデューサー・システムの本格的導入であり、これをもたらしたのがアメリカ帰りの森岩雄とされる。松竹の城戸四郎、日活の根岸寛一と並び称される森だが、この分野における足跡は大きい。PCL時代より民主的な社風で知られ、監督や大スターでも個室がなく、大物に対しても「さん」付けや「ちゃん」付けであった。巨匠監督も部下の助監督や名もない俳優を「さん」付けや「ちゃん」付けで呼んだ。

「歌舞伎の因習」や「興行界のヤクザっぽい親方子方気質」が続く他の映画会社の体質を公然と批判した。

戦中戦後

東京宝塚劇場、日本劇場は風船爆弾工場となり、その東京宝塚劇場が戦後は進駐軍専用のアーニー・パイル劇場と改名されて10年間観客としての日本人立入禁止となるなど、歴史の証人を演ずることになる。

「来なかったのは軍艦だけ」と言われた東宝争議!がおこる。

終戦後の1946年から1950年にかけて経営陣と労働組合の対立が激化し労働争議に嵐が吹き荒れた。

1948年8月には撮影所を占拠した組合員に対し排除のため警視庁予備隊(現自衛隊)から当時の占領アメリカ軍の「戦車」や「戦闘機」まで出動する騒ぎになる。

この間、大河内伝次郎、長谷川一夫、らの「10大スター」が結成した「十人の旗の会」と反左翼の渡辺邦男をはじめとする有名監督の大半は第三組合によって設立された新東宝で活動をすることになる。

大スターや大監督がごっそり辞めたことで、反面入社したての三船敏郎らがすぐに主役として抜擢され、若い監督も活躍の場を得やすい状況になった。

残留組にいた共産党員の多くは放逐され、比較的リベラルだが政治には深入りしなかった人材が多く残ることになる。

間もなく東宝と絶縁して独立会社と新東宝は経営が悪化し1961年に倒産した。

市川崑ら一部は東宝に復帰した。

日本映画黄金時代到来と「東宝スコープ


1950年代の日本映画黄金時代になり、1957年からは「東宝スコープ」を採用し、『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』などの黒澤明作品や『ゴジラ』や『モスラ』などの円谷英二による特撮作品を始めとする諸作品によって隆盛を極めた。

映画の斜陽化が始まった1960年代にもクレージー映画や若大将シリーズでヒットを飛ばす。

また、社長シリーズや駅前シリーズ(これらは東宝四大喜劇シリーズとも呼ばれている)など安定したプログラムピクチャーの路線を持っていたことも強みであった。

財界優良企業らしく「健全な市民色、モダニズム」を鮮明に打ち出し、他の映画製作会社が「暴力、猟奇、エロティシズム」に傾斜していく中でも東宝はそれらの路線とは一線を画し距離を置いた。

自主映画製作からの撤退。

1960年代から映画の斜陽化が歴然としだし、東宝も観客減少に見舞われたが量産体制を続けていた。

カラーテレビの普及が本格化した1970年代になると観客減少は更に深刻な状況となり、東宝もこの危機を脱するため、前述の東宝四大喜劇シリーズを全て終了するなどし1972年には本社での映画製作を停止、製作部門を分離独立させて、「東宝映像」「東京映画」「東宝映画」「芸苑社」「青灯社」を5つの核とした製作体制に切り替えた。

この分社化をもって東宝の自社製作体制は幕を下ろし、外部からの買取作品・委託引受け作品の配給に力を入れ、自社の興行網を維持する形に転換し東宝芸能へ軸足を移しながら経営の合理化を進めた。

ただし阪急グループとしてのイメージや、駅から近い一等地に座席数の多い一流映画館を多く持つため。

エロ・暴力路線は取らず、東宝の映画館なら家族連れやアベックでも安心といったイメージを死守したことは現在の繁栄の伏線となっている。

映画製作本数が急激に減った分、テレビ部の奮闘が目立つようになり、『太陽にほえろ!』、『俺たちは天使だ!』などがヒット。

東宝配給の劇場映画も実際は大映京都撮影所(勝プロダクション作品など)や日活撮影所(ホリプロ作品など)で製作するものが増えた(これらの映画は監督やメインスタッフも大映系、日活系が殆どである)ため、砧撮影所は急速に稼働率が低下、人員も離散した。

それでも1980年代半ばまでは当時人気アイドルだった斉藤由貴や沢口靖子主演のアイドル映画を東宝映画が製作するなど独立プロダクション程度の活動は継続していた。

1986年12月から始まり1991年2月 に終焉を迎えたバブル経済期に、日劇、渋谷東宝会館、日比谷映画劇場、有楽座、梅田劇場、北野劇場などが建て替えられ映画興業以外もおこなう複合施設となり、資産価値を増加させた。

現在ゴジラが頼りの映画製作


1990年代に入ると、自社での邦画製作は「ゴジラ シリーズ」を除き行われなくなり、主にテレビ局や外部プロダクションが製作した映画を配給する事に専念した。

2000年以降は、ワーナー・マイカル・シネマズが優位に立っていたシネコン市場に本格的に参入し、2003年のヴァージン・シネマズ・ジャパン株式会社(現・TOHOシネマズ株式会社)の買収で、グループ企業のスクリーン数では国内No.1を誇るまでになった。

その後も日本映画界や興行界に不動の地歩を占めつづけ、現在に至っている。

興行に強い東宝というイメージが定着。

テレビ局等の製作会社も「大作」は東宝に配給委託し、観客動員に繋がる好循環が重なった結果、ここ数年は一人勝ち状態が定着した。

かつてのライバル、東映や松竹の興行収入の十倍以上の興行収益を上げている。

また、当初映画館としていた全国の一等地に商業ビルを建設しテナントに賃貸している不動産事業も、営業利益のうち約4割を占め、重要な事業になっている。

近年は、東宝本社が映画製作委員会に参加するなど、映画製作の分野にも意欲を取り戻している。

また砧撮影所の空洞化や技術伝承の中断に危機感を持ってレンタル展開を積極化。「東宝映画」はほぼ絶えたものの、製作参加・配給・撮影所供給といった形で東宝カラーを打ち出してきた。

2013年には『アニメ事業室』を新設、同時に自社音楽レーベルも立ち上げ、自社企画でのアニメ事業の強化にも乗り出している。

東宝のこれまでの歩み。

詳しくはこちら公式サイトで

1932年8月に阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の小林一三によって、演劇、映画の興行を主たる目的として株式会社東京宝塚劇場を設立。

1934年に東京宝塚劇場を開場の後、有楽座、日本劇場、帝国劇場を所有し、日比谷一帯を傘下に納め、浅草を手中に収める松竹とともに、東京の興行界を二分するに至る。

1936年 大日本麦酒等も出資していたトーキーシステムの開発を行う写真化学研究所(Photo Chemical Laboratory、通称 PCL)誕生。

  • 1月 日本映画劇場(株)(旧・日本劇場を所有)を吸収合併。
  • 6月 東宝映画配給(株)を設立

1937年3月 (株)東横映画劇場を合併

  • 8月 東宝映画(株)を設立。
  • 同年11月 東宝映画(株)が、(株)写真化学研究所、(株)P・C・L製作所、(株)j・Oスタヂオ、東宝映画配給(株)の4社を吸収合併
  • 同月12日、松竹から移籍した林長二郎が、左顔面を耳下から鼻の下にかけて、斜めに切りつけられ、骨膜に達する重傷を負う。事件後、林長二郎はこの名を松竹に返し。本名の長谷川一夫を名乗るようになった。(後に演出家として宝塚歌劇団を指導しベルサイユのバラの大成功をなしえた大演出家)

1938年8月に兵庫県宝塚市に宝塚映画製作所が開設。宝塚歌劇団の付帯事業からスタートし宝塚運動場(宝塚球場)跡地の一角にスタジオを建設して東宝映画(株)とは別に映画を製作した。

1938年 帝国劇場(株)(旧・東京會館を所有)を合併。

1940年 松竹の賃借期限切れと共に完全に「東宝」の運営と成り。元の演劇主体の興行形態に戻す。

1941年 戦局の悪化で宝塚映画製作所閉鎖。

1943年12月、東宝映画を合併し、社名を東宝(株)と改め、映画の製作・配給・興行および演劇興行の一貫経営に乗り出す。

1944年3月 東京宝塚劇場、戦時閉鎖。

  • 同年11月 から日本劇場と共に日本軍に接収され「風船爆弾工場」と成る。

1945年3月 (株)梅田映画劇場および(株)南街映画劇場を合併

  • 12月24日 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によりに東京宝塚劇場が接収され、日本人オフリミットの「Ernie Pyle Theatre」となる。

1947 年3月 (株)東京會舘(帝国劇場)を分離独立。

1948年8月には撮影所を占拠した組合員に対し排除のため警視庁予備隊、果ては占領アメリカ軍の戦車や戦闘機まで出動する騒ぎになった。

1950 年7月 (株)帝国劇場を設立

1951年 阪急電鉄が全額を出資し宝塚映画製作所として再発足。戦前の撮影所跡を改修して事業を開始。東宝争議で製作力が低下した東宝系の一翼として、多くの劇場用映画を製作した。

1953年1月27日 約十年間に渡る米軍占有が解かれ返還され、宝塚歌劇団・星組公演『虞美人』公演で「東京宝塚劇場」が再開。

1955年7月(株)帝国劇場を合併、巨大映画・シネラマ・スクリーンが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じる。

1957年4月 旧・東宝本社ビル完成

1958年2月 日本劇場で第1回「ウェスタン・カーニバル」開幕

1959年にはニッポン放送、文化放送、松竹、大映と共にフジテレビを開局。

1963年 東京宝塚劇場で日本初のブロードウェー・ミュージカル『日本版マイ・フェア・レディ』が日本人により上演、以後1966年に東宝直営の2代目「帝国劇場」が開館するまでは「東宝ミュージカル」の中心地とも成っていた。

1964年 帝国劇場閉館解体

1965年10月、(株)帝国劇場を設立(1976年7月、東宝不動産(株)に合併)

1966年9月 2代目「帝国劇場」が劇場としてオープン。以後年間10作品程度の「東宝ミュージカル&レビュー」のロングラン上演を主体に「阪急・阪神・東宝グループ」の総本山として運営されている。

1968年 テレビ映画の製作を主体に切り替えていた宝塚映画製作所が劇場用映画製作から撤退。

1969年 10月新宿東宝会館竣工

1970年、製作部門を分離独立「東宝映像」及び「東京映画」2社設立、

1971年、「東宝映画」設立

1972年 東宝本社での映画製作を停止、

  • 「芸苑社」&「青灯社」設立し製作会社5態勢へ分社化完了。

1980年10月ナビオ阪急(現・HEPナビオ)竣工

1981年2月日本劇場閉館

1983年9月宝塚映画製作所 解散し新たに宝塚映像(株)が設立された。

  • 東京映画が東京映画新社に改組。

1984年10月 旧・日本劇場跡地に有楽町センタービル(有楽町マリオン)竣工

1997年12月29日 東京宝塚劇場老朽化のため閉館。

1998年1月から東京宝塚劇場建替え工事を開始。

2001年1月1日に真琴つばさ率いる月組の『いますみれ花咲く/愛のソナタ』で「こけら落とし公演」で「東京宝塚劇場」新築オープン、同時に「宝塚歌劇団の専用劇場」となった。

2003年 ヴァージン・シネマズ・ジャパン株式会社(現・TOHOシネマズ株式会社)の買収で、グループ企業のスクリーン数では国内No.1になる。

2005年4月  東宝本社を東宝日比谷ビルに移転

2008年9月(株)コマ・スタジアムを連結子会社化

2013年 『アニメ事業室』を新設、同時に自社音楽レーベルも立ち上げ、自社企画でのアニメ事業の強化に乗り出す。

  • 同年2月28日をもって宝塚映像(株)は解散。
  • 6月 東宝不動産(株)を完全子会社化
2017年3月 東宝不動産株式会社を合併。

公開:2017年12月24日
更新:2018年1月 2日

投稿者:デジタヌ

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