20世紀後半アメリカが超大国として一世を風靡していたころ、CBSレコードの録音技術は世界最先端を走っていました!
アメリカン・メジャーオーケストラも世界最高の演奏水準を誇っていた当時、アメリカ各地で常任指揮者として名を轟かせたマエストロたちが、多くの貴重な演奏を「録音藝術」としてCBSに残しました、それらは半世紀以上を経過した21世紀の現在でも、色あせることはなく多くの音楽ファンを魅了し続けています!
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やれディジタル録音だ、やれハイレゾ録音だと、"近年の音源"ばかりが持てはやされていますが...
第2次大戦後の1950年代後半から世界最先端を誇っていたAmpexなどのマルチトラックアナログテープ録音機とそれを用いたCBSには、最新のディジタル録音に引けを取らない、いやそれ以上の名録音が沢山残されています!
新記録音がフルディジタルプロセスの時代になった21世紀の現在、改めて当時のマザーテープからマスタリング(ミキシング)しなおされたデジタル・リマスター盤を聴き直してみると、その時代のアメリカでの最先端録音機材と、保管設備(技術)両面の「凄さ」(※01)を改めて思い知らされるわけです。
参※01)当サイト内関連記事 ハイファイ録音小史 はこちら。
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その後、幾多の変遷を経て、CBSはSONYのエンタメ部門となった訳ですが、
一時、1970年に第一次サラウンドブーム、ともいえる"4チャンネルレコード"熱が、、レコード(オ-ディオ)業界で始まり、QS(山水)、SQ(SONY)、RMなどの"マトリクス"アナログ盤や完全ディスクリートのCD-4(日本ヴィクター)などが発売されて、"4チャンネル熱"を煽ったわけですが...
まだ高度成長期真っただ中で、"ステレオ電蓄"すら普及しておらずWALKMAN(1979年登場)も登場していなかった日本は勿論、海外でもそれほど普及しなかったわけです!
この時の4チャネルアナログ盤制作過程のマスタリング(ミキシング)が、当時の名録音の評価を"台無し"にしてしまったわけです!
CD発売当初は、アナログ録音→デジタイズ→CDの過渡期を通り。
フルディジタルプロセス(ディジタル録音+ディジタル編集)の時代になり、録音現場ではハイレゾ録音が一般化(※11)したわけです!
更に、21世紀の音楽WEB配信の世紀になり、次々に新技術(データ圧縮技術)が開発されて、今やApple Lossless(ALAC)によるロスレス可逆圧縮でストリーミング・ハイレゾ配信(※12)が可能な時代となった訳です。
しかも、ロスレスなので、元のディジタル信号と寸分たがわぬ"データ"通信が可能となった訳です。
参※11)当サイト内関連記事 ハイファイ録音小史 はこちら。
参※12)端末にダウンロードしてから再生しなくても、インターネット回線接続で受信(streamming)しながら連続再生出来る事。
ここにきて、1960年代に収録されて、サラウンドSQマスタリング盤として発売されていた名盤が、本来の2Chステレオ盤として数多く再発売されるようになりました!
不本意?ながら、CBSのマーケティング戦略に沿い、渋々SQマスタリング(ミキシング)に同意させられた!マエストロ・ブーレーズが残した多くの名録音が当たり"前の姿"になって復活した意義は大きいと思われます!
ブーレーズさんは、生前CBS時代に録音した作品の大部分を、晩年独グラモフォンで再録音しましたが...
これは、年老いて演奏スタイル(解釈)が変化したのでもなく、ましてやCBS当時の"演奏水準"(オーケストラ)に不満を抱いていたのでもありません!
ズバリそのマスタリング(ミキシング)に大いに不満があったのでしょう!
事実、演奏スタイルはさほど変化していません!
旧SQマスタリングのままCD化されて再発売された盤と、マザーテープからりマスター(再ミキシング)された新盤では、明らかに"明瞭度"が変化しています。
旧SQ版でも、ファゴットのキーの音(パタパタ)が聞き取れるほどの凄い解像度でしたが、全体の音量バランスが悪くて、「著しく"芸術性"を損なっていました!」
当時の、アナログ盤では、ダイナミックレンジが取れなくて、コンプレサーとリミッターによって全体のダイナミックレンジ40+dB程度しかなかったわけです。
更にSQミキシングによる"誇張"でセクション・パート間のバランスは"最悪の状態"となっていたわけです!
それが、オリジナルのアナログマルチトラックテープ音源からのリマスター(新マスタリング・ミキシング)により、Dレンジは最新ディジタル録音並みになり!更に各楽音の明瞭度が飛躍的に向上したわけです!
セクション、パートの位置関係は勿論のこと、"パート内の各楽器(楽員)の配置"まで、手に取る(目視している)ように、明瞭に聞き取れます!
否むしろ反響の多い昨今の「出来そこないホール(※21)」では、「ビジュアルの補助」を借りても、不可能に近い明瞭度です!
しかも勿論のこと完全に「ハモッテ」います。
参※21)当サイト内関連記事 『建築音響工学総覧 』第8巻 奇妙奇天烈 奇怪 面妖 摩訶不思議 な "迷ホール!" はこちら。
音楽を専攻している、音大生の模範教材と言えるでしょう。
器楽奏者は勿論、指揮を専攻している、将来のマエストロたちにとっても、「スコアの隅々(全ての楽器)まで全て明瞭に聞き取れる!」と言うことは、素晴らしい体験になるでしょう!
但し、これを体験するには、少々仕掛けも必要です!
オーディオ系YouTuberがいうところの「空気再生(スピーカー聴取)」ではまず不可能です!
先ずは、ノイズリダクションが無かった時代に"究極のS/ N"で収録されたCDなみの60dB 以上のダイナミックレンジを持つこれらのコンテンツを、"空気再生"するのは困難になります。
つまり環境ノイズと楽音とのS/Nの悪さで環境ノイズにかき消された、ピアニッシモを聴取するとなると、fffが大音量になりすぎて、ご近所迷惑になるわけです。
更に別項で詳述したように、日本の住環境では、"定在波"(※31)による周波数特性の乱れと、近すぎる壁面・天井・床からの反響音で、「楽音の忠実度」が著しく阻害されて、通常ではもそれぞれの楽器(各プレーヤー)を明瞭に定位させることは困難な状況となります!
参※31)当サイト内関連記事 リスニングルームの音響問題!《 最高の ソノリティー を求めて》第3回 グラフィックイコライザーでは解決できない はこちら。
デジタヌの「録音エンジニアが描いた仮想音響空間再現法」とはズバリヘッドフォン聴取です!
それも、通常のハイレゾヘッドフォンでは、どうしても不明瞭となります。
これは、環境ノイズとのS/Nの問題などが依然として残り、ダイナミックレンジを確保しようとするとどうしても最大音量(音圧)が過大となり、「聴感が飽和」してしまい人間側がサチュレーションを起こすためです。
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Lindosland - http://en.wikipedia.org/wiki/Image: Lindos1.svg より引用
そこで、ソニーさんが開発したSONY WH-1000XM4を使用すると...
アーラ不思議、環境ノイズはものの見事にかき消され!
小音量(小音圧)でも、「芯のある」楽器の音色が楽しめ、定位が明瞭になり。
しかも、最大音量(音圧)も人間の耐えられる音圧90dB 以内に収まります!
すなわち、耳も、ヘッドフォンもサチュレートしなく、fffでも全ての楽音が明瞭に聞き分けられるようになるわけです!
参※)小生が、別項に記したダブルD/Aコンバーター、水晶クロック搭載の、「TEAC」UD-301ヘッドフォンアンプとハイレゾヘッドフォンSONY MDR-Z1000(ともに製造終了)と比較試聴した結果。
※参)当サイト内関連記事 SONY MDR-Z1000 《 ヘッドフォン 購入レポート》第3回 スマホ・パソコンで使用するには... はこちら。
ソニー ワイヤレスノイズキャンセリングステレオヘッドセット WH-1000XM4【ソニーストア】
ハイレゾ録音機材は、広大なダイナミックレンジを持つオーケストラ作品の収録こそ適する機材ですが、21世紀委の音楽コンテンツWeb配信時代になり、「莫大な製作費」を要するオーケストラ作品は、製作費を回収することが難しくなり、嘗ての「メジャーオーケストラと一流演奏家」による「クラシックコンテンツ」の制作は困難なご時世となってきたわけです!
そこで、人の可聴帯域(20~20kHz)を遥かに超えた5~100kHzの「超広帯域周波数特性」を強調した「デモストレーション」コンテンツばかりが溢れているわけですが...
実際には、トランジェント(音の立ち上がり)改善ぐらいに役立つだけで、
fidelity(忠実度)改善にはあまり役立っていないのが現状です!
fidelity向上には、オーケストラの持つ100dB以上の広大なダイナミックレンジ(ppppとffffどの音量差)の再現が最も必要となるわけです!
現状は、前途した再生側の問題で、「製品となったハイレゾ音源」は今まで通り、最大音量は"リミッター"でダイナミックは"コンプレッサー"で圧縮されて、ppppが「かさ上げされた状態」でハイレゾ盤に収録されているわけです!
つまりppppは前途した一般家庭での聴取を考えれば仕方ないとしても、リミッターのかかった大音量(大振幅)では"伸びの無い詰まった音"となって終い、迫力を得るために返って大音量(音圧)再生(ご近所迷惑)に向かってしまうわけです!
これではハイレゾ不要論がでても当然といえるでしょう!
今後、小生が提唱している可変低域補償技術(progressive bass boost compensation)(※91)が開発されれば、この問題は解消されて、広大なダイナミックレンジを有効に使って、伸びのあるffffと芯のあるppppの音色を兼ね備えたオーケストラ作品(ライブ録音)も出てくる可能性はありますが...
今の状況では、「演奏・録音共に優れた20世紀後半(960年代以降)のアナログ名録音」が「お宝の宝庫」として再度見直されることになるでしょう。
参※91)当サイト内関連記事 可変低域補償技術 " progressive bass boost compensation technology "の開発を! はこちら。
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録音機材の発達が、音作りから、トランジェント(忠実度)重視に変わってきた「レコーディング」の変遷が、非常によく表れている素材がマーラーの交響曲といえるでしょう...
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嘗て1970年代までのアナログ録音全盛のころは、オーケストラ録音特に大規模オーケストラ曲では、英DECCAが絶対的?"オーディオパフォーマンス"を誇っていました。
「DECCA」レーベルとの契約が一流アーティストとして認知された証ともなりアーチストのステータスともなっていた時代です。
時代は変わり、21世紀フルディジタルプロセス録音(※1)の時代になり、状況はかなり変化してきており、もはやDECCA神話は「ニーベルングの指輪のワルハラ城」同様に崩壊したようです?
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小生に限らず日本には多くのマーラーファンがいて全てのファンが「一過言」を持った立派な音楽評論家!ですが...
作曲家兼業組?の指揮者の振るマーラーは少し毛色が異なっている...
今回はディジタル録音の開祖・老舗DENONレーベルとハイファイ録音の老舗DECCAから発売されている最新版について取り上げてみました。
レニーは第2回で案内したCBSに残した全集とDG移籍後にライブ公演に基ずいたあらたな全集の2つのマーラー交響曲全集を残していますが...
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有名アーティストの「レーベル遺跡」を見れば一目瞭然のようにDECCA離れ、deutshe Grammophon集中が見られます。
最も下図をご覧になればお分かりのように、1980年以降は両レーベル共に旧ポリグラムレコードとなり、1998年以降はユニバーサルミュージックに売却されて、今に至り、資本関係上は同じ企業グループという事になりますが...。
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※ classicsrabel2.pdf はこちら。
参※1)AAD、ADD、DAD、DDDといった表記に関するWikipediaの解説はこちら。
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さて本題に移るまえに、これには"技術の継承"と"規格化"という事柄(お国柄)が大いに関係しているように小生は感じています
敗戦後の1949年に日本工業規格JIS制定に助力され、戦後日本の技術力向上に大きな足跡を残したアメリカの品質管理の専門家である統計学者W・エドワーズ・デミング博士の業績を記念して1951年に「デミング賞」が制定されたのはいまや少ないのでは?...
敗戦後の復興期に"物まね日本"と揶揄されてメードインジャパンが(今の某超大国同様に)「安かろう悪かろう」の粗製乱造の代名詞のように囁かれ世界中からたたかれていた状況を、世界屈指の品質水準を誇る技術立国?に躍進できたのは「彼の功績大」であったことをご存じない方も多いのでは?
同じく、世界的に有名なDIN規格(ドイツ工業規格)は1917年以来綿々と続きその範囲はほぼ全ての工業製品にわたっており、更に戦後の1947年2月23日スイス・ジュネーヴで設立されたISO規格(国際標準化機構)の礎にもなっている工業規格のひな型でもあります。
オーディオのお話には関係なさそうですが、実は大いに関連しています。
コネクターなどの小物から、マイククロフォンの音響測定法、増幅器の歪測定、スピーカーの音響測定、騒音測定!迄すべての分野を網羅しています。
歴史をご覧いただければお分かりのように、意外やマイスター(職人技)のお国ドイツは、技術の「標準化と継承」に熱心なお国なのです。
一方デミング博士の母国米国はどうかというと、意外や「職人技」のお国柄であり、エンジニアが世代交代すると技術が受け継がれない傾向にあります!
つまり「個人のスキル」は個人のものであり、個人の財産としての大事な名人技は一般公開・継承等せずにスキル(ノウハウ)を武器として企業を渡り歩くのが常であり、したがって後継者育成などにはあまり熱心ではないようです?
そんなお国柄なので、世界最古とされる1880年創設のアメリカ機械学会(ASME)規格は名の通り、工業製品の中でもとりわけ機械要素といわれる、ファスナー類(秒、リベット、ねじ類)や金属素材などのいわゆる機械部品関連に絞られています。
つまり、大量に使用する機械要素は厳密?に規格化されていますが、少量生産の一品生産に近いハンドメイドの工業製品では"現物合わせ"が幅を効かせているわけです。
規格量産品で、製作図面はあっても「工作精度」はあまり気にしていないわけで、最後は「現物合わせ」で何とかなる?という考えです。
ヨーロッパの高級車(ブガティー)のW16エンジンのように、各部品(委託)メーカーから「厳格な工作精度」で仕上げた部品を集めて「最終的に自社で組み上げる」ことなど考えていないわけです!
例えばハーレーダビッドソンの量産部品(交換部品)の組付け精度が悪いのは、バイク通なら常識?
このことは、小生が多国籍の精密測定機器メーカーの日本法人に勤めていた時に痛切に実感しました。
ドイツとアメリカの開発部隊・製造部隊は全くリンクしておらずにそれぞれ独自に活動を行っていて、技術交流は全くない!と言い切っても差し支えない状況で、ドイツでは綿々と受け継がれた「安定した技術」と標準化で安定した製品を供給し続け、アメリカ工場では最先端の「エレクトロニクス技術」に長けた「優秀な技術者」が「開発グループ」などは組織しないで研究室にこもって一人黙々と研究・開発にいそしんでいました!
その結果、時折最先端のエレクトロニクス素子を用いた「ずば抜けた性能」を持つ製品を世に出し足りしていましたが、大人の事情?でエンジニアが競合他社に移籍すると変わった開発担当者は全く違う「フィロソフィー」のもとに「全く技術的に脈絡のない製品」を開発して日本に送ってきていたものでした。
これは、開発エンジニアだけではなく製造技術者すなわち職人も同様で、規格外れのチャンピオンデータを備えた高性能なトランスヂューサー・センサー類などはその典型例で、熟達の職人が振動子の焼結、ケーシングへの組み込み、配線やダンパー材(制動材)の調合、性能測定などを一手に処理して手作りしていました!(アメリカ出張の際に工場見学しての実感)
つまり、何らかの事情でエンジニアが退職すると、途端にクオリティーが変化してしまうわけです!
最近のYouTubeをご覧になればお分かりのように、意外やアメリカでは「職人技の現物合わせ」が幅を利かせていて、オーディオ製品も例外ではありません。
嘗てLPレコード盤の頃RIAA補正規格(※2)を制定しながら、競合のCBSはもとより発案者のRCAですら、守らずに!(ステレオ電蓄の特性に)現物合わせに徹していたのはこのためでしょう!
※参2)当サイト関連記事 コンシュマー機器(再生機器)の変遷とドンシャリ・マスタリングの関係?はこちら。
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前途したように現在ユニバーサルグループのもとに集結しているdeutshe Grammophon とDECCAレーベルですが、2001年の部門整理でPhilips レーベルがDECCAグループと統合されて、2つのレーベル(グループ)に分かれました。
ちょうどそのころに「CD制作現場」で21世紀維新?が起こり「デジタル伝送マイクロフォン」(※3)の技術が確立されて規格化され、フルディジタルプロセスによるディジタルコンテンツ制作が可能となり、ヨーロッパ放送連合などを中心に「瞬く間にEU圏」を席巻してクラシックコンテンツ制作に欠かせない存在となりました。
この時点で「deutshe Grammophon制作グループとDECCA制作グループ」の「オーディオスキル」が入れ替わったのではないでしょうか?
別項で解説する予定の「ピアノ録音」はもとより本稿で取り上げる「オーケストラ録音」も劇的に変化したように感じられます。
参※3)2001年 AES 42-2001としてデジタル伝送マイクロフォン規格が制定される
※以下録音(音量)レベルについては、全てピークレベル(デジタル飽和レベル)を0dBとして補正した値です。
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参考までにマーラーの交響曲第3番での代表的な音源の(クリッピングレベルを0dBとしたときの)Peakレベル余裕値を掲載しておきます。
クラウディオアバド全集版盤 ー6dB!(ー2dB)
ピエールブーレーズ全集盤(※4) ー6dB!(ー2dB)
※上記2アルバムはカッコ内がアルバム全体でのレベル。
シノーポリ全集盤 ー1dB
バーンスタイン・マーラー全集(ライブ盤) ー1dB
※参4)当サイト関連記事G・マーラー交響曲全集 その2 作曲もする3人の指揮者の残した全集はこちら。
ショルティー全集盤(シカゴ響ディジタル録音盤 )ー2dB
リッカルド・シャイー盤 (2004年ディジタル録音 )ー1dB
小澤征爾/B.S.O盤(Philips?1993年ディジタルライブ録音盤)-2dB
エリアフ・インバル盤2010年ディジタル録音盤 -2dB
バーンスタイン・マーラー全集(アナログ録音盤)-2dB
メータ/イスラエルフィル盤(1994年ディジタル録音 )-2dB
メータ盤は、弱奏グランプリ?1位で、-56dBでスタートして、ポストホルンが-56~45dBとCDの記録能力いっぱいいっぱいの弱奏で、この部分を芯のある音?でスピーカー再生していると、クライマックスがとんでもない音量(90dB近い騒音!)となり、一般家庭ではスピーカー再生は不可能に近い録音となっています。(ハイレゾ対応ヘッドフォンで聞くしかない?)
ちなみに、-2dBで80%の音圧に相当し、-6dBでは半分の音圧となり、Peak飽和レベルまで使い切った録音に比べて全体を通じて半分の音圧(Volume )で聞いていることになります。
更に、約56dBある16bit量子化CDの実用ダイナミックレンジのうち、6dBを無駄にしていることになり、同じダイナミックレンジなら、幾分バックの高弦のトレモロの音色(分解能)を損なっていることになりますが...。
ブーレーズ盤、アバド盤がー6dBになっている理由はともにアルバム全体の構成によるものです、つまり第8番「千人の交響曲」のテュッティ(全奏)強奏部分にレベルを合わせたD・Gらしい細やかな配慮のためです!
つまり第3番だけに限れば4dB(倍)を無駄にしていることになりますが、アルバム全体ではバランスが取れています。
更に聞かせどころの弱奏部が、それぞれ約-50dB~45dBとメータ/イスラエル響と並ぶ超低レベル録音となっています!
小澤征爾盤も全体を通じてはー2dBですが総じて低レベルで記録されています。
これは、ライブ演奏特有の「録り直しのきかない」一発勝負に備えてのためで、おおむねバスドラムが入る部分でダイナミックレンジを使いきっています。
たとえアルバムであっても、「単独」リリースを前提に記録レベルを設定したDECCAとアルバム全体のバランスを考えたDeutsche Grammophon(&各指揮者)のコンセプトの違いが表れているようです。
]]>1933年5月21日生 - 2012年2月25日没
長年セルマー社のアドバイザーとしてトランペットの製作にも関わってきた。
特にピッコロトランペットの制作・普及に関してはモーリス・アンドレの功績によるところが大きく、バロックの曲の発掘にも熱心であった。
軽やかで優美な雰囲気の演奏で世界中を魅了し続けるトランペット奏者である。
ハイドン:トランペット協奏曲 アンドレ(モーリス) ワーナーミュージック・ジャパン 2000-06-21 by G-Tools |
トランペット協奏曲集 ヴィヴァルディ アンドレ(モーリス) カラヤン(ヘルベルト・フォン) EMIミュージック・ジャパン 2003-01-22 by G-Tools |
1921年~1957年。
21才でロンドン・ナショナル交響楽団の首席奏者になるなど、その才能は若くして開花。
だが、その才能は神もまた愛したのだろう。1597年のエディンバラ音楽祭の帰途、交通事故で帰らぬ人となった。
30代の若さでなくなったデニス・ブレインだが、その名声は今も語り継がれ、現在でも彼の奏でるホルンの音色をを愛するファンが多い。
彼の演奏スタイルはホルンをかなり高く上げた状態で吹く珍しいものでもある。
筆者が思うには、その音色は華麗かつ端正。キリリとしたイメージの演奏でありながらホルンならではの柔らかさもあるという、まさに天才の演奏といったところだろう。
Icon: Dennis Brain - The Horn Player Wolfgang Amadeus Mozart EMI Classics 2008-03-21 by G-Tools |
モーツァルト:ホルン協奏曲全集 ブレイン(デニス) TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(M) 2007-07-25 by G-Tools |
R.シュトラウス/ホルン協奏曲集 ブレイン(デニス) EMIミュージックジャパン 2009-11-18 by G-Tools |
下記は書籍▼
奇跡のホルン―デニス・ブレインと英国楽壇 スティーヴン ペティット Stephen J. Pettitt 春秋社 1998-11 by G-Tools |
※デジタヌのコメント
小生も大好きな1人だが演奏スタイルは当時の世相を反映し、原典にこだわらない自由奔放なスタイルで彼独自の解釈を反映した演奏記録がおおい。
現代のプレーやや聴衆にはやや奇異に受け取られなくもない。
デモやっぱり好きやねん!
]]>ルチアーノパヴァロッティはイタリアの声楽家(故人2007年死去)。美声のテノールで世界的に有名である。
いわゆるイタリア三大テノールの一人でもある。(あとの二人はホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ)
故人となった今でもパヴァロッティの公式サイトは依然存在する。それだけ人気が衰えないのだろう。
公式サイトではパヴァロッティ歌声をふんだんに聴くことができる。
高音・美声に加え、発声の明瞭さもパバロッティの魅力のひとつである。
美声・高音を追求するあまり発声・発音において、明瞭さを欠く声楽家が多い中、この特徴がパヴァロッティの人気を不動のものにしている要素のひとつだろう。
長年オペラで活躍するとともに、さまざまなジャンルのアーティスト(ポップス・ロック・器楽)との競演もしている。
また、イタリア人らしくカンツォーネの録音も多く、そちらもまた魅力的である。
パヴァロッティ・フォーエヴァー ルチアーノ・パヴァロッティ UNIVERSAL CLASSICS(P)(M) 2007-10-10 by G-Tools |
実は私の趣味はかなり偏っている。藤山一郎の次にはまった声がパバロッティの声であった。
パヴァロッティのオーソレ・ミオ...何度聞いても飽きません、しびれます!
]]>生誕1916年4月22日ー没年1999年3月12日
アメリカ合衆国出身のユダヤ系ヴァイオリン・ヴィオラ奏者、指揮者、音楽教師。
妹ヘプシバはピアニストで、しばしば兄妹で共演し、室内楽の録音を行った。もう一人の妹ヤルタもピアニスト。
4歳からヴァイオリン教育を受ける。
7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演して初舞台を踏む。
ルイス・パーシンガー(ルッジェーロ・リッチの恩師)に学んだ後、パリでジョルジュ・エネスコ、ドイツではアドルフ・ブッシュのレッスンを受ける。
第二次世界大戦中は、他の多くのユダヤ系ヴァイオリニストと同じく、連合軍のために慰問活動に取り組んだ。
1945年4月にはベンジャミン・ブリテンとともに、解放後のベルゲン・ベルゼン強制収容所において慰問演奏を開いている。
第二次大戦中、アメリカに亡命していたハンガリーの作曲家、バルトーク・ベーラを深く尊敬し、貧困と病気に苦しむバルトークへの援助を兼ねたり、無伴奏ヴァイオリン・ソナタの作曲を依頼したりしている。
バルトークはこれに応えて無伴奏ヴァイオリン・ソナタを作曲し、この作品をメニューインに献呈している。
戦後に芸術家として名声をきわめる一方、第二次大戦中の無理がたたって身体の故障にさいなまれていた。
前途の通り戦前に7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演して初舞台を踏むほどの神童ぶりは、時として裏目に出る場合もあり、教えを乞うたジョルジュ・エネスコやアドルフ・ブッシュといった当時のヴィルトーゾ達は彼の個性「天から与えられた才、と個性(芸術性)」を尊重し、「型通りの基礎レッスン」は行わなかった!
長じて、"神童"から「成人音楽家」になったときに「天才的なひらめき」で支えられてきた「彼の奏法」に破綻が生じた!
メソッドをあまり攫わずに「難曲」の実践のみで培われた彼の型破りな「奏法」は大きくなった身体には適さなくなっていた。
一般的には「幼少期の系統的な音楽教育の欠如で芸術的に問題をはらむようになった」と言われているが、成人以後のヴァイオリニストとしての「彼の難点」は主に「奏法上のテクニック」の問題に終始していた。
音楽家としてこれらの問題を切り抜けるために坐禅やヨーガ、菜食主義を実践し、「精神的な高まりとしての音楽性・芸術性」を追求するようになった。
反シオニズムの立場を取るユダヤ人でベラルーシ出身の哲学者であった父親の影響を受け、戦後1947年からドイツを幾度も訪れヴィルヘルム・フルトヴェングラーと共演したりし、「ヒトラーのドイツは滅びたのです」と言って、ドイツと(米国)の和解を呼びかけたが、彼のこうした姿勢はアメリカのユダヤ人社会の憤激を買った、この為ユダヤ系音楽家が支配的なアメリカ楽壇から事実上追放され、イギリスに移住しここを拠点に活動するようになる。
精神世界に深い関心を持持ったメニューインは、父親の影響でユダヤ系ドイツ人哲学者のConstantin Brunner(コンスタンティン・ブルンナー) の思想にも深く傾倒し、シオニズムに反対しキリスト教に近い立場を貫いた。
イスラエルに対しても、晩年まで批判的な姿勢を貫き通した。
晩年、ホロコーストに疑問を投げかけたフランスの左翼系哲学者ロジェ・ガロディを支持したことなど、物議をかもす言動でも有名。
戦後間も無い1951年に、アメリカの親善大使として日本を訪れている。
当初アメリカ人として日本に悪感情を持ち、この初来日の際には新聞記者のインタビューに答え、「ジャーナリストなら、真珠湾攻撃を知っていただろう?」と詰問した逸話も残されている。
しかし、来日中に日本に対する悪感情がすっかりなくなり「大の親日家」となった。
後年、武満徹が、アンドレイ・タルコフスキーの死を悼んで作曲した弦楽合奏曲「ノスタルジア」を絶賛し、自らこの曲を演奏した。
旧ソ連のユダヤ系演奏家とも親交を結び、ダヴィッド・オイストラフの初訪米実現の為に、友人を通じて国務省に協力を依頼したり、当時反体制的とされたムスティスラフ・ロストロポーヴィチがソ連当局の妨害で、出国を妨げられた際には、ソ連当局に自ら直談判するなど、共産主義体制下の旧・ソ連の音楽家を積極的に支援した。
後年、教育者として後進の指導に献身的に尽くし、1962年に英国・サリーにユーディ・メニューイン音楽学校を開設、1984年にはポーランドにオーケストラ・シンフォニア・ヴァルソヴィアを設立し、自ら指導に当たった。
晩年にはクラシック畑以外のアーティストとも親交を結び、1980年代にジャズ・ヴァイオリニストのステファン・グラッペリのジャズ・アルバムの制作に、また有名なシタール奏者ラヴィ・シャンカールとコラボしジャムセッションのレコーディング等も行った。
国籍変更にともない正式にサーの勲位を授与され、さらに貴族の称号であるロードも授与された。
爵位名は、メニューイン男爵(Baron Menuhin of Stoke d'Abernon)。
1965年イギリス国王より長年の功績に対して叙勲
1979年ドイツ出版協会平和賞受賞。
1990年には長年の音楽活動に対して、グレン・グールド賞を授与された。
彼は膨大な「音源」を残しているが、前途した理由で、「目の覚めるような冴えわたる」名演は戦前の未成年のころのSP音盤に限られ、戦後LPの時代に入ってからの「テクニックに難」がみられる成熟期に録音された「音源」には凡庸な演奏が多いとされている。
神童 ユーディ・メニューイン/The Early Recordings of Yehudi Menuhin
エルガー : エニグマ変奏曲 作品36 〜第9変奏「ニムロッド」ユーディ・メニューイン指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
]]>(生誕)1912年6月28日 - ローマ生まれルーマニア、育ち (没年)1996年8月14日 - パリ
ドイツで活躍した指揮者・作曲家。
ルーマニアのローマン(Roman)で育ち、第一次世界大戦中にヤシに転居、21歳頃まで同地で過ごす。
晩年の彼の演奏はゆったりとしたテンポと「絶妙の間」で有名だが、それは彼が到達した境地 すなわち「楽曲が持つ響きの時間的流れの必然性」から生じている。(※彼のインタビュー番組から受けたデジタヌの意訳・印象)
実際、晩年の演奏はモダン譜記法によるテンポ指示(♩=xx)にはこだわらず、アンダンテ、モデラートなどといった抽象的な表現の持つ「哲学的な時空」と「音の響き」を大事にした指揮者であったように感じている。
一方数少ない彼の壮年期の記録音源から察っせられる演奏では総じて一般的なテンポ設定となっており極端なテンポ設定は見当たらない。
このテンポ感(理論)は晩年「禅宗」に傾倒したことでもわかるように「幽玄の境地」にも通じる彼の哲学から出たものなのであろう。
実際に、奏者(楽師)はいろんな意味で大変であったろうが、「時々刻々変化する響き」に注目すれば「楽曲(響きの流れ)自体が求めるテンポ」という意味が解かるような気がする。
※例えば90分以上にも及ぶBruckner Symponie ♯9 など決して「おマヌケ」にだらだら遅い!のではなく、心地よい響きの流れで演奏された楽曲は時の流れを忘れてしまい、アっという間に過ぎてしまう!
というわけでデジタヌはSergiu Celibidacheの信者であり、現在入手可能な貴重な「彼の記録音源(CD)」は殆どコレクションしている。今後個々音源(楽曲)についてレビュー記事を起筆するつもりでいる。
6歳頃からピアノを学びはじめるが、長じてブカレスト大学で哲学と数学を学び。
1936年に彼はベルリンに行き、主に波動力学だけでなく音楽研究に関しても彼自身に関して彼の研究を続けた。
27歳になるまで天職を決めかねていたと告白している。父親は彼を政治家にしたがっていたと語っている。
ユダヤ文化の中心地であったヤシで育ちユダヤ人と深く交流したため、イディッシュ語(ユダヤ)も堪能であったばかりでなく、多くの言語に精通したバイリンガーであった。また晩年には仏教に改宗し、日本でも多く参禅を行なっている。
1939年から1945年まで彼は ベルリン音楽院でフリッツスタイン、カートトーマスとウォルターグメインドルの下で学んだ。
1945年第2次大戦終戦後 WilhelmFurtwänglerが不在の間Berliner Philharmoniker(邦名;ベルリンフィルハーモニー管弦楽団)の定期指揮者(※1)となった。
※1、近衛秀麿先生の逸話にも登場するように、設立当初からBerliner Philharmonikerは「自主運営の同人組織」であり、他の歌劇場レジデンス団体などとは違い自主開催コンサート以外にも「チャーター演奏」(雇われ仕事)も受けており、どういう処遇(常任指揮者、客演指揮者、主催者等)であったかは不明。
戦後3年間、彼はBerliner Philharmonikerのほとんどのコンサートの指揮を行い、並外れた才能で聴衆から熱い支持を得た。
しかしWilhelmFurtwänglerが指揮者として復帰する頃には楽員に対する「不条理?ともいえる要求(※2)」に楽員達の不満は頂点に達しており、以後指揮台に立つことは少なくなり、客演指揮者となった。
※2、若いころから、楽員に対する要求は過酷であったようである。
しかし当時の西・ベルリン市民の人気は高くBerliner Philharmonikerと自由ベルリン放送管弦楽団を客演指揮者として行き来していた。
1948年、ロンドンでデビュー。
1955年4月5日H・V・カラヤンが終身常任指揮者としてBerliner Philharmonikerから任命された後カラヤンの生存中は37年間Berliner Philharmonikerに客演しなかった(要請もなかった?)。
1959年から長年シュトゥットガルト放送交響楽団の客演指揮を勤める。
1962年から1971年まで彼が再建したストックホルム放送交響楽団の音楽監督に就任した。
1973年から1975年まではフランス国立管弦楽団の首席客員指揮者を務めた。
1979年からミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の音楽監督になり、同団体を世界的レベルに押し上げた。
ミュンヘンでの彼は指揮法の「マスターコース」を主催し 彼の死の数ヶ月前まで後継者の指導を続けた。
ブルックナーの交響曲の大家として有名なSergiu Celibidacheだが、GüntherBialasのLamento di Orlando (1986年)、Harald Genzmerの交響曲第3番 (1986年)、Peter Michael Hamelの交響曲第3部 (1988年)、そしてHans Werner HenzeによるウンディーネとJeux des Tritons等の現代作曲家の作品の初演も行っている。
Sergiu Celibidache自身も作曲を行ったが生前は公開を拒んでいた。
Bruckner: Symphonies 3-9, Te Deum, Mass in F Minor Box set, Import
]]>ドヴォルザークと言えば哀愁を帯びたメロディーが「ド演歌調」の少々臭いフレージングになりやすいのだが、R・クーベリックさんは違う。抑制のきいた演奏で押しつけがましい表現が一切なく、彼のドヴォルザークに対する尊敬と、楽曲を何よりも大事にしている愛情のようなモノを感じる。
一般的な定番解釈に囚われる事なく、メロディーそのものが求める流れに逆らわない自然なフレージングであり、並みの指揮者のように「聞かせてやろう」と大見得を切ったり、照れくさくなってたじろいでしまうといったような不自然なところもなく、よく聞く名曲盤とはひと味違った演奏でありながら、メロディアスでメランコリーーだけではない「細部までしっかり作り込まれたドヴォルザークの楽曲」の真の魅力をつたえてくれる。
それでいておおらかな魅力にあふれ、まるでボヘミヤの片田舎の農村で素朴で信仰深く思いやりと慈しみに満ちた暖かな村人に出会ったかのような思いにさせられる。
]]>ケルテスさんと言えばドヴォルザーク交響曲全集の個性的な演奏を思いだす。
ドヴォルザークの交響曲第8番の個性的な解釈には驚いた、しかし嫌いではない...どちらかと言えば好き!
土俗的ではあるが、泥臭くはないし,野暮たくも無く、何より受け狙いで派手にやっているのでもない。
彼独自の楽曲解釈で、ドボルザークの楽曲の定番解釈に対する新たな解釈の道を示したのであろう。
レナード・バーンスタイン さん愛称レニーの名盤と言えば 彼がCBS時代に当時の手兵N.P.O.と録音した数多くの楽曲が残されているが、彼がこよなく愛したマーラーの交響曲が独グラムフォンから発売されている。
V.P.O.と共演したマーラー:交響曲第5番嬰ハ短調 で秀盤である。
彼のCDの中では比較的新しい録音で、そのリハーサル映像も残っている事で知られている。
第1楽章冒頭の有名なトランペットで奏されるファンファーレのフレージングに対する指示が、年間を通じてかなりの回数演奏しており「ウィーンスタイル」を確立しているであろうこの団体相手に、同じ「20世紀のコンポーザー」としての彼の「思い入れ」と「記譜(3連符)」に関する解釈を「ぶち上げる」姿が印象に残っている。
ある意味カルロスクライバーさんの「こうもり序曲」のリハーサル映像の中に出てくる「ダカダカダカ...」要求と似通ていて面白かった。
そしてリハーサル映像と言えば、彼の最晩年に収録された、自らの作品である「ウェストサイドストーリ」NHKでもロバートワイズ監督の映画作品と平気で間違って紹介されるブロードウエイミュージカルの傑作であり自らの代表作をスタジヲミュージシャン達と録音した2枚組のCD。
若いときから涙腺がかなり逝かれていた?小生は、周囲の目もはばからず、平気で嗚咽の涙にくれてしまう。
マーラー:交響曲第5番 レナード・バーンスタイン ウィーンフィル
これはお得!勿論デジタヌは真っ先に購入しましたBernstein Symphony Edition Box set, Import
バーンスタイン:ミュージカル《ウェスト・サイド・ストーリー》 CD 作曲者自身による初演・完全全曲盤!
実は、ミュージカル全曲を指揮したのはこれが最初で最後!(シンフォニックバージョンは数多くの記録音源あり!)
]]>生誕 1946年11月2日
没年 2001年4月20日
学者でもあったジュゼッペ・シノーポリ さんが得意としていた演目はマーラーの交響曲。
当時のNHK衛星放送で来日公演などもエアチェックし何度も聞き返した?、ブーレーズさんとは異なる脳科学者(心理学と脳外科)らしいインテリジェンスでマーラーの交響曲解釈に新境地を開いた指揮者でもあった。
とりあえず、美しい!その様式美は絵画的とも言える程完成され。直感的なバーンスタインとは対極をなす表現に酔いしれたのをおもいだす。
Mahler, G.: Symphony No. 4 (Edition Staatskapelle Dresden, Vol. 21)
マーラー:交響曲第5番 ジュゼッペ・シノーポリ
]]>ピエール・ブーレーズ(指揮者)さんは,小生の尊敬する指揮者10傑のひとりである。
バーンスタインのように感情をむき出しにしない、音楽学者らしい抑制のきいた彼の演奏スタイルはコラボ相手のオーケストラが変わっても同じ芸術性を保っている。
と言っていつでも何処でも同じ解釈でクローン演奏をオーケストラに押しつけているのではなく、各オーケストラの持ち味を活かしながら、オーケストラの団員自身が思っていた実力以上のレベルまで引き出しているように感じる。
いつでも何時でも1つ1つの音を大事にし細部までよく目の届いた精緻な演奏は、それでいて人工味を感じさせず聴衆を虜にする魅力に満ちたすばらしい演奏をオーケストラから引き出す指揮者であった。
彼もまた数多くの録音を残しているが、バーンスタインの後を継いで面倒を見たN.P.O.との共演はもちろん、その録音の全てが新鮮で緻密ですばらしい名盤ばかりである。
もちろん手慣れたフランス物に限らず,古典や現代音楽まで不得意なジャンルはなく、マーラーもよく取りあげていた。
彼の指揮した第3シンフォニーのCDは小生を桃源郷へと誘ってくれる。
彼は全世界で沢山の逸話を残した人でもあるが、特別の逸話はN響を振ったあるコンサートプログラムで、最初のリハーサルを全曲を通し演奏した後で、『XXパートのxxが、第何小節の何拍目で奏した音は譜面のミスではないか、訂正しておいてください』と言い放ったという。
この調子で細部にわたる指摘を団員に伝えたという。もちろん暗譜で指揮した後!での出来事である。
何という超人ぶり!その場に居合わせた団員はみな顔を見合わせたという。
細かい指示で有名な全盛期のトスカニーニ並み、イヤはるかにスゴイ指揮者!だと感じ入った。
]]>ジョルジュ・プレートルさんは1924年8月14日にフランスのオー=ド=フランス で生まれ、2017年1月4日に92才で亡くなられた指揮者です。
プレートルさんはオーディオ・ビジュアルの世界で多くの名演奏を残されましたが、私の心に強く焼き付いているのが、2度ご出演になったV.P.O.のニューイヤーコンサートでのお姿です。
まるで軍楽隊の指揮者よろしく?お年に,似合わずさっそうとした指揮ぶりで、観客を魅了なさってました。
そしてまた、ベルリオーズの幻想交響曲をお振りになった"快演?"は、先年同じくお亡くなりになったP・ブーレーズさんの名演とは好対照(両極端?)をなす、猛烈で凄まじい、"幻想"で聞き終わった後の爽快な気分は格別ではないでしょうか。
by digitanu
プレートル指揮ウィーンフィル
「幻想交響曲」、「タンホイザー」序曲
ウィーンフィル自主出版、完全限定版
]]>
1899年11月18日 にハンガリーで生まれた彼は 1985年3月12日 に亡くなるまで、ほぼ一世紀にわたり20世紀を生き抜いた人です。
幼いころからヴァイオリンを学び、ヴァイオリニストとしてデビューしてして1919年には母校のブダペスト王立音楽院ヴァイオリン科主任教授になっています。
長年の手兵でもあり相棒であるフィラデルフィア管弦楽団との出会いは、A・トスカニーニのピンチヒッターとして1931年の定期演奏会に招かれたのがきっかけで、その後たびたび出演するようになり1936年にレオポルド・ストコフスキーと共にフィラデルフィア管弦楽団の「常任指揮者」となりました。
2年後の1938年に健康上の理由でストコフスキーが辞任してからは彼に代わってフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督となりました。
自らが後任にリッカルド・ムーティを指名して引退する1980年までの42年間に渡り音楽監督として同楽団の発展に尽くしました。
音楽監督引退後も85歳で亡くなる前年の1984年1月まで、「桂冠指揮者」として招かれてフィラデルフィア管弦楽団と共演していました。
1921年にアメリカへ演奏旅行をしたときにマネージャーに旅費を持ち逃げされて無一文となり!
何とかニューヨークのキャピトル劇場専属オーケストラのオーディションに受かりその後すぐにコンサートマスターになり、オーケストラ活動の傍らリサイタルも開くようになった1923年からは「バイオリン独奏曲」も録音しています。
1924年の9月には急病で倒れたキャピトル劇場専属オーケストラの指揮者に代わり始めて指揮台に上がりジャーナリストから絶賛されて、以来指揮者の道を歩むことになったわけです。
1927年には帰化してアメリカ国籍を取得しており、1946年の共和制へのごたごた、戦後1946年から1989年の共産党独裁政権などに遭遇しなかったのは幸運といえるのでしょう。
バイオリニストとして活動していた初期のからRCAで戦時中にCBSへそしてCD幕開け直前の1968年にRCAへの復帰と、さらには晩年にはEMIなど他レーベルにも録音を残すなど、熱心に数多くのレコーディングを行ない膨大な記録音源を残したわけです!
しかし、レコード会社の敷いた一般大衆受けのする「名曲路線」を走らされ、本人の希望とは違い「再録音」が多いのも事実です。
戦時中の1944年にLPレコード開発実用化を餌に?移ったCBSでは戦後の1948年に製品化されたLPレコードに、そして1958年以降は当時発売開始された「ステレオレコード」不朽の先兵を引き受けて多くの派手な「名曲録音」を引き受けていました。
この最初期に録音された「レスピーギのローマ3部作」はステレオ効果満点の曲で新たな「ステレオファン」獲得に大きな働きをしました。
ヤンキー初の人気指揮者バーンスタインを前面に押し出し「カラヤン・グラモフォン陣営」と商戦を展開しだした当時のCBSでは、フィラデルフィア管弦楽団のパトロンである富裕層から絶対の信頼と指示を得ていたにもかかわらず帰化人のオーマンディは分が悪く、
RCAのアーサー・フィードラー/ボストンポップス管のようにステレオ効果満点の名曲路線で「いいように」しか扱われなくて、CBSのホープ、バーンスタインとバッティングしないポピュラーなローカル名曲路線に回されていました、
それで1968年に「オーマンディの希望を最優先して録音できる」条件でRCAに再復帰したわけです。
しかし、一部を除き、多少ふるびても「売れている」CBS盤のファン層をかっさらうつもりの「RCA」でもかつての売れ筋商品の再録音ばかりが企画されて、その関係でCBSとRCAから「同じ曲」が多数出ているわけです!
ジェイ・デイヴィッド・サックス(RCAのプロデューサー)によると、当時のRCAは「誰もオーマンディでシリアスなレパートリーなど聴きたいと思っていない」「派手なショーピースの方が売れる」という考えであったため、オーマンディやオーケストラはかなりの不満を抱いていたが、同時にオーマンディは「あらゆるニーズに応える」ことに強い誇りを抱いていたので、結局はそれを受け入れたという。(BVCC-38059のライナーノートより)
当時のRCAの方針がうかがえる記述も残されていますが、いま改めて「シリアスな作品」を聞いても、彼の「非凡」な音楽センスに感心させられます、フィラデルフィア管のパトロンたちが「長年」支持し続けたわけが分かるような気がします 。
言っては何ですが。ストコフスキーのように「大見得を切った」歌舞伎役者のような大げさな表現もなく、バーンスタインのような「独特の」歌いまわしもなく、「トスカニーニ」「ジョージセル」「ショルティー」同様に譜面に忠実な「オーソドックス」な解釈で、ヘンデル、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、ワーグナーー、ブルックナー、ブラームス、チャイコフスキー、ラベル、ドビュッシー、ストラビンスキー、ショスタコービッチ、プロコフィエフ、ヒンデミット、オルフ、シェーンベルク、マーラー、R・シュトラウス、同年代のラフマニノフ、S・バーバーなどありとあらゆる年代・地域の作曲家の作品を「得手不得手無し!」にこなして、フィラデルフィアの富裕層から絶大な支持を得ていたのでしょう。
更に、フィラデルフィア以外の全世界にいる「世俗的な一般大衆」が好む定番曲や「伝統のフィラデルフィアサウンド」で「そつなく」どころか手抜きをしない「素晴らしい」仕上がりで聞かせてくれて、改めて彼の偉大さをしった思いです。
但し演奏に抜かりはなくても、エレクトロニクスの発達とともに20世紀を歩んだマエストロなので、録音状態にはかなりの落差がありますのでご注意を...。
日本国内盤であれば現在SONY Clasiccs として発売されているものを、
直輸入盤であれば「RCA RED seal」 か「CBS classics」として発売されているものを、 もちろん晩年の「EMI」レーベルも問題はありませんが、聞いたことのないレーベルには、ひどい「中華海賊盤」もありますのでご注意を、何がひどいのかというと、版権が切れているのをこれ幸いに「あろうことか」LP盤から「採取」した復刻版迄出回っています!
これなどは封印を切れば「ライナーノート」が無いのでわかりますが全くの粗悪品で"
擦り切れたレコード盤特有の「周期的な」ゴーゴー鼾雑音も含まれ、しかも!どんなカートリッジを使用したのか「Youtube 」のアナログLP再生投稿よりひどい、まるでモノラル録音のような「左右チャネルの極悪セパレーション」やフォルテッシモ部分での盛大な「サチュレーション」や内周部でのトラッキングエラー丸出しの「ピアニッシモ」など「詐欺まがい」の"CD"も堂々とWEB通販されています!
Eugene Ormandy Conducts Tchaikovsky 2013年再発売
まずは輸入RCA Red Seal盤では 1959年から1979年にかけてRCA、CBS両レーベルをまたいで 録音されたTchikovsky 全集。
CBS丸出しの「ドンシャリマスタリング盤」も多数含まれていますが「ライナーノート」を読んでGBS当時の録音は「トーンコントロールで」trebleを-2dB程度落としてやれば、高域のヒスノイズも減少して聴きやすい音にります。
RCA Red Seal輸入盤なので、リマスターの表記はありませんが「さすがにRCA 」レーベルに恥じないような音源が選ばれています。
しかし、アメリカンハイファイマスタリングセオリーの一つ「100Hz」大盛り!50Hz以下急激にカット!で重低音域については「適正な補正」(※1)が必要です。
これには未完に終わった3番、と2番のシリアスな?ピアノコンチェルトも含まれており、必聴の価値があります。
参※1)当サイト関連記事 現在SONY傘下の義兄弟!となった嘗ての米2大レコードレーベルとヨーロッパ系レーベルの音の違いとは?はこちら。
ホルスト:惑星&ヴォーン=ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲他 CD
これは1968年以降に録音された正真正銘のRCA制作盤、重低音がすごい、しかも不自然なところが一切ない自然な音場で、勿論トーンコントロールは一切必要なし。
どうやら当時実験的な色合いの濃いDolby サラウンドバージョンと同じ音源で制作されたもののようです。
ラフマニノフ:交響曲第2番、合唱曲「鐘」&スクリャービン:法悦の詩、プロメテウス CD
シリアスな曲で「小生の大好きな曲」後年シャルルデュトワもこのオケと録音しています。
ブルックナー:交響曲第7番ノヴァーク版
オーマンディ(ユージン) (アーティスト, 指揮), ブルックナー (作曲), ブラームス (作曲), & 1 その他
BMG当時の正真正銘のRCA制作。
但しADDの表示があるので、録音機はStuder あたりのアナログ4chマルチトラック+DolbyNR録音の様子。
バルトーク:中国の不思議な役人;弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽(UHQCD) CD
1979年4月16日 - 米サウンド・ストリーム社製デジタル録音機を採用したRCA初のデジタル録音
イヤー凄いの一言!
今のレベルから言ってもすごい録音。
最も初期のステレオ録音、「ローマ3部作」は別として、
SONY classics レーベルで再発売しているタイトルについては
3トラック以上のアンペックス2インチ幅76cm/sec 3トラック?テープレコーダーで録音された"音源"のおおく良好な状態で保管されていたようで、デジタル・リマスタリングされた音源については、低域はそのままでも問題はありません?が高域につては、
別項で詳述したように、1kHz以上のTreble帯域は-2dbほどダウン設定したほうが「自然な音色」に、さらに「デジタルリミックス(リマスター)表記」のないCDについては、音楽編集ソフトなどを使用して、100Hzを-2dBダウン、50Hzは±0㏈、25Hzは+2dB程度上昇させてやると、よりナチュラルな"重低音"となります。
]]>HPは音楽を聴いてもすごい!いやノートパソコンでミュージックを聴きたいならHPに限る!
狸穴音響研究所一押しの、ミュージックノート hp ENVY x360 13ar0115AU購入・使用レポート。
というわけで2020年12月新たに最新型の"AMD Ryzen7"搭載のNew Model ENVY x360 13ar0115AUをミチャポン用に1台購入しました。
※現在(2020年12月現在)超人気商品で品薄・入手困難になっていますが、同じ仕様512GB SSD 16GB SDRAN搭載のRyzen5搭載の旧型?がhpショップから入手できます!
がお買い得価格¥94,000 & 配送料無料で販売されています。
ミチャポンは受験勉強の生き抜きに彼女専用のBOSE QUIETCOMFORT 35 (※01)を使ってリラクゼーションしています?
どちらかというとチャットしているときのほうが多いようですが...
アーアモッタイナイ ヾ(´∇`)ノ゙
参※01)当サイト関連記事 BOSE QUIETCOMFORT 35 はこちら。
「HP」のノートはデンマークの音響機器メーカー BANG & OLFSEN AUDIO(B&O)が監修したB&O Play オーディオテクノロジーを用いたサウンドチップ(※01)を使用していて、イヤホンジャックからオーディオAMPのAUX端子に直接繋いでも「ハム」や「ノイズ」のないクリアーな「ピュアオーディオレベル」の再生が可能です!(※02)
つまり、"拙者宅?"の伝家の宝刀SONY MDR-Z1000(※03)を直接繋いでも最高!
チャッチイUSB・DAC接続などよりよほど素晴らしい!
参※01)チップの製造メーカーはお馴染みのRealtekですがspecials バージョンです!
注※02、但しあくまでも小生の実験で、コネクタ接続時に事故が発生してスピーカーシステムを壊す場合があるのでお勧めできません!実際にYAMAHAのサブウーファーを1台破壊してしまいました!アーア... (´;ω;`)
参※03)当サイト関連記事 SONY MDR-Z1000 モニターヘッドフォン 長期使用レポート はこちら。
更に、チップ実装、内部配線にも「細心の注意」が払われていて、USB端子、Bluetooth 信号、共にデジタルノイズは測定不可能レベルまで抑えられています!
続きは後日
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